スフィンクス、皆さんが皆さんという存在のすべてを宣言するとすればどうでしょうか [スフィンクス]

スフィンクス
The Sphinx

スフィンクス、皆さんが皆さんという存在のすべてを宣言するとすればどうでしょうか
The Sphinx speaks what if you proclaim all that you are

26 November 2013 - 7:27pm
ペトラ・マルゴリス経由
Channeler: Petra Margolis

The sphinx speaks what if you proclaim all that you are

皆さんは神聖であり創造主達であり神々でありそしてその他諸々だ、と今まで伝えられてきたように、それはひとつのとても小さな段階になります。
 
皆さんは、皆さんの内部にすべての叡智を持ちます。

しかしその一方で、皆さんが、皆さんはひとりの創造主、神、神聖な存在であり、すべての叡智を所有すると宣言した時点で、皆さんは支配するために利用されている別の段階に遭遇しています。
 
そういったすべての物事になることについて過剰な強調が行われ、それにもかかわらず、皆さんが、皆さんはそのすべてであると宣言する時、皆さんは、今後皆さんを否定し、皆さんは傲慢で、霊的に無知で、その他諸々と呼ぶことになる、数多くの人々に遭遇することになるでしょう。
 
皆さんが到達するか、皆さんが既に到達していると考える水準がどのようなものであろうとも、すべての水準で作動する二元性を理解してください。
 
わたし達は創造主達である、わたしはひとりの創造主である、と皆さんが口にする時、何も問題はありません。
 
しかし皆さんがこれを宣言し、ひとり創造主のように行動する時、皆さんの周りの世界から、今回皆さんはすべて創造主だと皆さんに伝えていた存在達によって、沢山の干渉と反逆が何度も繰り返されることを、皆さんは理解することになるでしょう。
 
すべての皆さんが、皆さんは創造主で神聖なる存在等々と口にすることができて、しかしすべての皆さんが依然としてこれを受け止める方法を学んでいる限り、それは素晴らしいことになるでしょう。

しかし一部の人々が、その瞬間に、そして今までも自分達は創造主だ、神聖なる存在である等々と完全に容認する時、その人々は、自分達自身のやり方で自分達は創造主であり神聖なる存在だとかなり確信している別のすべての人々による不信に遭遇することになるでしょう。

 
皆さんの世界は二元性に基づいていて、そしてそれを理解する人々は、二元性を克服しようとします。
 
皆さんが既に二元性を克服したと宣言した時点で、皆さんは何度も、依然として二元性に取り組んでいる人々の反抗に遭遇することになるでしょう。
 
彼らの二元性の理解、または彼らの非二元性の理解は、皆さんはすべて依然として達成の道筋の途上にある、という事実と信念に基づいています。
 
ひとりの個人が非二元性の状態を達成した時点で、人々はこれを傲岸無知として理解することになるでしょう。
 
そして人々は、皆さん自身をひとりの非二元性の個人の状態として完全に受け入れる、その皆さんの権利を否定することになるでしょう。
 
これは、数多くの人々が今後二元性を乗り越えることがない、あるいは、二元性を乗り越えることができない姿です。
 
彼らの自尊心、彼らの自尊心の探求は、彼らが依然として探し続けているものを既に達成したと口にする誰かによって、妨げられています。
 
二元性を理解することは、皆さんの世界の中では、肯定と否定に基づいています。
 
真の二元性の理解は、皆さんの現実性の内部の数々のエネルギーとその運動の間の関係に基づいています。
 
皆さんの世界の中の二元性は、愛と憎悪、是と非という言葉に基づいています。
 
二元性は言葉を目的にしていません。
 
実際に二元性は霊の数々の世界の中に存在せず、存在するのはただ単に作用と反作用、押しと引きであり、創造の欠くことのできない部分の一部です。
 
一部の人々が、自分達は既に二元性を越えたひとつの状態に到達している、と口にすることができるのは、これがその理由です。
 
その二元性を越えた状態で、色々な意味で二元性のように見える可能性があるとしても、彼らは彼らを非二元性の状態のままにしておく言葉を使うことができます。
 
物質的な世界の中の非二元的なひとつの状態の内部には、依然としてある意味で是と非が存在しますが、しかし非二元的な状態は、彼ら自身の現実性の秩序の中で両方が起こることを許します。
 
