内に全てがあり体が宇宙=内にはすべての神々存在
無限の存在故に、三次元的に大きかろうが小さかろうが、無限の存在
内は無限、外は有限
他の宇宙(他人)が創りだしたものが無限に見えても、それは幻影
外部もまた神の現れ。物を拝んでも神に通づるが自分自身がそれなのである。
外はそれぞれの宇宙を見て経験するための結果であり常に変化しつつある
創造の結果であり変化の中から経験を得て霊的な目的を達成しつつオリジナルの宇宙を創造しつつある
神々様の総体である私が外部宇宙(他人や万物)との接点を持つ外交員の私であり、神々様と共同創造の作業しているのであるから総体の外交員である私が内なる神々全部を脇に置いて支配し嘘をつくのはよくない。
総体を維持するために外部宇宙との接点が強い(現実が強烈な)ために内部の働きを忘れ(内と外をまつらう事を忘れ。)内に感謝を忘れてしまう。その結果として外にも感謝できない現実を感じる。
肉体に入り経験の為に他の神々を忘れてしまう事であたかも自由に感じるのであるが、外部の変化に対する神への感謝や経験の楽しみが薄れマインドが穢されたままになり神の真の力を阻害してしまう。故に神のない現実、且つ不幸せに感じる事で即それが幻影に。日々の神への感謝が大事な理由かも。
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国民毎日総出で信仰している国々さえある中、何処かイマイチな事になっている国々が多くある現実などからして神や神々といった存在の理解は大事なようである。
神があるのにおかしいではないか?というような事が続くならばその教え自体に問題があるか心の内に問題があるという事などから探ることができる。
悪神はないという事を信じられれば悪神は自らが作り出した神である事に気づけるかもしれない。悪神はないが出てきてしまったら神の存在と在り方に気付く時、肯定的に捉える事ができれば神か天使のお手伝い(笑)。正しい愛や喜びを悟り出すときなのかもね。
*例え悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。 by ひふみ神示
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外部から内部に対する神々への伝達が神々のないままの感情だけで(自我=外部接点の神々のみで)ネガティブ、ポジティブにに偏向される事で、マインドが偏向し、内部の神々による創造の自由性を阻害し自我と内部が調和せず真実の穏やかさが阻害される。
人間が自由の中で調和を維持できまでに発達するまでは、獣性が強く、道徳や社会性などの躾が必要であったためそれが機能していたが、とうとう自立に向かいつつある。時の霊的偉人はその時、その後の人々の為に霊的な意味を強烈に伝え何時の時代でも霊的な存在を思い出させるために奇跡を起こした。世界規模で情報が共有できない時代ではそれが最善の方法だった。
各地で霊的偉人は現れるものの、人々のすべてが助かるような奇跡は、偶像的、依存的になってしまい内面に進むという進歩が遅れてしまうので、それ以降、殆ど起きなかった。起こさなかった。
今は、個人個人が世界的なネットワークで繋がりつつあり、体験による真実がものをいう時代なので宗教的なところに頼らずとも、神や仏、天使を見出せるようになってきた。また、様々な繋がりから宗教でなくても個々の体験の情報を元に世界観を構築できてしまう。一人よりも多くが語るほうが真実であり現実的な事は明白である。且つ、自分を救うのは自分という事を証明しつつ自覚になりつつある。まさに予定通り。
このように内=外である事が明らかになりつつあり自立に向かっている。内側の大事さがわかってくることで、どんな自分自身であれば良いのかも見えてくる。どのような世界にしたいかは自分自身の行動や経験・意思が決めているということを内から知ることが目的だったのではないだろうか。
この三次元で適切な創造主として・・・自主的に平和に生きるには獣性を乗り越える必要があったため、人になってからも、いろいろ名残や条件付け癖などの問題があり、文化の発展や、宗教、道徳、技術革新など、様々なあり方を経て、今となった。
内面に自立を産み新しい世界の新の創造神になることの土台ができつつあり、神々としては自立した自由の中で、善一筋、真の平和な世界を叶えることがよいのではないかと、いろんな角度から提案しているようである。
聞く耳を持つものは助かる。
