神農さんがいる薬局の店主のブログ

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日々、「健康で楽しく人生を送るにはどうすればいいのかな~」と考える薬局の店主のゆ~っくりとしたブログです(^^)/

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一週間断食、

昨日、無事終了しました。

長いようで短いようで…。

でもとりあえずホッとしてます(*^。^*)。

 

一週間の心と体の変化を簡単に。

 

第1日目…ほとんど変わらず(結構、私空腹に慣れてます(^^))。

 

第2日目…少しお腹が減った、何か食べたい感が強くなります(でも、まだ大丈夫)。

 

第3日目…若干、「なんでこんなことやっているんだろう」感が頭をもたげます。

精神的に若干不安定。

ここで気づいたのですが、断食には「メンタル面」が非常に大事だと思います。

「やめときゃよかった~」「断食なんてばからしい~」「あ~食べたい食べたい」「あ~自分ってバカだな~」と、マイナスの思考ばかりだと断食の効果が薄れると思います。

「この感覚の後に、なにかをつかめるかもしれない!」「よしっ!とにかくやれるところまでやるぞ~!!」

というプラスの勢いがとても重要だと感じます。

プラスに考えるか、マイナスに考えるか、この差は「天と地」ほどの差があるかも知れません。

 

第4日目…「食欲」という人間が生きていくうえで、もっとも強い欲望が抑えられる(というか考えなくてもよくなる)と、「本当に大切なもの」「人生の目的」「自分は何をするために生まれてきたのか」というものを考えるようになるようです。これはカッコつけでもなんでもありません、皆さんもやってみてください(^^)。

私は、「今本当にやりたいことは何か」とじっと考えたとき、「家族と会いたい、一緒に遊びたい」と思いましたね(*^。^*)。これマジです。

 

断食5日目~6日目…この頃になると、「いたって普通」になります。断食をするまえと体調はほとんど変わりません。

特に「食べた~い」という感覚もありません。

 

断食7日目(最終日)…いたって普通です。しかし、頭の「冴え」はいいような気がします。「やろう!」と思ったら「すぐやれる」軽やかさがあるように感じます。若干、「ボーっとした」感覚がありますが、頭はなんとなく澄み切っています。

もう少し続けると、次のレベルに登れるかも知れません(^^)。

 

さて、断食7日間が終わって、最終的に気付いたこと…。

それは、

 

「美味しいものを大切な人たちと楽しく食べる時間というものは非常に貴重なものだ」

 

ということです。

 

結局食べることに執着しているような・・・。

 

しかし、「食欲」というのは、人間にとってやはり「非常に重要な欲求」だと思います。

それに溺れてはいけませんが、「適度に食べる」「味わって食べる」「食べ物に感謝する」というのは、常に念頭に置いておくべきことだと思います。

 

皆さんも、大切な人と食べる毎日の食卓、この素晴らしさを改めて感じてくださいねビックリマーク

 

ちなみに体重は、53kg→49.7kg へと変化!ついに40キロ台に目

 

今朝は久しぶりに家族と一緒に朝食!復食第1食目です。

美味し~く食べましたゲラゲラ

 

 

「治療行為(医療行為)」は、日本では基本的に「医師」のみに許された行為とされています(一部の行為は看護師にも認められている)。

 

私は薬剤師ですが、薬局も「医療提供施設」と認められているため、薬剤師が行う行為も「医療補助行為」に該当するとされているようです。

 

「治療」とは、広義では「病気やケガを治すこと」との解釈になるようです。そうなると、医師、歯科医師、看護師の方々はもちろんのこと、薬剤師、登録販売者、鍼灸師、整体師、柔道整復師、理学療法士、作業療法士、カイロプラクターなど「医」に関わる人たちは(広義において)「治療行為」を行っていると言えるのではないでしょうか。

 

「治療」という言葉を聞くと、どうしてもこの「書」を思い出してしまいます。

 

「治療行為」に関わるすべての人たちの参考となるのではないでしょうか…。

 

野口晴哉 著 『治療の書』序文より

 

生くる者は生くる也 死ぬ者は死ぬ也

 このこと昔より少しも変らず。細胞の不老不死なること見つけても、その塊である人間の体に於て不老不死を実現せることかつて無く、今後医学がどのやうに発達し進歩したとして、人間はいつか死ぬこと覚悟して生きざる可からざる也。

 医学の進歩著しく、ペニシリンを見つけ、ストレプトマイシンを発見し、次から次へと新しき薬、新しき治療法 工夫さるるとも、出産に40週を要すること百万年前と毫も変らず。如何やうに工夫しても 細工をこらしても、無智の人の易々と造る人体のその一部すら智慧で造ること叶わず。生命の自然といふことの前には果敢なき智慧なることもとよりなるも 治療のことこの限界のうちに行はるる也。百年が二百年生くれば長く生きたつもりになって千年万年生くること想像だに出来ざる頭のはたらきにて治療のこと行ふといふこと ハッキリ知りおかざる可からず。