これはひとりの創造主と神聖なる存在になることの一部であるため、皆さんが是または非と感じるものに立ち向かう自由意志の権利を持つことを意味します。
 
皆さんが皆さんに数々のメッセージを与えているこうした霊の中の存在達のすべてに目を向ける時、彼らは愛と憎悪について語りますが、それにもかかわらず、彼らの数多くは、ひとつの非二元的な世界の内部に存在し、それにもかかわらず、彼らは断定的に判断し、皆さんを傲慢と呼び、時に皆さんを無知だと叫びます。
 
そして皆さんが彼らの是と非の助言を鵜呑みにするのは愉快なことですが、それでも彼らは、彼らのメッセージを理解していないと彼らが理解する人々に対して、傲慢というような言葉を使います。
 
彼らが他の人々にこうした言葉を語ることを皆さんが許す間に、皆さんは、彼らの愛に溢れる思いやりを鵜呑みにします。
 
もしもこうした存在達が他の人々を断定的に判断することができて、皆さんを断定的に判断することができて、そして是と非となるものを皆さんに伝えることができるなら、思いやりとは実際に何を意味し、愛とは実際に何を意味するのでしょうか? 
 
そして皆さんは、彼らのメッセージを喜んで受け入れ、是と非となるものについて他の人々に伝え、一部の人々を無知だ、霊的に自覚していない、霊的に進歩していないその他諸々と叫びます。
 
ちょうど物質的な世界のように、皆さんは今まで数多くの下位範疇を用いて霊の世界を分類してきました。
 
皆さんは光の存在達を進んでいる存在として理解し、彼らが第一人者であり、皆さんは何度も目覚めていない人々を底辺、霊的に目覚めているすべての人々を中段だと理解します。
 
言うまでもなく、中段の部分は、新たに目覚めた人々、平均的に目覚めた人々、そしてほとんど完全に目覚めた人々のように、数多くの下位空間に分けられます。
 
認識されていないことが沢山あるため、本当に完全に目覚めている人など、誰もいません。
 
しかしひとりの神聖なる存在、創造主、二元性を越えた存在、皆さんがすべての限界を超えて確認できる要点に目覚めている存在として語ることは、色々な意味で再び容認されません。
 
それにもかかわらず、一部の人々はそのように理解され、崇拝されています。
 
まさに彼らが皆さんに皆さんの背後を感じさせる方法で彼らの目覚めている状態、神性を宣言しない限り、皆さんはまだそこにはいないことになり、皆さんの自尊心は、皆さんがより少なく感じるように急激に下がります。
 
皆さんは、彼らに無知、傲慢というような言葉を与えることによって、彼らの有用性、自己愛、自己受容という感覚を否定する数々の方法に気付きますが、皆さんはどのようにすれば、皆さん自身を完全に目覚めた光の存在達、霊的指導者達等々であると考えられる存在達と同じ水準に置くことができるのでしょうか... 
 
その誤魔化しは、一部の人々は傲慢無知であり、そして彼らは彼ら自身を自覚して目覚めている、神聖なる存在、あるいは既にそういった状態に達していると宣言する一方で、彼らは依然としてまだ完全にその状態になっていないという事実です。
 
それは人間の世界と同時に霊の世界であり、一部の存在はそこで、彼らは神聖なる光の存在であると宣言するほど傲慢です。
 
その通り、霊の世界でさえ、既にこのようになり始めていて、こうした存在達は何度も霊的指導者達、天使達、光の集団達、その他諸々と宣言します。
 
判断には数多くの異なる形、是と非の異なる形があります。
 
皆さん自身の把握は、こうした言葉と感覚に基づいています。
 
一部の教師達は、皆さんを飛躍させてさらに遠くに進ませるために、傲慢という言葉を使うことになるでしょう。
 
それにもかかわらず、その言葉はいつも同じ目的を携えるとは限らず、時に言葉はただ皆さんを気分悪くさせるために用いられます。
 
時にその言葉は、確認するため、そして皆さんにこうした言葉に執着させて他の人々の気分を害するために用いられます。
 
その通り、こころから現れて、より多くを認識し、彼らが認識するものを今後皆さんに伝えるようになる存在達がいますが、数多くの人々がこの人間の力を感じてこの力を自我と解釈するようになるため、皆さんはこれを受け入れることができません。
 
