講演会も終わって・・・・ふと自分を振り返ってみた。
「癌という病気を自分が作った・・・]
癌の前
母は悪性リンパ腫・・・・運よく完治
父は乳がんと皮膚がん・・・・亡くなりました
私も恐れてて・・・検診していたなぁ。
子育ても終わって・・・娘も社会人にさせた年の検診で見つかった乳がん
毎年・・検査していたのに悪性が見つかったものは5年も過ぎててリンパにもいってた。
52歳の冬
父親と姑を見送って4年過ぎたとこ・・・・もう私が死ぬんだ・・・・・
と思ったね
自由にできたのは。4年間でした
病院の言われるように優等生の患者をしてきたね。
つらい治療も「大丈夫です」と。
そこには「スズランさんは、治療して・・・・死んでいった」と。
「それでよいと思う自分」がいたのは本当です
絶対に生き延びたいとも思えていなかったから・・・
子どもが社会人になってくれて。お役御免
この屋敷も抱えてて・・・・きつかった
誰にも褒められもせず・・
認められもせず・・・
して当たり前の暮らしがもう嫌だった
心も体も悲鳴をあげていたんだわ。
老後に希望もなくて・・・・・・不安だらけで
それでも笑うしかなくて。
夫が脳卒中で.倒れて。。。。
ひとりで何度も死のうとしたよ。
誰も助けちゃくれない
こんなにみんなの為に生きてきたのに・・・
自暴自棄
夫をほっておけない義務感で病院にもバスを乗り継いで通い
介護申請や
障害申請や
調べながら・・・・一人で頑張っても
誰も認めてもくれず・・・・
何度も車道に引っ張られそうになったり
電車のホームに落ちていきそうになったり・・・・
自殺したいわけではないけれど・・・悪魔に押されるような気持ち
再発しちゃったよ
当然だよね
眠れない
生きてることが悲しくて涙枯れない・・・・
身内が助けてくれないのに他人を頼れず・・・・自分で命を張ってたもんね
再発で抗がん剤も拒否しても・・・
娘が「生きててほしい。全部両親のこと看るから治療してほしい」と。
(いいよ・・・・治療してたけれど亡くなられました。これもありかな??)
娘も嫁に行き・・・・・
私がやるしかない
すぐ転移しちゃったね
当然だよね
自分のことも無理な体で夫の介護もしないと食べられない
二人の通帳記帳だけでも重労働
あの時出会った
もーみん
不思議だよね
光って見えたんだもん
泣き泣き行った「かくりん気功」
見つけたのは「足のツボの紙を持っていたもーみん」
「大丈夫ですよ」
「僕が治してあげるよ」
そんなわけ・・・・ないって思う自分と
「ほんまに??
転移して完治はありえないと8年も言われてきたのよ・・・・」
いいのよ・・・・もう駄目でいいのよ・・・・
楽になれたら・・・・それでよいと思ってたのよ
とにかく・・・・楽になれるならあの世に行きたい
治療もきつい
生きていることがつらい
自殺は家族に迷惑をかけるから・・・それだけは避けないと。
精神腫瘍内科にも駆け込んでいたよね
今から思うと
もーみんに全部吐き出していたから
カウンセラーにも夫のケアマネにも命の電話
がなくなったね
もーみんのあしもみ
もーみんの笑顔
もーみんの話でゲラゲラ笑うようなってたね

ホルモン注射
分子標的薬の副作用も足もみで助けてくれて・・・
笑わせてくれて・・
泣かせてくれて。
いつもボロボロの私
もーみんも仕事に疲れてて・・・・寝ちゃうし
ありえない二人三脚
私もヨガ・ウォーキング・・・・いろんなこと頑張ったよ
もーみんが私の細胞に「細胞さんありがとう。頑張ってるね・・・・ありがとう・・・・」と呪文のように唱えてるんだもん
細胞も生き返るよね
そのうちマイクロ波治療にも出会えたし
「がん治っちゃったよ全員集合」のスタッフにもなれたことで杉山先生にも出会えて
寺山先生にも出会えて
友人の勧めてくれるサプリメントにも出会えて
とにかくお金を使い果たしても・・・・
細胞さん。
生き返られるのなら・・・・
自分の為に生きなおそうと。
家族のためでもなく
家のためでもなく
自分の為に生きたいと思うようになっていたの
自分がやりたいことして・・・・逝ったねと言われるような生き方をするってやっと思えたの
細胞さん頑張って。
治らなくてもよいから・・・・維持でいていたらよいから・・・・
今回の講演会で一層そう思ったの
もうすぐ61歳
わがままに生きてみます
今までの自分に「さようなら」
我が家のピンクの雪柳



植えてもらったチューリップ

ボケ


ラッパ水仙

ハナニラ
