こんばんは?おはようございます、そらしたです。
こんな時間だとみんな寝てしまいますね、これをかくきっかけは誰もいないからという退屈です。
退屈は人を殺しますね、平安時代の人たちも暇だからあんな風にいろいろ書いてたら勝手に文学にされちゃったり。
だったら退屈で書いたこれもいつかは文学に、なりませんか、そうでしょうか。
今の時代の人間の書いたもの、そこそこ知性がある一般人が書いたものであろうとも時代が違っていれば文学となりえるのではないでしょうか。
昔の書物も「こんなもの誰でもかけるじゃないか」とか言うレベルでも教科書に載ったりだとか。
ある種の恥さらしにも思えるものもありますね、中身あるんでしょうか。こんなこと書いて祟られたりしないでしょうか。
祟られると言えば、崇徳天皇。彼は昔父親に伯父子と言われて嫌われていたんでしたっけ。
それで結局流されて、最終的に日本を呪う大魔王になったんでしたっけ、違いましたっけ、天狗になったのでしたよね。
血で写本をかくあたりすごいなあと思いました。ああ彼の信念は強かった。
愛というものはいつまで続くのか。
ボクは、今日好きなら明日も好き、明日も好きならその次も好きなんだと思ってます。ずっと好き。
このごろ実感のないまでも考える結婚ということ。自分はできれば大人しい世界を作りたい。
静かに、落ち付いて。かつ自分の信念を持つように。ああそれは理想の世界。
年をとっても2人一緒に幸せに、なんて素敵ですよね。老夫婦の散歩姿、とてもほほえましかったり。
あんな風になりたい、とか思いながら。
恋愛の終着点は片手で数えるほどしかなくて。
それでも自分の気持ちを信じて、相手の気持ちを信じて。
最近の身の周りの事柄、先ほどきいた曲のなりたちにもあったのですが。
「・・・で?」
という言葉、魔法の言葉。この言葉で片づいてしまう事柄がどれだけあるのだろう。
逆でしょうか、片づかせてはいけないことがどれだけあるのだろう。
片づかないほうが少ないんですよね。用はその物事にどれだけ執着できて、無駄なことができるか。
こだわることで、それがどれだけ無駄なことから人に認められる者に昇華できるか。
人の人生もこの言葉で片づかせようものなら片づくけれど、片づかせたくないなあ。
なにも特別なことがしたいわけじゃなくて、幸せになりたいだけ。
突き詰めれば突き詰めるほど利己的な人間の最終的な自己満足が、誰かと一緒に幸せになることでありますように。