善一筋、神一筋を言い出したあとに、こうなりました。w

下記、

人に対するあれこれが終わったと思ったら、今度は神々様でwそれも、悪神と名の付く神々様

悪神はいない・・・悪魔を作り出しているのは人間・・・わかっちゃいるのだけどなかなかこれ難しい。というのは、日々、アチラコチラの情報源から悪魔云々と舞い込んでくる始末wほんと、人様よ、勘弁して下さい。ってな感じです。何がしたい!と。

人が悪魔を創りだすとは名言です。悪は自分の事を悪だと思っておらん。by 日月神示 

そりゃ、それが正義だと、真実だと思ってやってれば、悪的でも本人にはわからないわけで。そういう人々は正義か神の肩代わりのつもりでやってるのでしょうが、私から見たら神を悪者にして、またはそのようなものだとして悪魔を伝導している本人そのものですよwwwwって教えてあげたいんだけどなぁ・・・

人間が勝手に、その一部の神の力だけを利用したか、勝手に神を作り出し妄想してしでかした話かもしれないだろう事に関して、あれこれ思い浮かぶのです。

それらが存在しいてようがいまいが。人が創りだした悪魔さん達を妄想しては、思い悩まされるわけです。とういうか、勝手に思考が走りだして止まらない感覚です。

この妄想というか、別に考えたくもないのに湧いてくるというか・・・どんなメソッドも通用しなく・・・天使さん、おーい!!と叫んでみても・・・みたいな。(まあ、それが答えなんでしょうけどw)

特にそれらに恐怖があるわけでもなく・・・。過去にブログにも書いたオーブ的な光と関連していそうなのです。それが頭の中に移動してきているとき、光のポイントが停止している時に巻き起こるようです。

※オーブ光と言っていますが、チャクラ(>O<)の型に似ているので、チャクラの浄化の時なのかもですね。光を視覚的に感じないならば、その光を感じる前までの感覚と比較すると・・・おそらく、何故か思考が一点に集中して頭が重くなるような時、そうなっているのだと思います。

頭から(思考やら思いが)離れない!って時です。

以前は、何かヤバいものじゃないかと思ったこともあったのですが、いつの日だったか受け入れた事がありそれとなく気づいたものです。まあ、それから毎度の如くなのですが・・・どうやら何かを訴えているわけです・・・

そのオーブのような物は、意識的動かす事もできるのですが、今回は忘れてました^^;いや、意識的に放置しておいた感じでした。もう、なになに??今度はなんだよーwまたかよーwって感じです。・・・これは意識が乗り越える必要がある時だからだとわかっているからだと思います。

自我的には目標に対して今更感があり、気持ち悪くて、ああでもないこうでもないと考えるのですが、これ・・・わざとやられているというか、意識ってすごいなーと思う部分です。意識が、やろうとしていることに関して自己矛盾を提示しくるケースなのです。

今回の場合、善一筋=神一筋と叩き込んでいるわけですが・・・神=全てであるわけです。悪神だろうと全ての一部なわけです。とは言え、神(霊)には、悪も善もないのです。

ですが、日々の生活の中で仕入れてしまった情報により感化されてないつもりでも、何処かにそれが生じてしまうのです。

中庸が何となくわかってきた頃から、こういう事が起きているのですが、これは、矛盾解消装置が働いているのではと思っています。これこそ二元性の学びのシステムじゃないか?とか思うこともあります。チャネラーがこの世は学校であるなんて事を言っていても、どうにも認めるに至ってませんでしたが、それを認めた一つの理由でもあるのです。

これに関しては既に自覚しているところで、毎日、厄払い福払いをしているのですが、それをオーバーした時の保護的、修正的なものではないかと思っています。これ、気づかないままだったら、どうなるのか・・・感受性と妄想の優れた人なら・・・今、思うと、ああ!って思う人いますよねwww

善悪の内側の世界でなく、二元性(外だけを見ている)の世界の人で、もし気づいていないなら、凸凹ゲームに気づかずに、人生とはこんなもの!として経験のドツボで楽しんでいることでしょう。皮肉のような皮肉でないような。それもまた選択でしょうか(笑)イロイロー♫

これ、自己の中心がないケースだと、どうなるでしょう?憑き物妄想か、状態によって、都合の良い神にも悪にもなると思いませんか?

二元的な場合で人生とはこんなもの!という何かしらの自己の中心さえない人なら、良い悪い一方的、排他的に、または、鬱的になるととかの原因の一つではないかと思います。

鬱的な人はチャクラを調整すると案外開放されたり?開放されても理解がないとどうなるのかな・・・?単純にチャクラを調整すれば良いだけの代物ではない気がするあたり、神聖的な理解への促しなどの慎重さもいるような気もします。

二元性の矛盾解決の機構だとすると逆のケースもありそうですが不明です。これで中庸による自己の確立をする事の大事さがわかってくると思います。

さて、人が神と一体になり善一筋になるのなら全ては一つであるので、悪とか善も和合する必要があるのです。※二元的な話ではありませんよ。内面の話です。その上で内にも外にも、善一筋の力が働き出すのではないでしょうか。心の凸凹を平らにして霊の純粋性を内外に表現するという意味にも繋がります。

善悪はこの世の学校のための二元的現れ。いきなり、神レベル(霊の水準)で、善悪はありえないでしょう?神の順番は大事かも。

二元性に渦巻いている神々様の不名誉w善悪を純粋な光に!
神々様の不名誉を回復し善一筋の光に!

既に解決しましたが、以前なら、謎解きに相当時間かかってましたので、少し位は進歩しているようです♪慣れとは偉大なものです。