「望む自分を思われていたい人々」

最近知った事だが、世の中には”思われてなければ満足できない人”がいる。

安定した人格を持っていないかも知れない。

自分は周りの人にどう思われているのか不安であり不満な人だ。

何をどうして貰いたいかでは無く、”思われていたい”だけの迷惑な人がいる。


・あまり友達と思われてはいない。

・立派な人間として思われていたい。

などなど、


これは承認欲求と呼ばれるもので、欲求不満な人が多数派である。

10人いれば8人ぐらいはそういう雰囲気を醸し出している。

なかには態度に出す人も、それが露骨に顔に出てる人も多い。



「何故満たされないか?」

①方法を知らない

承認されたい、人から認められたいなどの欲求を満たす方法は”人の為に何かする事”や”人が喜ぶ事をする事である”社会から認められたければ社会貢献し、世間から認められたければ消防団にでも入り活動する。

承認とはすなわちコミュニティや価値観において認められる働きが無ければならない。

声高らかに主張すればいいってわけでもない。


②行動が無い。

方法論を知らないから当然行動も無い訳だ、ただ知らなくても経験則からそれを見出す人も中にはいるが、コミュニティに対する積極的な行動(貢献)がなければ認めてはくれない。

例えば、江戸っ子3代(江戸っ子と認めてもらうには3代目まで待たなければならない。)と言われるほど承認を得る作業というのは大変な事である。

京都は10代と言われるほど厳しいものだ。

ただ平然と暮らしているだけ、いい服を着ているだけでは世間様は認めてはくれない。


③減らす人がいる。

道端のゴミを拾っても、すぐにゴミを捨てる人が現れる。

イメージアップしても、すぐにイメージダウンになる様な自己中心的な人が多い。

そうなれば、すべてが水の泡である。

在らぬ腹を探られ、要らぬ濡れ衣を着せられてしまうと言う訳だ。



「こういう風に思われているから腹が立つ?」

人それぞれ違う環境に生まれ、違う親を持ち、違う友達がいる。

これにより価値観も違えば、思想も異なるのである。

人にどう思われているのだろうか?を知る前に相手の価値観を理解した方が早いのだ。

だから、コミュニケーションである。

コミュニケーションが出来なければ埋めようがない価値観の溝であって、否定した所で恨みを持たれるのが落ちであるから無関係と廃すればいいのである。

こういう人は認められ人ではないだろうか?



「最後に」

日本では憲法により”思想の自由”があるから

どう思っているから良い悪いは言われの無い事と言っていいのである。

かつて大日本帝国時代は思想警察というのがあった。

外国の人は日本人は国民を都合の良いように”洗脳している”と言ったのである。