とは強制的に自立させられるのかな?最終期限ありなのかも。または、新しい世界の創造者として楽しく参加出来ないことは霊にとっては体を失いかねない事になる可能性や悔しいことなのかも。体を失う=神々が助からないということに・・・等などいろいろ妄想できますが、霊的に向上しないのは死んでも生きていてもあまり楽しい結果にならなさそうである。
霊的向上は、特に新しい話ではないが、目覚めが(霊的なレベルが急激に上昇している)煽られている今、人の目に見えなくても、やる人はやっているわけで、全体的に霊的なレベルが上昇しているのだから転生や違う展開があると考えてみたとしても、同じ世界での転生や違う展開について、ついていけなくなるという事ではないだろうか。
私達は神の細胞である。
というのは神は沢山の宇宙を創造しつつあるということ。自分自身の細胞もまたそれぞれの宇宙であるということ。細胞一つ一つを幸せにできるのは自分自身。それらが幸せである事で自分自身が幸せであるということ。神=幸せ。または、疑いもなく日(光)に向かっている天性的な幸せ者。
人は神に似せられて作られているとは。
自分自身の未来の姿である世界(宇宙的なもの)のひな形は人体である!ただし、どんな世界になるのかは細胞(マインドと関係ありそうな潜在的なもの。)一つ一つの記憶による。人体的構造が世界(何もかも)を投影するクリスタル的な意味合い。
意図する事でも可能であるようだから内に向かう瞑想等がおすすめされているようである。
救世主は自分自身である。
世界は幸せ=神を見出す事が難しく感じる事など様々な要因があり、いつしか諦めてしまったのか創造主としての向上を避けたり怠けている(不健康、貪欲などに埋もれている)魂も沢山いるようである。未知の方法での繋がり等から存在を感じだしてから余計にそう思うこと。
善一筋という言葉だけを考えても、どこまで、人の心は凸凹になっているのかと、いまさらながら、よくもまーというか、相当に汚染されてしまっているものです。そしてイザ気づいてみると、光がどこにも見当たらない!そんな感じになるのかも。
自分が光になって道を開くしかないという結論になってくる。
・内から創り出すこと。
霊主体従
ライオンと羊と人が柵もなく喰い合いせずに過ごしている世界・・・
今後、そんなの理想だよ!何て言われるような「自分を含めて総ての為の世界観」とそれを創造する神々(アルファオメガ、超副々立体(次元的)構造としての自分自身であり神々様)を信じ感謝する心が重要になってくるかもですね。
無限の存在故に、三次元的に大きかろうが小さかろうが、無限の存在
内は無限、外は有限
他の宇宙(他人)が創りだしたものが無限に見えても、それは幻影
外部もまた神の現れ。物を拝んでも神に通づるが自分自身がそれなのである。
外はそれぞれの宇宙を見て経験するための結果であり常に変化しつつある
創造の結果であり変化の中から経験を得て霊的な目的を達成しつつオリジナルの宇宙を創造しつつある
神々様の総体である私が外部宇宙(他人や万物)との接点を持つ外交員の私であり、神々様と共同創造の作業しているのであるから総体の外交員である私が内なる神々全部を脇に置いて支配し嘘をつくのはよくない。
総体を維持するために外部宇宙との接点が強い(現実が強烈な)ために内部の働きを忘れ(内と外をまつらう事を忘れ。)内に感謝を忘れてしまう。その結果として外にも感謝できない現実を感じる。
肉体に入り経験の為に他の神々を忘れてしまう事であたかも自由に感じるのであるが、外部の変化に対する神への感謝や経験の楽しみが薄れマインドが穢されたままになり神の真の力を阻害してしまう。故に神のない現実、且つ不幸せに感じる事で即それが幻影に。日々の神への感謝が大事な理由かも。
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国民毎日総出で信仰している国々さえある中、何処かイマイチな事になっている国々が多くある現実などからして神や神々といった存在の理解は大事なようである。
神があるのにおかしいではないか?というような事が続くならばその教え自体に問題があるか心の内に問題があるという事などから探ることができる。
悪神はないという事を信じられれば悪神は自らが作り出した神である事に気づけるかもしれない。悪神はないが出てきてしまったら神の存在と在り方に気付く時、肯定的に捉える事ができれば神か天使のお手伝い(笑)。正しい愛や喜びを悟り出すときなのかもね。
*例え悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。 by ひふみ神示
