そこから、またまた
色々考えた。


あまりに凹んでる私を見かねて
マスター仲間が話をきいてくれて
カウンセリングニコニコ

色々と出てきて
びっくりしてる…。

私の根っこ

「母親」

Σ(゚д゚;)

でした。

私は母親とウマがあわず
ずっと、あまり好きではなかった。

言いたい事は、誰彼構わずいうし、
自分の武勇伝は自慢するし、
なにより
人の気持ちとかかんがえずに
ずけずけはいってくる
ことが嫌だった。

あんな大人にだけはなりたくないと
思ってきた。
なってないはず…

だから私にとって母親は

「天敵!!」

それが出てきた答えは

「母親に愛されたかった」

だった…(;▽;)

私はずっと書いてきた通り
父親からめっちゃ愛されてた。
母親は兄貴を溺愛してて
私と兄を差別していた。

父親がいた時はそれで
均衡が取れていたんだけど、
父親がいなくなってから
それは壊れた。

私は父親が出ていったのは
自分のせいだと思ってた。
「私が悪い子だから…
お父さんは出ていった」
思っていた。

昼間は人と関わることで
淋しさは紛れていたけれど、
家に帰ると父親がいない現実を感じ
夜になると
布団をかぶって兄にも母親にも
悟られないように泣いていた。

そこまでの記憶しかなかったんだけど
カウンセリングしていくうちに思い出してきた。

あの時、
私、めっちゃ周りに気を使ってた。

母親は「あんたは知らんでいい」といって
私には何も話してくれなかった。
3つ違いの、中3の兄には全て話して
私には何も話してくれなかった。
おそらく母親は、私を傷つけないように
知らないほうがいいと判断し、
言わなかったんだろうね。

私は、「わからないふり」をした。

いつも元気!!
いつも笑顔!!

でいた。

自分の気持ちに蓋をして。

それが自分と周りを
守る方法だと思ったんだろうね。

でも、それは本心じゃない。

ホントは

「さみしいよ〜!!
お母さん気づいてよ〜」

「兄ちゃんばっか、可愛がらないで!!私も可愛いって言って〜!!」

父親が出ていってから
今日まで母親は兄を溺愛してきた。

「同じ兄妹なのに、なんでこんなに違うんやろ?
兄ちゃんはできるのに…」

と、言われ続けた。

兄貴が出来が良くて
みんなに愛される愛されキャラなのは
私も知ってるし、
私にとっても大好きな自慢の兄貴だったから。
そこは反論できない。

だから
「諦めてた」

本心は違うのに、気持ちに蓋をして
開かないように開かないように、
何重にもロックして、固めて
上に色んなもの乗っけて、
まっ平に見えるように、巧妙に
過ごしてきた。

その蓋が開いてしまった。

この気持ちどうあつかっていいか
わからない…

「そんなはずない」

………


でも、そうなんだよね…,
どこまで気づきたくないのか…


やっぱり、そうだった。

私は母に愛されたいと思ってた

「母に1番に愛されたい」

だったんだよね。

それを満たされてなかったから

「大切な人の一番」

に、なりたかったのかもしれない。

この気持ちに気づくと
いけないから
そうならないように
一番になれないような
壮大な状況(コント)を作り出してたのか…


「壮大すぎ(;▽;)」

しかも、時間かけ過ぎ(T_T)

何十年かけてのコント?(笑)

でも、受け止めてあげた。

淋しかったきもち
悲しかったきもち。

小さなみぃなは
意地っ張りだから
一生懸命なきやもうとしてる

よしよし(`・ω・)ノ( ´д`*)

ゆっくりご機嫌直そう。

みぃなは愛されてるから。

これをきっかけに、
まだまだ、
どんどん色々な気持ちでてくるかもしれない。

ゆっくりゆっくり
向き合っていきたいなぁ

少しずつ目の前の問題も
変わってくるのかな?

楽しみ〜照れ