人は大きな目標を掲げて生きる上で、尊敬する人達の存在はとても重要な事。
皆様は、御自分の人生において、そんな尊敬する方々が沢山いらっしゃる事と思います。
それは両親かもしれないし、学校の先生かもしれない。
或いは学生生活で出会った先輩達だったり、本やメディアを通して出会った偉人達かもしれない・・。
私自身「尊敬する人達を教えて下さい。」と人から尋ねられた場合、
真っ先に答える言葉は、「尊敬する人達は数え切れない程います!!」でしょう。
でも、あえて一人挙げるとするならば、学生時代に図書館のCDやLDを通して知った
往年の名メッツォ・ソプラノ歌手であり、
現在は劇場監督、オペラ演出としても手腕を発揮していらっしゃる
ブリギッテ・ファスベンダーを真っ先に挙げる事と思います。

では先ず、私の知る限りのブリギッテのプロフィールをちょっと、ご紹介しますね。
ブリギッテ・ファスベンダー(Brigitte Fassbaender 1939~)は
主にモーツァルト作品のオペラで定評があった名バリトン歌手、ヴィル・ドムグラフ
ファスベンダーを父に持ち、映画女優として大活躍したザビーネ・ペーターズを
母に持つという、正に舞台人として生きる定めを持ってドイツ・ベルリンの地に
生を受けましたが、当初ブリギッテは父の存在の偉大さ故、自分自身の歌声に
引け身を感じていたようで、オペラ歌手としてではなく、演劇俳優として生きていきたい
と思っていたそうです。このような点に、私はブリギッテの自己分析力、
音楽に対する謙虚な人格が表れているように思えてなりません。

父親に対して引け身を感じていた彼女でしたが、オペラ歌手として生きようと決断に至る
転機が訪れます。彼女のお友達の一人に、名テノール歌手ルドルフ・ショックの娘さんがいたそうです。その娘と一緒にオペラを観劇した際、その舞台に感動し、自らもオペラ歌手になろうと
思い立ち、父に懇願し許可を得て、父親から歌を習う事になったそうです。
その後の活躍ぶりは説明要らずですよね!!
彼女の高身長とキャラクターは男役には打って付けでしたから、Rシュトラウスの歌劇
「薔薇の騎士」のオクタヴィアン役は最高でした!!とても女性が演じているとは思えない
正に男としての所作!!!流石に同性の私でもこの人に抱かれたいと思わせてしまう色気を
醸し出し、この分野では他の追随を許さないものがありました。
他にもワーグナーの楽劇『ラインの黄金』のフリッカ役は彼女の知的な美貌を生かした
意志の強いキャラクターで素敵でしたし、Rシュトラウスの「エレクトラ」でのクリテムネストラ役の
怪演も忘れがたい役柄の一つでした。

しかしながら、私にとってのブリギッテの魅力は、オペラの分野ではなく、
歌曲の分野での活動に、非常に革新的な活動を行っていて、その活動こそ
私が心から彼女を尊敬する理由が有るのです。
ブリギッテがドイツリートの録音アルバムや演奏活動を本格的に取り組む以前には、
ドイツリート界にはあの、名バリトン歌手、ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウや、
名ソプラノ歌手、エリザベート・シュヴァルツコップ等が、これぞドイツリートだ!!という
指針になるアルバムを数々録音、演奏していったのです。
そして、歌曲の世界には、声域に関わらず、男歌、女歌というものがかなり厳格でした。
しかしながらブリギッテはそのずば抜けた知性を武器に、ディスカウやシュヴァルツコップが
築き上げた演奏解釈を、根底から覆し、独自の演奏解釈によって、ドイツリートに新風を
巻き起こします。
彼女がドイツリートの録音演奏に果敢に取り組んでいた70年代は、世界では男女同権運動も活発だった頃。
ブリギッテは歌曲の世界も時代に相応しいものでありたいと願い、男歌、女歌
の境界をメッツォ・ソプラノという中音域の歌声の演奏によって、取っ払ってしまう試みを
します。その結果、本来男性によって歌われる、シューベルト作曲『美しき水車小屋の娘』
『冬の旅』シューマン作曲『詩人の恋』はたまたブラームス作曲『四つの厳粛な歌』等の作品を
彼女は次々と録音し、名演を残していった訳ですが、先鋭的な彼女の演奏解釈には従来のドイツリート愛聴者達から賛否両論も巻き起こったようです。

ブリギッテのドイツリートに対する試みは、当時、余りにも先鋭的過ぎて、
受け入れ難かったかもしれません。
しかしながら、彼女が提唱した演奏解釈は現代に受け継がれ、
現在では女性声楽家もどんどんドイツリートの男歌を吹き込むようになってきたように思います。
でも、ここに至るまでの橋渡しを、ブリギッテ・ファスベンダーが行った功績は
もっと広く認知されるべきだと私は思うのです。

演奏家は過去の名作曲家が心血注いで作りあげた作品を、時代背景を知り、
想像力を働かせ、魂を込めて演奏するだけではなく、
演奏家自身がその演奏を通して、現代社会に問うという意識を
常に持つべきだと私は思います。
その意識こそが、微々たる事といえども、世の中を動かす原動力になると思うのです。
私はブリギッテの精神を、特に自分の生まれ育ったこの日本で誕生した
素晴らしい母国語の歌を歌わせて頂く時に、意識していきたいと思います。
桐朋学園大学創設者の一人、故、斎藤秀雄さんの教育法「型に入って、型から出よ!!」のように・・・・。
最後に私の大好きなブリギッテの歌唱、ブラームス作曲歌曲『永遠の愛について』をお聴き下さい。