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Carpe diem カルぺ ディエム

『今この瞬間を生き切る✨』
日々の気づき、「歌」のこと、「食」のこと。
時には「オタク」のことも。。。etc
綴っていきます。

こんにちは、
 
お盆ですね。
 
ご先祖さまは、
 
「いつも側にいて守って下さっている」
 
と感じています。
 
が、この時期は、特に近くにきてくださるような気がします。
 
 
先日、父から祖父の写真を見せてもらいました。
 
祖父は、父が小学生の頃に亡くなっています。
 
なので、私は、祖父の姿を一度も、見たことがありませんでした。
 
父から、
 
「たった一枚、写真が現存しているよ」
 
と聞いたので、
 
「ぜひ、祖父の顔が見てみたい!!!」
 
と、何度も頼み込んだところ、年老いた叔母がはるばる九州から大切な写真を送ってくれました。
 
初めて見る祖父の姿
 
 
二人の叔母(父の姉)です。
 
 
祖父が、上海に営んでいたお店で、使っていた封筒です。
 
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祖父は、戦時中、中国の「上海」で、「有田焼き」などを扱う、食器店を営んでいたそうです。
 
(下の写真が、そのお店の封筒です。これも貴重な一枚が残っていました。)
 
商売は繁盛し、祖父は弟家族を上海に呼び寄せて、一緒にお商売をしていました。
 
当時は、大きな家を持ち、裕福な暮らしだったそうです。
 
(二階のバルコニー風の廊下から、祖父が一階にいる父をいつも呼んでいたのが、印象に残っているそうです。)
 
そして、現地人のお手伝いさんを雇っていました。
 
日本が戦争に負け、祖父一家は、日本に引き揚げなければならなくなりました。
 
混乱の中、祖父一家は、なけなしの状態で、トラックに隠れるように乗り込み、港へ向かいました。
 
そして、日本への引き揚げ船に乗ろうとした時、その当時、4歳になる父の姿が見当たらなかったそうです。
 
そもそも、トラックに乗っていなかったのか、どうかもわかりません。
 
みんな、慌てたことだろうと思います。
 
こっそり隠れて港まで見送りに来ていた祖父のお手伝いさんたちが、そのことを聞いて、すぐさま、喧騒の中を探し回ってくださったそうです。
 
ようやく、父を見つけ、出発直前、ギリギリに間に合って、船に乗せてくださったそうです。
 
祖父は、常日頃、雇っていたお手伝いさんの方々をとても大切にしていたそうです。
 
(周りの日本人は、そうでない人の方が多かったそうです。)
 
ですので、終戦後の日本人に対して厳しい状況下でも、彼ら(彼女ら)は、親身になって、父を探してくださったのでしょう。
 
国籍や身分を超え、人間本来が持つ
 
「純粋な愛」
 
「その人そのものの存在を尊重する」
 
「愛する」
 
こと。
 
そんな大きな愛と人徳を持っていた祖父。
 
戦時中に、海外に渡り、一から商売を始めて、成功させたダイナミックなエネルギーを持つ祖父。
 
そんな尊敬する祖父の血を引いている自分も、なんだか誇りに思え、感謝の念でいっぱいになります✨