「みたま」と呼んでいるスピリットたちとの脳内対話で気づいたこと、気になったことを書いてます。
きっとスピリチュアル全開。
スピ体験満載の日々を自分なりに消化したくて。

Treat the all spirits of the Universe with respect

どんなひとの意見も真実。
ここに書くのはわたしの真実。



神様は上にいる?



神様は上にいて、上から見ていると思っている

ひとは多いのではないのかな。


物事の全体を眺めて意味を知ろうと思ったときは、

視野を、視点を変えていかなければ気づかないことは多い。


神様の言葉とされる多くの教えは、俯瞰して世

界を眺めた言葉が多いのではないのかな。


また、高級霊と低級霊なんていう例えがあって、

低級はものごとへの執着がつよく、

高級は執着を手放して自由で、とか。


高低で言えば、低いより高いを良しとする、と。

そういう考え方が一般的なのではないだろうか。



だけど、目線を低くしなければ見えないことは多い。


執着していると苦しくもなるけど、


執着した結果、突破できることもある。


執着は集中であって、

そこに良いも悪いもない。


ただ、一点に凝り固まりすぎると

身動きとれなくなってしまう。



だから、時折、ふんわりそれを解す柔軟性はあったほうがいい。



神様は常に上にいる、


わけではない。


常に、ともに、いまここにいて、


わたしたちに視点を変えて全体をみてごらん、


って気づかせるために俯瞰してくれる。


でも、俯瞰しているだけじゃない。



わたしが対話している「みたま※」はよく私に、



「上目使いの応援をしているよ(゜-゜)」



といいます。


たぶん、これは、自分たちは上から眺めているわけではないよ、


と私に言いたいんだと思います。

※(みたまって名乗ったから。)



上も下も右も左もない



世界を平面だと思ってた時代であれば、

そりゃそう思うだろう。


でも、もう、地球は丸いって、

この事実を知ってから久しいわけで。


くるくるくるくる回ってるから、


想像が難しいだろうけど、



地球は丸い。そして常に回ってる。



そろそろ、視点を変えてもいいのかなって。



自分の立ち位置を一旦認識するには、

上下左右を確認するけどね。



でも、事実は、くるくるくるくるしていて、


上がすごくて下はそうじゃないわけでも、


高いが尊くて低いはそうじゃないわけでもない。



みたまとのやりとりで、


わたしはそう思うようになったって話。


かなり、目が


回ったけど(◎-◎;)