そういったひとりの個人からの言葉に皆さんが何度もひとつの否定的な反応を感じる時、皆さんは実際に、この個人の力を感じ、そして皆さんは反応します。
 
何故なら、一部の存在達は彼ら自身の力を受け入れることについて既にさらに遠くまで進んでいることを、皆さんが受け入れることができないからです。
 
皆さんは、こうした人々を傲慢で尊大だと考え、把握して達成する方法を学ぶひとつの長い道に彼らを何度も連れていったその力の内部に存在するという彼らの権利を否定します。
 
判断ということになると、皆さんが存在する目的を判断しているのは皆さんであり、皆さんが期待してそのために努力しているその状態を感じていない、あるいはまだその状態に到達していないまたは獲得していないのも、皆さんです。
 
他の人々がその状態を達成していると判断することは、皆さん自身という存在を判断し、皆さん自身の自己価値を判断し、皆さん自身の道筋を判断しています。
 
しかしこの外側の世界の感覚の中で、皆さんはまだそこに到達せず、内部で実際に誠実になることは非常に重要なことだという事実を受け入れずに、皆さんは、皆さん自身の内面の安定と皆さん自身の内面の状態のために他の人々を非難しようとして、何度もこうした判断の感覚を利用することになるでしょう。
 
数多くの人々が、自分自身に自尊心、自己愛を与えるために、この誠実さを利用します。
 
そしてこれは、正しい方法です。
 
しかし他の人々を皆さん自身の内面の安定の障害、皆さん自身の苦痛や傷と同じものとして理解することは、内部と皆さん自身という存在に対して、正直ではありません。
 
これは言うまでもなく、ほとんど霊のエネルギーの内部のことです。
 
何故なら、もしも誰かが皆さんを非難するなら、皆さんは明らかにそれが引き起こす苦痛のために他の人々を明らかに非難することができるからです。
 
しかし皆さんが皆さん自身のエネルギーの身体の内部で不安定を感じる時、安定に気付くための努力をする必要があるのは皆さんであり、その不安定を引き起こしているのは他の存在達ではなく、それは安定させることができない皆さんのエネルギーです。
 
言葉は皆さんを傷付けることはできないと皆さんが何度も皆さんの子供に教える時、これはまたその精神とこころに対しても当てはまります。
 
皆さんは今まで、皆さんの人生の数々の課題のこの部分を忘れてきました。
 
その通り、言葉はエネルギーを運びますが、しかし言葉は皆さんを物理的に傷付けることはできず、そして皆さんが内面の安定に留まることができる時、言葉はまた霊的にも皆さんを傷付けることはできません。
 
皆さんは、真の知識を持つ人々は進んで質問を受けることに気付くことになるでしょう。
 
まだ真の知識を取り戻していない人々は、何度も積極的に質問を受けることはありません。
 
偽りの偶像を崇拝する人々は、その人々の偶像の質問を許すことはないでしょう。
 
わたし達は、皆さんにこうした考えを残します。
 
誠実さは自尊心、自己愛を上回ります。
 
ひとつの根源から別の根源へ
2013年11月26日
ペトラ・マルゴリス
From one source to another
November 26, 2013
Petra Margolis
www.thesphinxspeaks.org
www.ascendedmasters.org

http://lightworkers.org/channeling/192305/sphinx-speaks-what-if-you-proclaim-all-you-are

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

★★★twinkle-star999様より転載★★★
http://twinkle-star999.blog.so-net.ne.jp/2014-01-11-1

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★謎かけ。

上記のチャネリング主のメッセージのような、今日の共感内容として(今日、つい先ほど、同じ事を考えて思考をしたり、トレースしていた的なもの)満載のメッセージは、どこから、どのように、誰(何)を起点として、伝わってくるのでしょう?

・なぜ翻訳者はこのメッセージを選択したのでしょうか?
・なぜブログ主は今日、このメッセージを掲載したのでしょうか?
・読者の誰かの思いや共感として伝わってきたのでしょうか?
・私が思ったときには、既に誰かが答えを用意しているのでしょうか?
・または、私の思いが伝わって、帰ってきているのでしょうか?
・単純に、チャネラーやメッセンジャーが起点だと思ってよいのだろうか?

★霊的な事に関する、ある理解について向上しようとしているとき(熱心に考えた時)、面白い事に、このように答え合わせのようにメッセージがやってくるのはなぜ?

そのような経験をしているひとは、「繋がり」の謎は解けているでしょうか?

