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知り合いからびとんのシガレットケースをもらった!
今までは、ソフトだから開けっ放しで放り込んでおくと葉が散らばって大変だったから、名刺ケースみたいな形のシガレットケースに入れてたんだけど、14本入りだからどうしても不便で。
しかもジッポ別で持たなきゃならないから最近は諦めてソフト裸のままポケットとかに入れて持ち運んでたから、お洒落で、ライターも一緒に保管できるこの形、なかなか助かる!
去年はいろんな人からジッポもらって、使い回してるんだけど、普段持ち運べるものが、大切な人たちからもらったものだというのは、使うたびに、嬉しくなる。大事にしよう)^o^(


この一年は、変化の年、だったかなあ。
一昨年の夏あたりにジャンルかわって、去年の年始あたりから今の仲間に出会って、その中には何年も何年も前から好きで、ファンだった人たちもいて、いつのまにかその人たちとアポなしのオールはもちろん、贈り物しあう仲になってたりして。
ファンの多い人たちばっかりだから、わたし、すごい場所にいるんだなぁ(苦笑)って、ふと我に返ったときに自分の立ち位置に自分で驚く。そんな年だった。
今年も一緒にいれることが幸せだなぁ。
年齢も地元も仕事もバラバラなのに、大学の子よりも大切だって思える。

思えばわたしは昔から、年上の人に、とても可愛がってもらえてた。
それも一個や二個の「先輩」レベルでなく。
わたしが、たぶん、そっちのほうが話しやすかったんだろうな。
年上なら当たり前だけど、わたしより知識も経験も豊富で、そして、だいたいの人が、わたしの溢した悩みや愚痴を受けとめてくれる寛容さを持っていた。
わたしは、縋りたかったし、守られたかったのだと思う。
だから、わたしを受けとめてくれて、大丈夫だよって言ってくれる、その一言が、何よりも嬉しかった。
一生忘れない人がいる。
中学、高校、大学の、一番つらくて、どうしようもない時期を、ひたすら助けてくれた、夫婦のことだけは、わたしは絶対に忘れない。
この一年で、環境の変化で、少しだけ疎遠になってしまっている現状が歯痒いけど、あの人たちがいなかったら、今のわたしはいなかった。
ずっとずっと大好きだし、また少し、わたしの近辺が落ち着いたら、連絡取ってみるつもり。
この一年も度々連絡しよう!と携帯を握るのだけど、でも赤ちゃん大変そうだしな…って思って、取れずにいたり。変なとこ、臆病なんだわ。

で、話が、戻るのだけど。
わたしが思う、そういう「年上の人」は、たいていの場合、そういう人と話すと吸収するものがたくさんあって、もっと知りたいって貪欲になれる空気を与えてくれた。それが心地よくて、安心できた。
現にわたしはあまり、タメと話すのが得意じゃない。
何を話したらいいかわからなくなるし、為になるような会話が成り立つわけないって最初からどこか諦めてる。の、かな。あんまり考えたことなかったかも。だから、うまく言えないけど。
もとよりあまり流行に芳しくないしね。芸能人のゴシップ笑うより、良かった本の話がしたいタイプ。私生活が派手でも、趣味はとってもインドアなんだよね。テレビより本読みたいし。

何の話だったか。

去年を振り返るには遅いし、今年を語るには早いけど、ふと誕生日が近づいて、すこしだけ話したくなった。


わたしは自覚済みの性悪だし、外見から怖がれたり、敵もつくりやすいけど、自分を好きだって言ってくれる人がいて、わたしも相手を好きだと胸はって言える人がいるというのは、とても幸せなことだなって再確認した。
今日の、こんなことがあったから、なおさら。
ちなみに父親は今、家出中。
自分が正しいと信じて疑わないまま、人に意見という名の援護を強いて、逆に自分が悪かったのだと指摘されて、思ってもみなかった言葉に傷付いてしまったらしい。
人を蔑んで、なじって、罵ることが十八番な人間とは思えない。
かわいそうとは思わない。
あの人は、逃げた。
逃げたんだよ。
メールで「離婚したいならしろ」ってふっかけたら「来春(妹の受験が終わる)までには」って流れになって焦ったのかなんなのか、父親、昼に帰ってきて話し合いしてたらしいんだけど。
わたしが出てからリベンジとか本当せこいな。