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外部から内部に対する神々への伝達が神々のないままの感情だけで(自我=外部接点の神々のみで)ネガティブ、ポジティブにに偏向される事で、マインドが偏向し、内部の神々による創造の自由性を阻害し自我と内部が調和せず真実の穏やかさが阻害される。
人間が自由の中で調和を維持できまでに発達するまでは、獣性が強く、道徳や社会性などの躾が必要であったためそれが機能していたが、とうとう自立に向かいつつある。時の霊的偉人はその時、その後の人々の為に霊的な意味を強烈に伝え何時の時代でも霊的な存在を思い出させるために奇跡を起こした。世界規模で情報が共有できない時代ではそれが最善の方法だった。
各地で霊的偉人は現れるものの、人々のすべてが助かるような奇跡は、偶像的、依存的になってしまい内面に進むという進歩が遅れてしまうので、それ以降、殆ど起きなかった。起こさなかった。
今は、個人個人が世界的なネットワークで繋がりつつあり、体験による真実がものをいう時代なので宗教的なところに頼らずとも、神や仏、天使を見出せるようになってきた。また、様々な繋がりから宗教でなくても個々の体験の情報を元に世界観を構築できてしまう。一人よりも多くが語るほうが真実であり現実的な事は明白である。且つ、自分を救うのは自分という事を証明しつつ自覚になりつつある。まさに予定通り。
このように内=外である事が明らかになりつつあり自立に向かっている。内側の大事さがわかってくることで、どんな自分自身であれば良いのかも見えてくる。どのような世界にしたいかは自分自身の行動や経験・意思が決めているということを内から知ることが目的だったのではないだろうか。
この三次元で適切な創造主として・・・自主的に平和に生きるには獣性を乗り越える必要があったため、人になってからも、いろいろ名残や条件付け癖などの問題があり、文化の発展や、宗教、道徳、技術革新など、様々なあり方を経て、今となった。
内面に自立を産み新しい世界の新の創造神になることの土台ができつつあり、神々としては自立した自由の中で、善一筋、真の平和な世界を叶えることがよいのではないかと、いろんな角度から提案しているようである。
聞く耳を持つものは助かる。
とは強制的に自立させられるのかな?最終期限ありなのかも。または、新しい世界の創造者として楽しく参加出来ないことは霊にとっては体を失いかねない事になる可能性や悔しいことなのかも。体を失う=神々が助からないということに・・・等などいろいろ妄想できますが、霊的に向上しないのは死んでも生きていてもあまり楽しい結果にならなさそうである。
霊的向上は、特に新しい話ではないが、目覚めが(霊的なレベルが急激に上昇している)煽られている今、人の目に見えなくても、やる人はやっているわけで、全体的に霊的なレベルが上昇しているのだから転生や違う展開があると考えてみたとしても、同じ世界での転生や違う展開について、ついていけなくなるという事ではないだろうか。
私達は神の細胞である。
というのは神は沢山の宇宙を創造しつつあるということ。自分自身の細胞もまたそれぞれの宇宙であるということ。細胞一つ一つを幸せにできるのは自分自身。それらが幸せである事で自分自身が幸せであるということ。神=幸せ。または、疑いもなく日(光)に向かっている天性的な幸せ者。
人は神に似せられて作られているとは。
自分自身の未来の姿である世界(宇宙的なもの)のひな形は人体である!ただし、どんな世界になるのかは細胞(マインドと関係ありそうな潜在的なもの。)一つ一つの記憶による。人体的構造が世界(何もかも)を投影するクリスタル的な意味合い。
意図する事でも可能であるようだから内に向かう瞑想等がおすすめされているようである。
救世主は自分自身である。
世界は幸せ=神を見出す事が難しく感じる事など様々な要因があり、いつしか諦めてしまったのか創造主としての向上を避けたり怠けている(不健康、貪欲などに埋もれている)魂も沢山いるようである。未知の方法での繋がり等から存在を感じだしてから余計にそう思うこと。
善一筋という言葉だけを考えても、どこまで、人の心は凸凹になっているのかと、いまさらながら、よくもまーというか、相当に汚染されてしまっているものです。そしてイザ気づいてみると、光がどこにも見当たらない!そんな感じになるのかも。
自分が光になって道を開くしかないという結論になってくる。
・内から創り出すこと。
霊主体従
ライオンと羊と人が柵もなく喰い合いせずに過ごしている世界・・・
今後、そんなの理想だよ!何て言われるような「自分を含めて総ての為の世界観」とそれを創造する神々(アルファオメガ、超副々立体(次元的)構造としての自分自身であり神々様)を信じ感謝する心が重要になってくるかもですね。