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上記のチャネリングメッセージにあるように、誰かが既に、何かを達成し、そうなってしまったかの如くのメッセージで何だかおいてきぼりになったかのような気分になったりとか、私の言っていることが正しいとさも言いたげな傲慢的な文章などによる感じなどの連続で、しまいには、騙されたかのような気分になったりするのではないでしょうか。

そう言った水準から上昇するには、

高次的な水準から見るスキルを付けて行けば(イメージ的には、それを楽しむくらいの精神的な余裕、思考による理解、意識等が統合してくればということ。)、心乱されたとしても少しは楽になれ、安定してくるものです。

ただ、誠実な思いでなければ真実は見えてこず、理解にしろ何にしろ、真実の向上はしませんから、
高次的な水準から見るスキルを向上しつついれば、いろんな角度から物事を見れるようになり、且つ、情動を乱さないようにするような更なる何かの向上を見つけることになるのではないでしょうか。

今の時点で、スピリチュアルに関わっている人々に対して、私が感じる、多くの皆さんのレベルとは、

今の段階では、霊的なメッセージに感応(シンクロ)した事に対して、あれこれ考え、心乱されたり、高揚したり、嘘誠、いろいろおかしく感じたとしても、当たり外れ、他と全く正反対の事を言っている等、事実そうであっても、霊の存在との繋がりを感じれたという事に感謝するというスタンス「ハロー!こんにちわ!」でよいのではないだろうか?と思う事です。

チャネリングメッセージではごちゃごちゃ言っているように感じるけど、一つ二つ自分なりの誠の思いに共感するものがあれば、その部分に正神が感応してくれたと見てはどうでしょう?本当に誠があるなら、時間がかかっても理解を深めつつ、それが本当の誠かどうかまで見極める事ができるのではないでしょうか。

ひふみ神示では、「誠がありさえすれば、例え悪神でも何様を拝んでみても正神が感応する」と言っています。

誠とは、誠の行動から得た真実、経験、理解から、更に磨かれるものでもあるように思いますから、
誠が進めば、誠の心が定まっていないうちに起こしてしまうような短絡的な行動も少なくなってくるかもしれませんね。結果、選択する物事は、誠の幸せだけになっていく。みたいな。

これの言っていることは、例えば、偽者チャネラーであっても、新聞だろうと何だろうと、神(宇宙)は、今の瞬間についての、「私」の状態(レベル)に合った必要な情報(物事)を与えるように手配してくれている(物事を動かしてくれている)という事です。ただし、エゴまみれなところを通しては、なかなか、まともに伝わってこないのではないでしょうか。あれっ?と思うくらいで。

事実、私は、そのようなスタンスでメッセージにしろ何にしろ対応してきていて、いまでは、善悪、正邪など通り越えて、
身の回りの狭い範囲とはいえ、多分、エゴの部分かもしれないと思う部分を除けば奇跡的なハッピー状態となっています。いま、それを乗り越え、更に、自分自身も、全てがハッピーになれるように探っている所です。

チャネリングメッセージから何かを得ようとしている人ならば、メッセージだけに限って言えば、喋らない物と違い、言葉でくるし、程度の差はあるように感じても霊的なメッセージを上手に受けれる人々のフィルターを通してくるので、感応度合いがわかりやすくていいと思いませんか?

それが物や波動、霊的な事(心)を無視している相手との会話となれば、感応してるかどうかを確認するには、メッセージでも感応しているかどうかすらわからない人なら、もっと分からないような気がします。また、おそらくですが、波動が分かる人であっても、このような理解、体得ができない方々も多いのではないかと思いませんか?理解についてはという意味ではです。その逆も然りですが。

感応し得ない部分のメッセージについては、何かしら否定的に思えても、そのような事でないかもしれない事(謙虚になって)を踏まえて、情動にかられて混乱するくらいならば、メッセンジャーのメッセージを受けた人間の思考(レンズ)による歪みか、エゴとして解釈されていると見てみてはどうでしょう?