で、まあ、今「お前はどう思う」って電話で聞かれたわけだけど
どうもなにも、わたしは何年も前から反対ではないって、それなりに意思を伝えていたし、言葉で言ったりしていたんだけど、わっかんなかったのかなあ。
さっきの電話で思ったけど、内容も「俺が宥めても離婚するって譲らない」って感じだったから、本当に自分に原因があると思ってるんだろう。

離婚したら家族バラバラになってお前の立場もかわってくるし、大学だって中退だぞ覚悟あるのかって言われて
覚悟もなにも、実際わたしが今すぐ親からポイされて勝手に生きていけって言われても、現実的に考えて金銭的に難しい、か、無理だってのはわかってる。
だけど、それはわたしの問題であって、それが母親の決断を揺るがす一因になっちゃいけないと思うし、出来れば、わたしは気にしてほしくないなぁと、思ってしまう。
母親として子供を気にするなというのは無理だろうけれど。
あんなに愛してくれた人だもの。

わたしの覚悟が甘いとして、今すぐ自活する力がないにしても、それでも両親がこの先も一緒にいるのは、もう、よくないことだとしか思えないんだよなぁ。

だから、ほんと、こればかりは、わたしの覚悟を確かめるとか、試すとか、そういうものは、大して意味のない意見だと思う。

甘えだよなぁ。
わたしが自立できていたら、母親は今すぐにでも出ていけるのにと思うと、遣る瀬ない。

あーあ
帰りたくないなあ

これも甘えだよ
目の当たりにしたくないって、現実として受け止めたくないって、離婚に反対はないはずなのに、それでも思ってる。

仮面家族じゃない時間だって、わたしの家には、たしかにあったはずなのに。
朝から親の離婚騒動に巻き込まれて、気は重たいし、疲れたし、遅刻だし、散々だなぁ。
家庭のことで散々なんて、まあ、今までいくらでもあったけど。

離婚…は、反対じゃない。
逆に、母親は今までよく耐えたなって思ってしまうくらいに、頑張っていたと思う。
今さらだけど「耐えていた」って言葉がすんなり出るくらいなら、もっと力になってあげれば良かったのかもしれない。
出来る限り、力になって、一緒に頑張ってきたつもりだった。
だけど、もっと効率よく、母親を守ってあげられることが出来たんじゃないかなと、今だから思う。

離婚するなら、もっと早く、わたしが行動すれば良かったのかもしれない。
母親と一緒に、家出もした。
学校もなにもかも休んで、逃げた。
妹を迎えにいって、三人、母親の実家に逃げた。
血まみれでガレージに倒れていた母親を抱き起こして、泣いた。
父親に会いたくなくて、公園で一晩明かした。
階段から落ちて足を骨折したと聞いた母親のかわりに、家事をした。
本当は、父親に折られた怪我だった。

いろんなことがあったのに、思い出すだけで、こんなに泣けてしまうことなのに、どうして今まで、母親の我慢に甘えてきてしまったのだろう。

母親は幸せになるべき人だと思うから、第二の人生を歩むなら、わたしは精一杯、応援したい。


LOVE IS GIVEN UNTIL THE WORLD ENDS.


お昼買ったら、レシートに「超がんばれ!」って言ってもらったから

午後も頑張る。


明日で最終日だー

終わったら思い切り寝てやる!



中野佑香:Phantasmagoria (ピアノ二重奏)

最近、何か作業するときは、ずっと聴いてる。