レオンのブログ -5ページ目

レオンのブログ

ブログの説明を入力します。

去年の今日のことって日記に書いてたかな?と思って見てみたんだけど・・・

書いてるわけないか。

触れたくなかったのか?
思い出したくなかったのか?
日記だから重すぎること書かないようにしてたのか?

もっと思ってることいっぱいあるはずなのに、叫びたいくらいいっぱいあるはずなのに・・・あったはずなのに・・・・

腹の底から笑えるようになったのは、何ヶ月後のことだったかな?
いろんな人に出会えて、いろんな人の力をかりてやっと笑えるようになれた。
・・・・のに、これがマイミクさんが日記に書いてた『記念日反応』ってやつなのかな。

まずいな。

せっかく笑えるようになったのに
俺が沈んでちゃダメだってわかっているのに
去年の今日の感覚がよみがえる。

津波の轟音、ぶつかりあう瓦礫の音、遺体の感触、におい、圧迫されるような空気感・・・・

カラーがセピア色になりモノクロになって薄くなってきたものが一気にまたカラーに戻ったような感覚。


笑わなきゃ
笑わなきゃ
笑わなきゃ・・・


呪文のように唱えながらもう寝よう。

自分が震災当日、大槌町城山体育館に避難してたのでそこにも行きたかったが、妻のこともあり鵜住居防災センターに向かう。


午後2時46分、鵜住居防災センターで黙祷。


報道陣と遺族であろう人達で慌ただしかったセンター前は、サイレンの合図で
氷ついたように静かになる。


『ごめんなさい』と泣く妻。


妻と長女はマストにいて地震にあい、妻の実家の鵜住居に移動。
防災センター前で両親に会って話をし、避難してると安心し自宅に帰る。
途中、両石で防波堤を超える津波を目撃し、Uターンして再び鵜住居を通り片岸から完成したばかりのバイパスに津波に押されながらなんとか避難。
そのとき、防災センターがこんなことになってることは知らない。

サイレンが鳴り終え帰ろうとしたら、となりでボソッとつぶやいた。

『あの時車に乗せて一緒に来ていれば・・・』

しょうがないとはわかっていても、
妻にとっては、自分を責め続けた1年間。

俺にとっては、何をしてたのかわけわからん1年間。


それぞれの1年が過ぎ、これから少しでも前向きに
生きていけたらいいのかな・・・・