久しぶりのブログ。
樹木希林さん。
実はあんまり知らないんだけど。
下記の記事を読んで…
http://crea.bunshun.jp/articles/-/21459?device=smartphone&page=2
「『人は死ぬ』と実感できれば
しっかり生きられる」
と言う内容にとっても共感した。
ーーーーーーーーーー以下転載ーーーーーーーーーー
ゆくゆくは子供と一緒に住みます。面倒はみませんけど、面倒はみてもらいます。
自分のためには一人のほうがむしろ気楽なんですよ。でも、うちの娘なり、婿なり、その子供たちが、私の死に際を実感として感じられる。ずっと離れて暮らしていると、あまり感じられないのですね。「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられると思う。
AERA「私の夢みる大往生」1996年9月)
ーーーーーーーーーー転載終わりーーーーーーーーー
私の大好なお婆ちゃんが亡くなる時、
余命宣告されてから、しばらくして、
緩和ケア病棟に入っていたんだけどね。
24時間出入り自由。泊まりも自由。
高台にあって、景色も良くて、本当に素敵な場所。
自分も亡くなる時はこういう場所で亡くなりたいと思うような穏やかな所で。
亡くなる前日の晩、たまたま私一人で泊まって付き添ったんだけどね。
あぁ、もしかしたら、明日で最期かもなと。
何となく直感で。
空気感というかなんというか。
でね、昔言われた事があった。
『自分(祖母)は見送る人だ』って。
若い時に夫を看取って、兄弟を看取って、お世話になった人を看取って。
何かあれば、その話を聞かされていて。
だから、お婆ちゃんが亡くなる時、あ、もしかしたら、私もこれから、見送る人だよって言ってるんかな?自分が亡くなっていく姿を私にしっかりと見せてくれてるんかな。と感じた。
実際に、母でもなく、他の家族でもなく、私が前日に泊まったのも、きっとそういう事。
自分の死をもって、私に何か大切なものを教えてくれようとしたんじゃないかなと。
強く生きなさいと。
実際に仕事での往診先で、関わっていた患者さんが亡くなる事もあるんだけどね。
いつも思う事は
『ありがとうございます』
核家族化や人間関係の気薄から、身近で死を感じにくくなっている今、本当に有難い事だと。
亡くなってしまうのは、凄く悲しくて、淋しいけど、
いつも、その方の人生の一部に関わらせて貰って、ありがとうございます。という思いがある。
代わりにしっかり生きます。と心の中で思う。
息子達にも、出来れば色々な事を、生で感じて育って欲しい。
どう思うかは本人の自由。
強く生きる姿を見せたい。
優しくもあり、強くもあるそんな姿を見せたい。
そんな想いが、今の全ての活動に繋がっている気がする。
言葉で教えるよりも、体験が何よりの学びだと思うから。
樹木希林さん、亡くなった時、ニュースの名言聞きながら、多分本が出るなと思ったけど、やっぱり出るね。
読もう。
おしまい。