堀辰雄を読むとき、いつも感じるのは、言葉が残留しないことです。
言葉が残留しないほどに透き通る文章は、バッハのフーガをヒントに成し遂げた芸術なのだとか。
以下は『美しい村』のノオト。
 
 
いつか君に話した題材はすっかり諦めてしまったように書いたけれど、実は、まだあれは少し未練がある。ただ、それを直接に描きたくないのだ。その点で、僕は音楽家が非常に羨ましくなっている。音楽はそのモチイフになった対象なり、感情なりを、少しも明示しないで表現できるんだからね。だから、今度の作品をそんな音楽に近いものにして、僕のそんな隠し立を間接にでも表現できたら、とてもいいと思うんだ。
 

プルーストやリルケの詩情を取り入れた文体は、読む端から透明になっていきます。
 
 
そんな風に、私は彼女と暮方近い林のなかを歩きながら、まだ私が彼女を知らなかった頃、一人でそこいらをあてもなく散歩をしていたときは、あんなにも私の愛していた瑞西式のバンガロオだの、美しい灌木だの、羊歯だのを、彼女に指して見せながら、私は何だか不思議な気がした。それ等のものが今ではもう私には魅力もなんにも無くなってしまっていたからだ。そうして私は彼女の手前、それ等のものを今でも愛しているように見せかけるのに一種の努力さえしなければならなかった。それほど、私自身は私のそばにいる彼女のことで一ぱいになってしまっているのだった。・・・そうしてそんな薄ぐらい道ばたなどで、私は私の方に身を靠せかけてそれ等のものをよく見ようとしている彼女のしなやかな肩へじっと目を注ぎながら、そっとその肩へ私の手をかけても彼女はそれを決して拒みはしないだろうと思った。そして或る時などは、その肩へさりげないように私の手をかけようとして、彼女の方へ私の上半身を傾けかけた。私の心臓は急にどきどきしだした。が、それよりももっとはげしく彼女の心臓が鼓動しているのを、その瞬間、私は耳にした。そしてそれが私に、そういう愛撫を、ほんのそのデッサンだけで終らせた。・・・私はまだその本物を知らないのだけれど、それが与えるのとちっとも異わないような特異な快さを、そのデッサンだけでもう充分に味わったように思いながら。
 
 
 
文章は翻訳調でもあり、読んだ後に言葉が残留しない、音楽になりきるような透明感で、読者の心を切なく揺さぶり、読後にはその波紋だけを残していきます。
 
 
人の心に残留するような言葉を書きたいと思う物書きが多いのに、音楽になりきる言葉を追求するとは。。。
 
堀辰雄とは逆に残留する言葉とはどんなものか考えると、
 
食べ物の話、、、これはかなり残留します。
性表現、、、。
比喩が攻撃的、、、落差の大きい比喩を使われた時かなり残留します。(安部公房や大江健三郎など)
カ行、、、啓発的、行動的な音声、特に横で「きーきー」言われるとアドレナリンを分泌してかなり残留。
 
他にもありますけども、堀辰雄にはこういう要素がありません。
比喩表現は人と自然を行き来するだけです。
カ行が少なく、サ行(浸透感)・ハ行(飛翔感)が特徴的です。
 
 
Le vent se leve,il faut tenter de vivre. PAUL VALERY
 
 
堀辰雄が 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 と、訳した「海辺の墓地」の一句です。
ここから付けたタイトルが、多分、読後に残る唯一の言葉。
 
交際相手の節子の病いが重く死が近かづいていることを、とうに言い渡されている主人公「私」は、生きなければならない(生きめやも)という言葉の深淵を、節子の死までの生と、節子を失った後の作者の生と、軽井沢の空に立ち上る煙とその上空の雲の間に映る「死を超える絶対の生」の中に、うつろに見出していくのみです。
 
 
「死のかげの谷」と題してつけられたエピローグは、節子の死後に一人静かに冬の高原で過ごすところが書かれていて、「私」の存在が詩に溶け合って、再びバッハの曲想を思い浮かべることができます。
 
 
 
 漸く雪が歇んだので、私はこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へとはいって行ってみた。ときどき何処かの木からどおっと音を立ててひとりでに崩れる雪の飛沫を浴びながら、私はさも面白そうに林から林へと抜けて行った。勿論、誰もまだ歩いた跡なんぞはなく、ただ、ところどころに兎がそこいら中を跳ねまわったらしい跡が一めんに附いているきりだった。又、どうかすると雉子の足跡のようなものがすうっと道を横切っていた・・・
 しかし何処まで行っても、その林は尽きず、それにまた雪雲らしいものがその林の上に拡がり出してきたので、私はそれ以上奥へはいることを断念して途中から引っ返して来た。が、どうも道を間違えたらしく、いつのまにか私は自分自身の足跡をも見失っていた。私はなんだか急に心細そうに雪を分けながら、それでも構わずにずんずん自分の小屋のありそうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするような気がし出していた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった・・・
 私はそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。そうして私は何か胸をしめつけられるような気持ちになりながら、きのう読み畢えたリルケの「レクイエム」の最後の数行が自分の口を衝いて出るがままに任せていた。



 
 帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢ができたら、
 死者達の間に死んでお出。死者にもたんと仕事はある。
 けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
 屡々遠くのものが私に助力をしてくれるように___私の裡で。