そうすれば、その者の発しているメッセージの内容がどうであれ、人は「繋がっている」、一つであるいう部分が感じられてくるのではないでしょうか。また、それだけにとどまらず、全ての物事は不思議な何かで繋がっているかもしれないという理解にも発展していきます。

他の信頼するソース(メッセージ)と正反対の内容を伝えるソース(メッセージ)は心を乱される類ですが、しかしそれでも、違う視点からみれば、人と人(または霊)は繋がっている、全ては繋がっているという観点から何かを教えてくれている可能性が見え隠れしてくるものです。感覚と思考を働かせる部分になってきます。

単に否定的になるより、霊的な世界やハートを理解するステップアップのチャンスと思って焦らず楽しむ方が気分いいです(笑)理解か、別の何かの真実が必要になるでしょうから、分からないなら、分からないで、心に止めておいくだけでもよいでしょうね。

こうやってみていけば、

「霊からの挨拶程度のメッセージである」と思えますし、霊と人とが繋がっている発見を素直に受け入れられますし、また、謙虚になれて気が楽になるかもですね。違う角度から見れば、人と人の繋がりを霊が教えてくれているとも思えませんか?また、霊の存在についてもです。

このように謙虚に見る事が高次的な現れの理解の為には良いことだらけです。ただ、
自分自身ののエゴ的なものや、生まれついてからの常識や刷り込まれで意識の制限をしてしまっているマインドが何であるかを自分自身についての心の内面や思考がどうなっている(た)か理解しておくことは、自分自身の進歩の役に立っているメッセンジャーや、ピックアップすべき部分を見分ける能力や、また、何らかの行動をしていく場合に役立つ気がします。

なぜチャネリングメッセージの中にエゴの部分があるように思えるかと言えば、一般的に意味不明といわれる、ひふみ神事の膨大な内容を理解していけばしていくほど、霊から降りてくるメッセージを理解するには、今のようなチャネリングメッセージの形態として伝わってくるメッセージくらいの内容では、毎日読んでいたとしても、霊、または、その世界の何だかをまともに理解できるはずもない事が分かってきますし、チャネリングメッセージに感応したからといって(感応しないなら尚更のことですが)、あの人この人、あの神この神、善悪、正邪、正誤を判断し、断定してしまうのは、何と、浅く、バカらしい事をやっているのか分かってきます。

(ひふみでは理解できなくても、それを、わかりやすく伝えてきているので分からない人は見る意味、価値があると思いませんか?)、長らく付き合っていると、結局、ひふみ神事に書かれていた事の一部の事を伝えようとしていたのだったとやっと分かってくる(その時点で両者の言いたいことが噛み合うことになる)ものです。あの意味不明な事の意味が分かるのですよ?楽しくなって来ます。うまく乗せられている気がするというか(笑)

ひふみ神示で言っている意味が分かっていないのに、その意味が分かるまでメッセージについて批判、断定するという事を繰り替えしていた事もあったという、なんともお粗末なバカな事に気づいたのです。そういう事で日々のチャネリングメッセージの内容からだけで、その霊やその世界の何かが分ったように(明らかに違うだろ?外れただろ?と思うような事でも)、批判して完結してしまうという事は、浅はかであると思うわけで、霊の世界とのコンタクトとその理解が始まっているに過ぎないって事に感じるわけです。

直接、見聞きするような感じでメッセージを受けれれば!
物体で出てくれば!

と思うかもしれませんが、最初のコンタクトとしては、見えない存在の認識ができれば、まずまずの進歩であり、喜ぶところではないでしょうか。コンタクトとはそういうものではないかと。それに、それだけの事から、単なる理屈でないところからいろんな理解に発展していきます。まあ、結論的には、何があっても不思議ではないという事になりますが、その何かについての心の置き所と言うか、心構えというか、そういうものと関係しているようにも感じます。

それ以上の事は、一般的にひふみ神事が難解で意味不明と言われるように、まともには人間の思考でははなかなか理解できないでしょうし、分かっても人に教えても伝わらないだろうし(ないけどそれは
あるんだという説明で終わるでしょうね。)、霊の存在としても、霊を知ってもらうキッカケ、目的となっていれば、霊的な部分でのファーストコンタクトとして成功していると見れるのではないでしょうか。

外部的なファーストコンタクトがあるにしても、霊的な何かを認識していおり、且つ、受け入れられるだけの心がなければ、それがない人々は、果たして、それを体験することはできるのだろうか?なんて事を考えるのは、地上平面的、個人的な考えに基づいているのでは思う所です。地上人的数の理屈で沢山の理解者がいれば可能かもなどと思うのです。

これにつていは理解がなくとも「ある」一つの人間的な思考からくる理はあるとしても、高次的なものであればとても一言で語り尽くせるほどのものではないでしょうから、完全と言っていいほど私の妄想と言えるかもです。・・・これが、脅迫的、傲慢的、不愉快に感じるチャネリングメッセージだったり、誰かの霊的向上についての報告だったりと、伝わってくる、ありがちな部分ではないでしょうか。

