みなさんこんばんは ACEです
仙台は強い大雨です
最近バイクのカバーが風でどこかへ飛んでしまい
私のNinja250Rくんが雨にずぶぬれになってしまって
切なくなります
晴れたら拭きあげて油さしてあげよっと

---------------------------------------ヒヨコ

さて、あと二日で3月11日になりますね
今日は震災の日の話をしたいと思います
みなさんは、あの日、あの時間に何をしていましたか?

私は仙台の中心部にあるオフィスの最上階で働いてました
当時の私は煙草を吸っていたので
休憩をしに、一階の喫煙スペース(立体駐車場の入口)に行きました

煙草に火をつけた時と ちょうど同時刻でしょうか
あの揺れが始まりました

連日、地震が相次いでいたので「またか」と思い
同じ喫煙スペースにいる他の階の女性と顔を見合わせていたら

ドーン!と大きな衝撃が来ました
ドーン!!!ガタガタガタ!!ドーン!!
建物がひしめき合って 大きな音がします
立体駐車場の入り口なので 外の景色が見えましたが
遠くのビルが こんにゃくの様にゆれています

遂には立っていられなくなり
火事が起きた時などに閉まる防火扉(鉄の枠のなかで)
手と足を突っ張る形で体を固定しました

本当に長い時間で ひょっとして
世界の終わりの日が来たのかと思うほど

そうしていると さらに大きな揺れがやってきました
喫煙スペースに居たもう一人の女性がパニックを起こしてしまい
悲鳴を上げながらビルから外に出ようとしたので

危ないっ!!叫びました
何故かと言うと 揺れでビルの壁のタイルやガラス片が
ぼっと ぼっとと落ちてくるからです
そんなのに直撃したら・・・

その女性を必死に静止させて力ずくで防火扉の所まで引っ張りました
左腕と胸の間にその女性をぐっと捕まえて右腕と右足と左足で防火扉の枠に
踏ん張る様に体を固定します

正直、生きた心地がしませんでした
今にもビルが崩れてしまい自分たちが潰れてしまう
そんな音と揺れでした 私も正直外に逃げ出したかった
電気が消え 揺れがおさまっても しばらくの間体が震えていて
放心状態が続きました

その女性にお礼を言われ 駐車場の警備員のおじさんと
話をしていると、職場の人たちが非常階段から降りてきました
若い男の子でさえ泣いてる人もいて、最上階の揺れはもっと酷かったのだと感じました

職場の人たちと非難指定場所にある小学校へ向かいました
電気は消えており 静寂な中 ジリリリリリリリといった
警報機の音が不気味に鳴り響いていたのを覚えてます





小学校の校庭は大きくひび割れ
余震もつづいておりました
点呼をとり解散することに

信号機も一部が消え 電車やバスもストップ
この日、多くの方が 歩いて家まで帰る事になっていたと思います
後から聞いた話だと、新幹線で通ってた人がいて
その人は数日間、仙台駅(のどこかの避難所)で過ごしたそうです




私は普段からバイク通勤だったもので
渋滞の中をすり抜けて アパートに帰りました
途中の空がとっても嫌な空だったのを覚えています

当時、付き合っていた彼女がアパートに居たので
とても心配だったのですが 無事でした
当時飼っていたぴーちゃんもケロっとして ほっと一安心しました
晩御飯を作っていたそうで その料理はひっくり返っていたけれど
話を聞くと「ヘリコプターが乗っている人の顔が解るくらいの距離まで
ベランダに来た」と言ってました

家は壊れたり倒れていた家具もなかったのですが
電気、水道が止まっていました
ガスはプロパンガスなので付きました

電気、ガス、水道の無い暮らしをしたことのある人は少ないと思います
私は実は、昔お金払ってなくて 全部止められたことがあったので
その大変さと危険さを知ってました

電気がつかない
→冷蔵庫 TV 洗濯機 パソコン エアコン 電子レンジ ファンヒーター
携帯の充電 蛍光灯
すべて使用できない

水が出ない
→トイレ 風呂 洗濯 食器洗いができない
それ以上に危険なのが 水が飲めない事
日本は水が豊かな国なので 水が飲めなくなる事は無いのだけれど
水が飲めないと一日で人体に支障が出てきます

