メタトロン:高調波のポータル 2014年-2038年-2075年-第3の再臨の定着 [大天使メタトロン] link to twinkle-star999様

・善一筋とか、清貧は間違った教えなど、ひふみ神示に書いてある事と同じ事を言っています。
ひふみ神示では、「清貧は負け惜しみ」とまで言ってます。

多くの方々が、偽善の善の教えのために、潜在意識的な負け惜しみ意識が根付いているのではないでしょうか。悪の仕組みに染まった世界に長らくいたので、清い富ってなんだっけ?症候群。

私はキリスト教や仏教、神道等に関して「子供の頃から何かキモチワルイ」と思ってたため、それほど縁がなく無宗教状態なのですが、それらの教えが家庭や社会に蔓延しているため知らず知らずのうちに洗脳されているのです。

いつの間にか神や仏のイメージをインプットされており、マインドが違った考えをする度に、神への冒涜や良心の呵責、バチ、罪などといったカタチで、見たことも感じた事もない神仏、天使に関系する事の恐れが多々埋め込まれていました。

幸い、そのような存在であってはおかしいと、どこかに思っていた事は、ここ数年の神や天使云々の理解のためには幸運に働いたように思います。

おそらく多くの方も、清貧などという言葉を聞くと、神聖さを感じるのではないでしょうか。そして、スピリチュアルな行いは清貧であるべきとか・・・

神や天使の存在に気づきだした当時は、理解もなく、だったら世界が狂っているのは金だろう(怒)!!的な感じで、「それがなくなれば論者」となって、憤ったものです。

・霊は現金が足りなくなることは無いとのことです。

事実、お金が悪い訳ではありません。それが無くなれば、それを使う人の心の闇も一緒に解決するというのなら話は別でしょうが、それは理屈に過ぎないでしょう。納得するまで時間がかかりましたが(笑)自分の心を覗いて綺麗な心になるまでやり続ける努力をしてみればわかることです。

私は神秘探検ごっこして、霊(神、天使)と遊んでいるだけなのに、与えられつつ更に現金に困っていませんし、遊んでもらっている感覚なので楽しく過ごせてますし幸せに感じています。

ただ、それは、神を感じ、納得行くまで理解を進めるためのプロセスとして天から支援されるのであって、托鉢の様な清貧の生活を求める事は神や天使の趣旨ではないのではないだろうかということです。

何故なら、教えを広めてみたところで、真実は人それぞれ、自分自身が体験しなければ理解できない事です。これが、教えでなく、道でなければならない理由です。托鉢をしながら教えを守るのは、単なる歴史の遺物を伝える歴史保存家ではないでしょうか。

神の理解や道を広める気があるなら、自分自身が神を感じ、信じ切れるという真実と理解が必要であり、それは歴史の遺物を守ることを主にするのではなく、誰もが理解できるような何らかの方法を見つけ、それを普段の生活や社会に溶けこませる創造をすることではないでしょうか。

歴史の遺物は、神秘の存在に対するメッセージ性としての役割は大いにあるものですが、ある創始者が発見した真実の一部が共有されているだけのものであり、真実を見つける人のための参考になるかもしれないという大いなる知恵の結果としての物ではないでしょうか。

私の今までの体験から考察すると、托鉢やお布施と言った方法でお金や物を集める事は、歴史保存の為か生活の為の単なるお金集めの行為であって、神や仏、特に自分自身の神性や神秘を見い出す行になっていないように感じるのです。

神秘を見出し、神を掴むまでの理解の期間であれば、托鉢のような清貧も美しい事でしょうが、教えとしての托鉢行を行えば神秘的な何かが掴めるという可能性があまりにも感じられなく・・・更に、神や真理を掴めなければ、そこらの商人と同じで、商売人で終わってしまいます。

尚悪いことに、神や仏の名を語る分、偽善の商人、外道の善、修行と勉強はしたけどつかめなかったら、単なる頭でっかちのスコタンか、間抜けという事になってしまいます。

また、そこだけ取り出して行をする姿に対しては、清貧に神聖さがあるような、そのようなイメージ(神=清貧:修行=荒行、苦行:などなど、そういうのがあたかも真実か神秘体験の秘訣であるかのようなマインドになっていませんか?)を植え付けてしまうようにも感じてしまいます。修行ってあのような格好をしてPR、宣伝広告するものなんでしょうか。

