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By Arcturian Group
JULY 6, 2014
親愛なる皆さ ん、私たちは非常に多くの人達にとってこの世界が如何に難しいものになっているかが分かるので、再び愛と勇気づけの言葉を携えてご挨拶にやって来ました。 実に、物事は有るべきように進行しているので、三次元の意識が現実化しているイメージの理解を通じて見られることによって落胆しないようにして下さい。こ の理解は仏陀の覚醒の経験でした。仏陀は当時、他の人達に教えようとしましたが、ほとんどの人達は仏陀の考えを完全には理解出来ず、全世界は幻想だと信じ ていたので、他者の苦悩を無視しても差し支えありませんでした。世界は現実であり、幻想を形成する二元性と分離の意識という誤った解釈なのです。
あなた方が自分の関心、思考、心配などに幻想を与えると、それらに自分のエネルギーで力を与えます。たった一つの力しかなく、彼等がより高い次元の気づきの状態から解釈していることについてはこの一つのものが永遠の現実なのです。
神は自分を権力 闘争、戦争、憎悪、病気、あるいは今現実として見られる如何なるネガティブな状況も形成していません。これらのことは二元性と分離という世界の意識に基づ くマインドの解釈なのです。愛は一つのものの中での多くのものの間をつなげ、対話をさせますが、この対話は分離という信念が信念系に取り込まれると著しく 歪みます。如何に多くのものが信じようとも、過ちは決して真実にはなりません。あなた方が2×2が5になると繰り返し言ったとして、全世界がどうしたとしても、決して真実にはなりません。
あなた方がこの 世界の中で目撃している増加しつつある暴力のような事の多くは、長い間形成されていた陰の隅々まで射し込んでいるより高い次元周波数のエネルギーの効果で あり、この世界がより暴力的で密度が高くなっているかのように見せますが、実際には、観察され、変化を受ける必要があることを照らしているだけなのです。 あなた方が不調和を見ながらも静かに真実を見つめる都度、普遍的な人間の意識からの古いエネルギーの解消を助ける仕事をしているのです。あなた方の仕事 は、見られ、聞かれ、味わわれ、触れられ、嗅がれること全ての真実(イメージの背後に有るスピリチュアルな現実)を知ることなのです。
私たちはこれを 何回となく述べたことが有りますが、繰り返して言います。これがライトワークであり、これが、幻想の中に入り込み力を与えるのではなく、現実と力をより強 く感じそれらを固定しようとすることによることが、あなた方のライトワーカーとしての生き方なのです。これは多くの人がゆったりと座って、盲目的に” あっ、それは幻想で、そんなことをする必要はない、”という過ちを犯すという意味ではありません。これは、見かけには何ら法則はなく、あるいは指示すべき 者はないと言うことが分かった後にのみあなた方が行うように導く人間の全ての歩みを進めることを意味します。あなた方のエネルギーはもはや、過去において は深い影響を受けていた多くの事と共鳴することがないので、それらから離れるようになることが分かるでしょう。
さて、これか ら、戦争で殺害し、殺害される時の言い訳として最もしばしば使われる”自由”についてお話をしたいと思います。自由はあなた方の神聖な生来の権利です。神 を投獄することはできないのですから、あなた方は現実において自由ではないことはあり得ません。自分が誰でどのような存在なのかをあなた方が学ぶので、あ なた方は自分が何時も自由であり、自由であったことに気が付くようになるでしょう。あなた方が監獄の中に幽閉されているとしても、自分自身は自由であり、 この深い真実があなた方の意識状態になることが分かり、あなた方の自由は外部的に実現するでしょう。
自由は意識の状態であり、戦争、権力闘争、あるいは他者 の滅亡からは決して得られるものではありません。自由は既にあなた方の中に組み込まれていて、他者(実際には違う形のあなた方自身で、全ては同じ”材料” からできている)に起きる結果如何に関わらず獲得しなければならないという信念が二元性と分離の信念システムにおける高みにあり、それから利益を得る立場 にある者によって維持され続けています。自由は非常に長い間人間を既に自分の内側にあるものを外部に求めるように導いてきた、未進化の意識状態の無視であ るだけなのです。あなた方は、新しく、より高い次元の自由を理解し経験する方法へと移行する為に十分に進化しているのです。
人間が進化し、 より高い次元の暮らし方を実現すると、これが、真実が認められ、生かされなければならないというレッスンです。最初のステップは、力だけを持っている何 か、あるいは誰かに、あなた方自身の中にある力を与えるのを止める事です。力であると思われるものは、普遍的な人間のマインドの中に保持されている、二元 性と分離という信念によって歪んだマインドという信念の結果なのです。
これはある人た ちにとっては飲み込むことが難しいかもしれませんが、全ての人は進化の過程の有る段階で、唯一の力しかないとの気づきが得られるので、世界が力として表現 する事が気にならなくなり始めます。あなた方が生き、動き、唯一の力しかないことに気が付くと、誰かがあなた方を何らかの形の束縛を加えようとしても、内 なる自由を経験することでしょう。あなた方はあらゆることと同じように、内なる意識状態が外部的なものとして表われるとして見ます。自由はいつもそうであ るように、あなた方のものですが、世界はこれを知らず、そのために外部にそれを求めようと戦ってきたのです。