 病菌を殺すこと出来ても 病毒を無毒にする工夫についても いのちのこと 生くるは生き 死するは死するより一歩もはなれること出来ぬ也。是最新の医学を修めた人が最新の薬や道具をかかえて「御寿命ですなァ」と申すことやめざるも不思議無き也。人間の智慧狭き也。その狭きによりて治療のこと為すを得るは 生命の自然に順ふこと会するが故にして 之とはなれて治療といふこと無き也。

 生命の自然に順ふに於てのみ、生くるに生くる道ある也。この道会して治療のこと行ふ也。それ故治療のこと如何に進めど 生くるは生き 死するは死する也。治るは治るも 治らざるは治らざる也。

 治療といふこと その治りゆくを経過する技術也。ラヂウム積んでも レントゲンの機械並べても 生くるはたらき無ければ治らざる也。どんな新しき治療法発明されても 生きている人に非ざれば 治るといふこと無き也。工夫と細工で治すこと出来るつもりのうちは 治療といふこと 未だ会さざる也。

 

野口晴哉(19111976

明治四十四年九月、九人兄弟の次男として東京・上野に生まれる。幼い頃に患ったジフテリアの影響から言葉を話すのに不自由し、幼少期を過ごした漢方医の叔父の許では、さまざまな読書に明け暮れたという。

大正十二年、十二歳の時に関東大震災を体験し、焼け野原で苦しむ人たちが悼まれず、本能的に手をかざしたところ多くの人たちが快復、これをきっかけに治療家としての道を志す。

古今東西の健康法や療術などを独自に探求し、十五歳で入谷に道場を開き愉気活元運動を主体とした療術団体『自然健康保持会』を設立。

また、十七歳で「健康に生くることが自然順応の姿である」などとする『全生』を発表し、以後、一貫して「活き活きと生を全うする」ことを指針に据えた活動に入る。

日本治療師会の評議員を務め、大日本連合治療師会の創設にも寄与。そして治療理念の確立、諸療術の体系化を図る「整体操法」をまとめ上げ、昭和二十二年には整体操法の指導者育成機関として『整体操法協会』を設立。

昭和二十年代後半には身体を通した人間の個性研究とも言える「体癖論」の基礎を完成させた。

この頃から、病を治すことよりも人間本来の力を引き出して健康に導く自らの活動を「体育」と位置づけ、「治療」を捨てることを決意。

何かに頼ることなく 自らの足で立つことを指導理念に掲げ、昭和三十一年、そうした健康観に基づく体育団体社団法人整体協会』を文部科学省(旧文部省)の認可を受けて設立。

個人指導のほか活元運動の普及、愉気法などさまざまな整体法の講習会を全国各地で開き、心と体を一として考える独自の人間研究においても体癖をはじめ潜在意識の研究、子育て、教育などの分野にも踏み込み、多くの著作を残した。

カザルスを唯一の師と仰ぐほど音楽を愛し、妻昭子(一九一六~二〇〇四)との間には四人の子息をもうけ、昭和五十一年六月、東京・狛江の自宅にて家族に見守られ六十四歳で永眠

 

- 野口晴哉公式ホームページより -

 

 

 

大学時代に読んだ「サンクチュアリ」という漫画を無性に読みたくなって“大人買い”してしまいました(と言っても全巻中古で2,000円くらい)。

 

 

ポルポト政権下のカンボジアで幼少期を過ごした二人の青年が、“新しい日本人”を作り出すために奮闘するというお話です。

 

その中で、主人公の1人「浅見千秋」がつぶやく「自分の命は自分の意志で決めたかった」というセリフにピンッときました。

 

こう思うんです、「健康も同じだよな」と。

 

私は「『自分の心身の健康』は『自分の意志』で決めるもの」だと思います。

 

「専門家が言うことを“鵜呑み”にしない」

 

「自分で勉強して、自分で調べて、自分で考えて決める」

 

これからの私たちには、非常に重要なことだと思います。

 

もともと、私たち日本人には「専門家の言うことは素直にきく」ことが美徳(?)であるように感じる習性があるように感じます(あくまで私見)。

 

しかし 現代において、

「私の心身の病気については私は『専門家』ではないから分からない、あなたにお任せします」

と言って丸投げでは、話になりません。

 

“健康”は“健全な生命”に直結していると思います。

 

丸投げするということは、「自分の生命(いのち)」を他人に手渡していることに他なりません。

 

専門家の意見は、単なる“参考”です。

“参考資料”を集めて、熟考し、自分なりの“方法”を考えましょう。

 

専門家の意見を聞く、本を読む、ネットで調べる、経験者の話を聞く…、考えるための“参考資料”はどこからでも入手できます。

 

そして、自分で考え出した“方法”に従って行動する

 

もちろん、専門家が言った意見が、100%自分の意見と一致していれば問題はありませんが。

 

自分では納得していないのに(理解していないのに)、専門家の言うとおりに行動しなければいけない理由がどこにありますか?

 

ただ、自分が熟考して出した方法に従って行動しても納得がいく“結果”が出るかどうかは分かりません。

 

もし、その結果に納得がいかなかったら、もう一度熟考して新しい“方法”を考え出す、

 

その連続です。

 

 

「『自分の心身の健康』は『自分の意志』で決めるもの」ということを「自覚する」ということは、とても大切だと思います。