奇跡の連続である普通の生活の中に神秘を見つけなければ何を神秘と思うつもりなのかという事です。どこで神や仏を見つけるのでしょう?寺院で見つけるのでしょうか?これ結構重要だと思います。

神を感じ、確信し、理解し、信じきる事ができてきたなら・・・

次に、神という真実に向かえる神聖な創造物(組織、モノ、仕組み、空気)を社会に溶け込ませることではないかと思います。そこでは真実の創造物から利を得ることで富を得る事が可能になるでしょうから、それは人々に真実を与えるため清富であり、お金にも汚れがありません。

普遍的に、神の原理に向かう組織作りモノづくりを見出す事が世界を変えるのではないでしょうか。そう言う意味では、寺院や宗教、仏像等は、なるほど、よくやったと関心すべきところですが、寺院や仏像ばかり更に作っては、他の生産ができませんし、それしか神や真実を追求できないというのであれば、関係者以外は助かる可能性がありません。理屈です(笑)

結果的な話になってしまいますが、私なら神を信じているからそれ(托鉢のような事)をやらないという事になります。それは神秘の理解のプロセスとして結果的に実現するものなのではないでしょうか。それでこそ、神秘ではないでしょうか。

今までの個人的な体験をプロセス的にまとめてみると・・・
*観察タイトル:神を感じたい。
*観察プロセス:
①どのように神が働いているのかという観察と理解
②確信し、信じ、心に従って行動
③結果的に理解を増す環境となっていた。

・神や天使を感じるのと信じる事とは同じ事のようで少し違うようです。
・神を感じたい心は、その神秘に向かっていく事なのではないでしょうか。
・神秘に向かっていくのですから、理解の為のプロセスとして、「神秘的に」托鉢状態になっていたというのがしっくりきます。
・神や天使が働いてくれたと確信して感謝するところです。
・これは天が施してくれた理解へのプロセスであり、人それぞれ体験する事は違うハズです。また、同じような人もいる事でしょう。

今思えば、理解に合わせて無理なく進んできているのです。まさに、これこそが、神秘というものではないでしょうか。

※別に宗教や托鉢僧を批判しているわけでなく、真に求めている人へ向けて一個人の体験からの考察を共有しているだけですので、あしからず。です。

あと、理解の手助けがあったというか、、「清貧の誓い」が托鉢と関連しているキーワードで、チャネリングメッセージとシンクロしていたようなので、いつものとおりにやっているだけという話もありますが。

・キリスト教に托鉢修道士の教えに「清貧の誓い」なるものがあるようですね。托鉢繋がり。何故に托鉢と思っていたのですがこれでスッキリです。

*上記のように、神を感じて理解し信じきる努力をしていたら、気づけば「与えられ続けられる」事となっており、それ故に何かお返しをしてあげたいという、下記のような思いに至るまでに関連しています。

個人個人が天使やアセンデッド・マスターが繋がる今、寺院や宗教団体、ヒーラーに全員がなる事が必要なのではなく、神の理解が必要な原理、真実へ誰もが入れるような物(事)を創造すことだと感じています。

それを見い出せれば、発見できれば、この世にスーパーマン要らずですし、皆がそうなれるという事が自分で体得できるのではないでしょうか。


・誰もが普遍的に利用するようなモノ(ゴト)。
・簡単に、誰でも作れて、使えるようなモノ(ゴト)。
・それを利用すると心の中心に向かう意味がわかるようになるモノ(ゴト)。
・その原理を学ぶことは神の真実に向かう事になるようなモノ(ゴト)。
・一家に一台、携帯可能、誰でも利用可能

例:それがあれば、いつでもどこでも、心の状態がわかるようになり、心の調子が悪い=インフルエンザと同じような事であると誰もがわかるようになること。

みたいな感じ。