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沢村いき雄さん(本名・岡部静雄 栃木県出身)は、資料によると1921年に七代目・沢村宗十郎門下として初舞台を踏み、1954年に東宝に入社。黒澤明監督作品をはじめ、喜劇映画、特撮映画、時代劇からアクション映画まで、特に三船敏郎が主演した黒澤明監督作品に多く出演しています。
往年の映画ファンであれば、名前は知らなくとも、その風貌はご存知ではないでしょうか。
役柄も運転手、八卦見、神主、医者、岡っ引き、巡査、牢番、屑屋、漁師、飲み屋の親爺など多彩。小市民役がはまり、どんな役でもこなす東宝映画の名バイブレイヤー。銀幕の中で沢村いき雄さんを探すのが好きな、大のファンでした。
東宝映画は、かつて東京都荒川区の明治通り沿いに存在した東宝系の映画館“三山シネマ”で鑑賞しました。
60年も前ですが館内面積の割にはスクリーンの大きな劇場で、見応えがあったと記憶しています。
沢村いき雄さん1975年9月20日逝去、70歳没。 私の好きな沢村さんの名演を邂逅したいと思います。
蜘蛛巣城(1957年)
シェイクスピアの「マクベス」を戦国時代に置き換えた黒澤明監督作品で、海外での評価も高い。
蜘蛛巣城(1957年)の時の東宝映画のロゴ。
(モノクロ・スタンダード版)。
沢村いき雄さんは鷲津の親兵役。左から二人目。
親兵(沢村):「家が焼ける時、まずネズミが逃げ出すと言うが・・・」
ラスト、主人公(三船敏郎)が無数の矢を射られる場面は凄い。実際に三船やその周囲めがけて本物の矢を射って撮影したと言われています。
無法松の一生(1958年)
稲垣浩監督は1943年(坂東妻三郎・主演)と、この1958年(三船敏郎・主演)の2度“無法松の一生”を映画化しています。
1943年版は松五郎が大尉夫人に密かな愛情を告白するシーンなどが内務省の検閲で削除され、戦後もGHQにより一部が削除されたため、1958年版は稲垣監督がカラー・ワイドスクリーンでリメイクした完全版、稲垣浩の敵討ち映画と言われています。
沢村さんは松五郎の人力車の客役、沢村さんの一人芝居は絶品です。
隠し砦の三悪人(1958年)
戦国時代、敗戦国の侍大将(三船敏郎さん)が姫(上原美佐さん)と軍用金を擁し、2人の百姓(千秋実さん、藤原釜足さん)を従えて敵中突破する冒険活劇で、黒澤明監督初のシネマスコープ作品。
ジョージ・ルーカス監督は、映画「スター・ウォーズ」でC-3POとR2-D2は「隠し砦の三悪人」の百姓コンビがモデルだと言っています。
隠し砦の三悪人、東宝スコープ(モノクロ)のロゴ。
沢村さんはバクチの男役(写真中央)。
宇宙大戦争(1959年)
宇宙人来襲! 月世界の裏面や大都会で展開する円谷英二の特撮も大迫力で一見の価値あり。本編監督はコンビの本多猪四郎。
沢村さんは保線工夫役。侵略者ナタール人が鉄道の鉄橋を釣り上げるのを見てビックリ。
路傍の石(1960年)
国語の教科書にも載っていた山本有三の“路傍の石”は戦前、戦後を含め4回映画化されています。これは1960年の久松静児監督版。
愛川吾一に太田博之、その母に原節子。小学校の授業として映画館“三山シネマ”で鑑賞した記憶があります。
当時の時代背景の影響(検閲など)もあり、1940年、山本は小説“路傍の石”の断筆を決意、最終的には未完に終わっています。
沢村さん(右)は主人公の吾一(左・太田博之さん)を心配する近所の人役。
近所の人(沢村):「吾一ちゃん、父さん帰ってきたんべ。何か土産
持っ て きたか?」
吾一(大田):「ううん・・(首を横に振る)」
近所の人:「持ってこねえの! たまに帰ってきたんだから、土産くらい
持って来たらよかんべな・・・」
中央が沢村さん。
悪い奴ほどよく眠る(1960年)
公団の汚職で、死に追いやられた父の復讐を果たそうとする男の姿を描く、黒澤明監督作品。
沢村さんはタクシー運転手の役。左は客の西村晃さん。
運転手:「旦那・・・」
客(公団課長)「・・・・・・・(魂が抜けたように無言でタクシーを降りる)」
運転手:「旦那・・・。540円。」
客(公団課長)「・・・・・(魂が抜けたように無言で料金を支払い、釣銭も受け取らず。)」
沢村さんは数ある役の中で“×××の運転手”役が一番多いようです。タクシー、ハイヤー、社長の運転手、トラックの運転手など。次に多いのが“×××の親爺”役。居酒屋、おでん屋、寿司屋、骨董屋、金魚屋、支那そば屋の親爺など様々で、小市民役が作品にピッタリ当てはまっていました。
電送人間(1960年)
円谷英二特技監督の変身人間シリーズ第2弾。特撮映画初の福田純監督のシャープな演出も良かった。
沢村さんは、お化け屋敷(悪魔の洞窟)の呼び込みのオヤジ役。
お化け屋敷から青ざめたカップルが出てくる場面がご愛敬。
このあと館内で銃剣魔殺人事件が起こり、
呼び込みのオヤジ(沢村)もビックリ。
用心棒(1961年)
浪人、桑畑三十郎が宿場町で対立するヤクザ同士を衝突させて共倒れにするという、黒澤明監督の痛快娯楽時代劇。
「用心棒」は斬殺音や残酷描写を入れてリアルな殺陣を追及し、従来の時代劇映画の形式を大きく変えたと言われており、1964年にセルジオ・レオーネ監督が「荒野の用心棒」としてリメイクしています。
物語冒頭、宿場に現れた浪人(三船敏郎)に、対立するヤクザ同士の現状を半助が説明する重要なシーン。
番太の半助が浪人(三船)に
半助(沢村):「お侍。用心棒で稼ぐ気あったら口をきいてもいいぜ。
口利き料、1両でいい。」
居酒屋の親爺(東野):(半助に)「いい加減にしねえか! この野郎!」
写真左から沢村さん、東野英治郎さん、三船敏郎さん。
沢村さんの番太の半助の出番は前半と最後にチョロっとですが、重要な役どころで何故か印象に残ります。
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Amebaブログ容量オーバーのため、
「東宝映画の名バイブレイヤー“沢村いき雄“さんの魅力
(その2)に続く。
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