私が感謝できない理由。


母は全く自覚がなく

覚えていないらしいのですが…( ̄▽ ̄;)



子供のころから

兄と私への差別が激しかった…



3学年違いの兄は、

全てにおいて出来がよかったんです。



明るく社交的で、

勉強も運動もでき友達も多く

先生からの信頼も厚く、

手先も器用・芸術的な才能にも恵まれ

見た目も悪くなく、面白くてそれでいて優しい。


運動会では応援団長をしたりする

学校に1人いる人気者。そんな立ち位置。


母自慢の息子。

もちろん私にとっても自慢の兄でした。


私は兄に

敵わないのは分かっていたから

兄に対して嫉妬とかはなく

純粋にスゴいと思って尊敬していました。


兄に対し私はドン臭く…。

小3までは運動神経が

繋がっていないんじゃないかと思うくらい💦

走れば一番遅いし、

ボールが飛んでくれば顔面で取る_| ̄|○

水泳も

顔に水がかかっただけで泣く( ̄▽ ̄;)


3月生まれのせいか?

小学校の低学年の頃までは、

体も小さく運動能力も全然でした💦


あの頃はほんとにやばかった。

同級生達にはできるのに、自分にはできない。

悔しかったなぁ。


今の負けず嫌いも

この頃に培われたものだと思っています。


そもそも兄と私を比べたら

私の方が不利なのは当たり前だよね…( ̄▽ ̄;)



兄の方が

4年近く早く生まれているのだから。


それなのにうちの母親は…


お兄ちゃんは出来るのに…

から始まり



なんで、あんたは出来ないの?


努力をしないの?


お兄ちゃんを見習いなさい。


いくら努力をしても

見習って同じことをしても認めない。




そして


「あんたなんかいらん」

「兄ちゃんだけおればいい」

「メス(女子)は直ぐに泣くから嫌や」

「あんたは拾い子や。拾ってやったんやから有難く思いよ」

などと言われていました。


最終的には

「あんたはお父さんの子供やから、お父さん探してお父さんのとこに行きよ」

「お父さん、そっくりや!好かん!!」


そんなこと言われていました。


それは兄が亡くなるまで続き…


いつも

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」




「お兄ちゃんは

お誕生日や母の日にプレゼントくれる」

「お兄ちゃんはあんたと違って、休みにどっかに遊びに連れていってくれる」

「お兄ちゃんは優しい。あんたはすぐ怒る」



こう投げかけてくる…


これをもう半世紀も言われ続けていると

さすがに感謝どころではなくなる…_| ̄|○


3年前、

兄が亡くなった途端、



「美奈子ちゃん、

家族2人になったから仲良くしよう」

そう言われても、仲良くできる訳ない…


「子供はあんたしかおらんから」

そう言われてもね…

.

それでも、


親だから…


昼夜なく働き詰めで

私と兄を育ててくれたから…


そこは

心から感謝しているのは事実。



だけど、

やはり許せない部分は許せないのも事実。



自分の気持ちに蓋をしようとすると

やはり

「そうじゃないよね?」ってことを分からせる

事件が起こる。


どこかでいいひと、

いい娘を演じようとしている私がいる。


でもほんとは


私を見てよ。

頑張っている私を認めてよ。

私だってできるんだよ。


そう私の本心が叫んでる…。


なんだか

感謝出来なくてもいいのかな?と思えてきて。


母に

「あんたが何もしてくれんていうから、誕生日会するんやから。はよ行こ」といったら、

母から

「それなら行かん!祝ってくれる気ないならいかん」

とごねられました。


そっか!

祝う気ないなら祝わんでいいんや。


本人が言うてますわ。


そう思うと

それでいいのかな?と思えました。


一生懸命に育ててくれた母に

感謝できない薄情な娘。

そう思うと自分を責めて、

ちょっとしんどくなっていましたが、

それもありなんかな?と思えました。


一応、誕生日会は

長男も時間を取ってくれたので

宥めて行いましたが(笑)


上手くいっている母娘もいれば

そうじゃない母娘もいる。


それはそれでいいのかもしれない。


距離をとる事で

お互いを保つ事もできるかもしれないし

お互い支えあって生きていてもいい。


それぞれのちょうどいい距離を探していく。


ヤマアラシのジレンマのように。


そうしていくことが大切。



母の日に

感謝出来なかった皆様。


それは特別なことじゃないよ。

自分を責めなくていい。

自分を守れるのは自分だけだからね。


あなたが穏やかに

あなたらしく居られるように

選んで行きましょう。