そのような霊的な「繋がり」の目的に値する物事は、今も昔も、ずっとあったし、いままで無視されてきただけと言ってる存在がいますし、事実、今も昔も、ずっと、神託、メッセジャーが存在してきたことからして、そうなのでしょう。

霊的な世界の在り方について、今まで気づかなかった者、気づき始めてもそれが何であるか認識するだけの機会がなかった者にとっては、認識して意識同士とでも言えばいいような繋がりを発見する事は、まさに、異次元とのファーストコンタクトが始まっていると言えるのではないでしょうか。

気づいて欲しいという霊からの願いのメッセージであり、三次元平面思考的である我々にとっては、それが良くも悪くも強烈な印象に残って、霊が存在すると認めているレベルで何かしら思えたという事は、既に「大事な何か」を思いだし始めているのではないでしょうか。

最初のコンタクトが成功していると、
祝うべき事かもですし、挨拶程度くらいのものだと思えれば、今までのどんなメッセージも軽いものだったと思えてくるものです。そして、更に楽しいことに繋がる可能性が想像できます。

天使や何らかの存在は、ずっ~っと、挨拶しつづけている(た)ということでしょうか(笑)
はよう、気づけ~!!アホー!!とか、
聞こえないことを良い事に言った事があったかどうかは・・・みたいな。

繋がりを感じるという、たったこれだけの事でも、どんなメッセージ(新聞や書籍、ゴシップ記事だとしても)、出来事、物質であっても、それに感応する事があれば、心の動きや、霊的な関連性について今までの常識が怪しく思えてきて、いろんなところに霊的な物事が関係しているように感じ、また、理解を深めようとして、良くも悪くも真剣になれるものです。

それを無視せず、このように認識することを繰り返し心がけていると、あるとき、ふと、ひふみ神示を読み返したとき、その内容が何と奥深い事かと分かり、もうわかったつもりになっていたことでも、さらにその奥が見えてくるという具合です。

このように、霊的な何かを掴んで、更に、奥を見つけたと思っても、些細な事に思えるようなシンクロニシティ的な体験を積み重ねるうちに、新たに考え、想い巡らせてみる作業を続けていると、まだまだ、三次元的な平面的な見方であり、または、少し他人とは違った見方をしているに過ぎないのではないかとわかってくる次第です。

だから、霊の世界や高次元といった世界を理解したいと思う者としてのファーストコンタクトとしてはこの程度の繋がりと思っていても、そこから理解、想像を深めるには十分過ぎるレベルともいえそうです。それだけ高次の世界は深いと言えると思います。でも、事実は単純でしょうね。

見えない物事、心に価値があるという事がわかっていれば、この話の可能性の意味が分かると思います。そして、面白い事にそのようになっていくようです。だから続けています。でも、ひふみ神示や、あるチャネラーの盲信者でもありません。なぜなら、霊的な部分の自己を確立する作業は自分にとっての真実の積み重ねしかないという事です。

小さな体験でも積み重ねて(ささいな事が多いので忘れては意味ないかも。個人的な考えですが。)理解し納得するか、単純にそのようなものだとまったく疑わずに(それってどういうでしょうね^^)受け入れれるのならば、分かることです。そして限りなく無茶だと感じるのは一般的な思いや常識が邪魔をするからのようです。

神と人、その処理方法の融合した姿がなかなか描けないものですが、そういう感覚(エネルギー的に感じる)が少しずつ沸いてくる(近寄ってくる)感じがする・・・そのような感じでしょうか。

そのうち、あるのにない、なにのにあるという世界が、普通な事になってくるかもですね。


*この話は、その時々の意識の水準に合わせた物事が引き寄せられているのではないだろうかという洞察に繋がりそうです。結構高い水準で思考したなと思えるときは、かなりの感応具合(全文一致に近い状態等)です。

これをメッセージ以外の現実に反映させ感じるに至には、なかなか難があるように感じますが、それは応用であり、そこに向けている認識と理解、意識(心)の水準なのかもですね。一人の思い?でこの現実です。大勢が「ある」意識をすれば?

その「ある」は様々でしょう。

夢がありますね^^

そして、気づけば気づくほど、責任感を感じてきそうな話ではないでしょうか。

だから、エゴや他人に支配されてしまっての悲しくなるような限られた実力ではなく、霊的な本来の実力で物事を実現するには、自分自身のマインド(いつの間にかコントロールされている部分も)にも気づき、浄化する必要もありますね。