昔、電気ガス水道止められて1週間くらい生き延びたことがあったので
今の自分たちの現状が いかにやばいかわかりました

彼女にお金を渡して「日が暮れる前に今書いたやつを買ってきて」とメモを渡して
私もバイクで買い物に出かけました
とりあえず、水です、飲料水が無くなる事も予想できたので
彼女には氷を買ってきてもらうようにしました
氷は冷蔵庫に入れると保冷効果 溶けても飲料出来るからです
幸い炊事はできるので水さえあれば米と味噌と砂糖でなんとかなります

風呂の水も少しですが残っていたのでトイレも流せそうです

その日の夜は 一晩中ヘリコプターの音がやみませんでした
ピーちゃんを 小さいカゴに入れて毛布でくるんで抱きしめるようにあたためて
眠りにつきました

彼女はちょっと変わった人でぼんやり天井を見ながら
「空が見えて 沢山の光が流れてる」と言っていました

※当時TVも見てなくラジオも持ってなく
携帯も電源切っていたので津波があったことは知りません

次の日車の燃料を確認したところ
3分の1程度 乗るわけにはいきません
バイクに乗ってとりあえず食料を確保することに
不思議だったのがガソリンスタンド
閉まっているのに行列ができているんです

きっと誰かが 開くと思って並んでそれにつられて並んで
誰かが並んでいるから来るのだろうとまた並んで。。。という心理なのでしょう
でもその間にもアイドリングで燃料は減るのでとてもリスキーです

そんな渋滞をバイクですり抜けて とある場所に行きました
それは、コンビニでもスーパーでもなく

100円ショップでした

100円ショップの入口にたって トントンと自動ドアを叩きました
すると一人の女性が出てきました

「裏口にきなさい」

裏口に回ると 女性がドアを半分だけ開けて
「もし欲しいのがあったらこの紙に書いて」と
紙とペンを渡してくれました

私は
飴玉5袋とチョコレート等当分の高い菓子
カップラーメン10個
缶詰10個
電池
懐中電灯
カセットコンロのガスボンベ

を紙に書いて渡しました
確か5000円使ったのでもっと買ったかもしれません

親切な事にすぐに用意してくれて

その女性(おそらくオーナーさん)が
「あなたが並んでしまうとみんな並んでしまって
パニックになってしまうと大変だからこうしてお客さんには裏に回ってもらってるの」と

確かに、ドアの隙間から他の店員さんも見えたのですが、みな女性で
地震でめちゃめちゃになった 商品を片づけていたりしてました
そんな中、大量の人が押し寄せたら怖いですよね

買い物袋二つを両腕にぶら下げながら
ルンルン気分でアパートに帰りました
これで彼女に心配かけないと思いながら
アパートのドアを開けると
そこに彼女は居ませんでした

代わりに置き手紙があります

「実家に帰ります」

そのメモを見た この時、私は初めてパニックになりました
身体がガタガタ震えて どうしようもない絶望感に襲われました
一人になるってこんなにも心細いものなんだと

日が暮れそうになり 家の中が見えなくなってくるんです
闇がこんなに怖いものだと初めて感じた時でした
(懐中電灯を買ったのにパニックで忘れていました)

とにかく 光を 明かりを探しました
確かアロマのティーキャンドルがあったからそれを探そうと
押入れの中を探しましたが見つかりません 暗くて何がどこにあるのかわかりません
そうしている間に窓の外はどんどん暗くなっていきます
暖房もつかないので命の危険を感じ始めました

子供の頃、叱られて暗い部屋に
閉じ込められたことがあったんですが
その時と同じ恐怖、いやそれ以上ですね 出口がないので

なにもない 先が見えない 夜明けまで12時間
ずっと冷たく まっくらな闇の中で 僕はぴーちゃんと過ごす事になったのです


つづく




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ありがとうございました