妄信の対極にあるものも妄信 |

妄信の対極にあるものも妄信

久々に書いているわけですが、なんでこんなタイトルの記事を書こうと思ったかというと、色々あったわけですが……

一番は「マスコミは信用できない」という主張をしている人が「マスコミがこれを否定している。だからこれはあるんだ!」という主張をしているのに遭遇してしまったからとなります。

 

当たり前の話ですが「メディアが信用できるか、出来ないか」と「その報道されているものが正しいか、間違いか」は全く別の事象です。

私自身、マスコミの報道「全てが全てを信用できる」とまでいいません。

ただし逆に「全てが全て誤りである」等とも思いません。

それはつまり「ニュースで起きた事故や事件はマスコミが作り上げた嘘で1つもそんなのがあり得ない」という極端すぎる結論になることからもわかる話です。

 

ところが、行きつくところまで行きついた、というか極端な人は「マスコミが信用できない」という「妄信」の結果、

「マスコミがこれを否定している。だからこれはあるのだ」みたいなものにたどり着いてしまいます。

 

それって「マスコミの言っていることが全部正しいと思っている人」と妄信の方向性が正反対なだけって気が付かないのでしょうか。

 

 

勿論、実際のところは『私の考えでは』マスコミの言っていることは間違っていると「思いたい」という「自分の考えに合わせて」便利な道具としての「マスコミは信用できない」という武器を振りかざしているだけの場合が殆どです。

ただ、それ以外の明確な論拠がある場合はわざわざこんなことを書きませんから、

「自分の説の裏付けとして、『マスコミが信頼できない』という裏付けを用いている」ケースが非常に多いです。

 

共通点としては「真実は自分の目で確かめてください」とか「あなたは知らないだけです」とかの言葉を使う人が多いですが……

主に「根拠は明確にされていないが『あるのだ』」と口にするだけの人が多い傾向があります。

 

言ってしまえば「根拠も提示しないで口にするだけ」ならだれでもできるのですが。

 

リアルにそんな人に出会ったというので辟易しましたので、少々吐き出す形で書き上げました。