容易には得られ ないものを作り出す立場に有ると自分自身を見る人達は、自由が自分の内側にあることに気付き始めたとしても何も変わらないと思うかもしれません。そうだと してもいらだったりせず、見かけ上肉体的、感情的、あるいは心理的な自由がないとしても学びと進化の為に個人が特に選択したあるカルマ上のレッスンが普通 は関係しています。このレッスンには、現実を超越して学び、動く必要があるので、自由が具現化されるのです。これはあなた方が人間の足取りを踏めないとい う意味ではなく、ある状況から逃れるかどうかに関して非常に正直でなければならないか、あるいはその必要性を超越して進化したかのいずれかです。未進化の ソウルにとって適切な種類の行動は進化した者には正しくはないことを分かって下さい。常に自分の直感を信頼して下さい。
よく言われている言い方があります、”自由は自由ではな い、”と。自由は認識され、主張される時には自由であると解釈して下さい。戦争はそれから利益を得る立場にある者によって創り出されたものであることを決 して忘れないようにして下さい。全てのものは一つのものの中に有ります。あなた方は多くの者として唯一の個しかないという立場を取る者に対して戦っている のであり、他の状態ではあり得ません。
戦争のエネルギーと”自由”の名の下にそれから利益を得る者は人間が目覚めるにつれて、無の中へと消滅しなければならないのですから、これらの真実をハートの中に仕舞い、じっくりと考えて下さい。
私たちはアルク トゥルスグループです。
翻訳:TAKIさん?いつもありがとうございます~。
※ちょっと解読不明なところもありましたが、今日も素晴らしいメッセージでした。
ひふみ神示 第24巻 黄金の巻
第九十八帖
大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。止まると悪となるぞ。神の理(ミチ)は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。善と悪との動き、心得なされよ。悪は悪ならず、悪にくむが悪。(一月三日)
第八十七帖
まことに改心出来たと、神が見届けたら、今度はこの世はもとより、何の心配もないやうに守って、肉体、顔まで変へてやるぞ。宿命と運命は同じでない。磨けばどんなにでも光るぞ。放っておいても神に背くものは自滅して行き、従ふものは弥栄えて行くぞ。其処に神の能(ハタラキ)、よくさとりて下されよ。人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なふぞ。ありとあるもの、何んでも彼んでも天地の御用持ってゐるのぞ。そのものの勝手な道は許さんぞ。大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えるぞ。大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのであるぞ。判りたか。(一月三日)
*三次元の意識が現実化しているイメージの理解を通じて見られることによって落胆しないようにして下さい。
思ったより世界の進化は進んでいるようです。個人で思っているより進んでいる事・・・いや・・・もっと大きな何かが働いている事を発見できた時の境地も素晴らしいものです!
*1.神の言う真実の愛のあり方、歓喜や愛についての理解を向上させている時に発見できるものかもしれません。
やはり、全ての人々が幸せになれるってどんなだろうな?という問題意識について自己解決と発想の集中を続けている間に起きる気付きと同時に認識されます!
世界が神で動いているという事実。神はいつも歓喜しており神の愛はいつも与えられているのです!来るべき世のより良いあり方について、気づいた!理解した!これだ!と思ったら既にそれはそうなっていた(る)!という事実の発見は認識の固定化ですね。
それを認識する処理(*1)をすればそこからもっと大きな存在としての、神が歓喜で弥栄えている様の一部が見えてくるみたいです。
認識している事の更に上があった!認識が狭かった!と思うかもしれません。何れにしろ自身の心境の向上または新しい認識が生まれ歓喜する事がわかるでしょう。
奇跡だと思ってない中に奇跡(神の働き)を見つける感じです。大きな喜びとしての神がある中での安心立命感や小さな自分としての喜びを感じることでしょう。
ブッダか主イエスが、実際に、この時代に生まれたかったと言ったかどうかの事実までは知りませんが、その言葉の意味ががわかるような気がします。
なんせ、こんな私であっても、気づきの為の道具としてネット等を利用したりして内外の一致として、神の働きの一部まで物質的に垣間見る事ができてしまうくらいですから、そりゃ楽しくないわけないでしょう!
ブッダや主イエスのような能力があって気付きに対する認識ができるならそりゃ想像もつかないくらい地上に存在する事に意義を感じられると思ったことでしょうね!共感できる話です。
日々、即断即決を迫られる世の中、あまりあくせくしている中で、これらの事を気づくにはレベルが高すぎるのかもですね。何に重きを置くかの選択なのかもしれません。