母と私 | シングルママと不登校児のまいにち

母と私

子供関連の本を読んだりすると必ず私には湧き上がって来る感情がありました。 それは自分の母親に対する 「私はこんなふうには育ててもらえなかった。」「母は私のことを一度だって誉めてくれたことなんかなかった。」「自分は親にけなされて育った。」... という思いでした。


私は子供の頃とてもおとなしくて静かな子でした。 友達どうしでは普通に遊ぶけど、よその人の前に出ると何も口のきけない子で、 今でもよく母の知り合いには「さくらちゃんはいつもいるのかいないのか分からないくらい静かだったわよねぇ」と言われます。 兄弟げんかもほとんどした記憶がないし、 というかケンカするくらいなら欲しい物も最初から妹に譲ってしまうような子でした。 いつも母に怒られないかと母の顔色をうかがって、おもちゃなどをしつこくねだるようなことは絶対しませんでした。


そんな私はまるっきり手のかからない子だったと思います。 ところが母にとってそういう私は子供らしくない嫌な子と映っていたようです。


小学校1年生くらいのある日、私は学校で書いた絵を先生に褒められてとっても嬉しくて、家に帰ってすぐ母にその絵を見せました。ところが母はその絵を見て「これなあに?え、これ木のつもりなの? あははは。」とばかにしたように笑ったのです。  その時私は「お母さんにも褒めてもらえる」という気持ちでいっぱいだったと思います。 なので絵を見て笑われたことがすごくショックでした。 悲しくて、下を向いていたら涙がこぼれて来ました。 するとそんな私を見た母はいらいらした調子で、「何よ、誉めてもらえなかったからって泣くなんて、気の強い子だよ。」と怒り出しました。 その時私はなんで気の強い子なんて言われるのか分からなくてずっと下を向いていました。 


母は子供を褒めたりすればつけあがる(傲慢な子になる)と思っている人でした。 だから何かをして褒められるということは絶対なかったし、むしろ私が何かを上手に出来たと思っているような時は何かしら悪い部分をみつけて指摘をしました。 


また私は運動が不得意でかけっこはいつもビリだったのですが、運動会でビリを取ると家に帰って両親そろって私の走り方をカメみたいだとか言って笑いました。 私も一緒になって笑いましたが本当は内心とても傷付きました。 大勢が見守る中でビリになるのが恥ずかしくて運動会は大嫌いでした。 もしあの頃の私に会えるのなら、「一生懸命走ればビリでも恥ずかしくないよ」と言ってあげたい。 誰かそんなふうに言ってくれていたらきっと運動会が楽しくなったのに。


私は自分の気持ちを親に訴えるということが出来ませんでした。 なので自分では理由があってやっていることでも頭ごなしに決め付けられて「悪い子」にされてしまうこともよくありました。


母はよく「あなたは絶対にあやまろうとしない子だった」と言います。 私に言わせれば、あやまるような悪いことをした覚えがないのです。 


私は家では「ぼけ」とか「うすのろ」とか「気がきかない」などと言われて褒める所など一つもない子のように扱われました。 母の気持ちとしては「うすのろ」とばかにすれば「なにくそ」と這い上がって来るだろうと期待したのでしょうが、結果は逆でした。 けなされれば子供は自分はそういう人間だと思ってしまうのだと思います。 そして良くなるどころか自暴自棄になってしまうのです。


家では自分にはいる価値がないと思っていた私は逆に学校では頑張りました。 もしかしたら私は先生に褒めてほしくて必死だったのかもしれません。 学校自体は好きじゃありませんでした。 でも頑張れば先生が自分を認めてくれたから、だから一生懸命いい子になろうと努力しました。


母は今でも私の子供達を悪く言うことがよくあります。 私に対しては「あの子は頭がおかしいんじゃないかね」とか、「あの子はダメだ」「あの子は伸びないよ」などと言い、本人に対しては出来ないことについて「ほらMはこんなことも出来ないんだから」とけなします。 そのたび私はとても嫌な気持ちになるのです。


母は「褒められたいために何かを頑張るのはおかしい」と言います。 でも、そうでしょうか? 人って誰でも誰かに褒めてほしいんじゃないでしょうか。 高倉健さんだってお母さんに褒められたくてずっと頑張って来たって書いていたじゃないですか。 私は今でも誰かに褒めて欲しくて頑張っています。 一生懸命やった時、誰かが軽い気持ちで褒めてくれた一言がとても嬉しくて、あとあとまでそれが頑張る力になったりします。


だから私は子供のことを見る時は長所ばっかり見てやって褒めてあげればいいと思うのです。 実際には短所が目につきやすいものですが、長所と短所って表裏一体だったりするでしょう。 長所に気付かせてやれば子供自身もそこを伸ばそうと自然に伸びて行くのではないかと思っているのです。