汚染牛問題について誰も言わないから書くけど
汚染牛問題について誰も言わないから批難覚悟でアル視点を書くけど、何で生産農家の責任を問おうとしないのだろうか。もちろん一元的には東電の原発事故に原因があるのだから、そこに最大の責任があるのは間違いない。だけどこの事故を受けた後の世界で私たちは生きているわけで、それを踏まえた形で生産、消費活動は行われてしかるべきなのだ。
当然、国の中途半端な情報でかく乱された節はあるにはあるだろう。しかし、情報と言うのは自分で取りに行って、公の情報と自分の得た情報を精査しなければ正しい判断は出来ない。生産農家はそれを怠った。
日本はいつしか「末端の私たちは頑張っている」「それなのに国のトップは駄目なやつら」というプロパガンダにすっかり洗脳されてしまっているようだ。でも考えてみれば湯は下から火を燃やさないと沸かないわけで、末端の生活者たる私たちがぬるい火を当てているから国の中枢もぬるま湯なんだ、という認識に立ち返る必要がある。菅は駄目だ、民主が駄目だ、っていくらぼやいていたって世の中は絶対に良くならない。そしてそんな状態で国のトップを挿げ替えたとて、また同じ事を繰り返すのは目に見えている。
何故、生産農家に厳しい意見を言うかというと、先日福島の若い農業家たちのグループの取り組みを見たからだ。彼らは自らガイガーカウンターを持って土の放射線を測定し、その結果何センチか掘った所の放射線量はほぼゼロである事を突き止めた。そして彼らは土の上部をこそげ取って一箇所にまとめ、作付けをした。放射線を感知した土は花壇にし、放射性物質を取り除くと言われる菜種やヒマワリを植えた。そして出来た作物は自ら研究機関に送り、細かい検査を全てやった上で市場に出しているのだ。
彼らは「震災・原発事故後の世界」に生きている事を引き受けた上で生きているのだ。そこに私は感動した。
そのような取り組みを知っているからこそ、今回の汚染牛の流通には自治体や国以上に生産者に怒りを感じたのだ。だってこういう事をしてしまうと、せっかく安全を担保しようと頑張ってきた人達にも影響が出てしまうでしょ。生産者としてそこは誇りを持って欲しいところ。そして自ら率先して検査をし、駄目なものは駄目でしっかり処理する。あとはそういう仲間を募って、その保障に関する訴訟や政治的な動きなどすればよかった。いくらでも出来たはずなのだ。
あとマスメディア。「風評被害」という言葉を安易に使いすぎた。その結果「私たちは風評には騙されない!」と日本中が意気込んだ。でも放射能問題はこれからしっかりとした調査をしてからでないと、本当に「風評」かどうかなんて分からない。福島第一原発は明らかに爆発し、炉心溶融を起こし、空気にも海にも放射性物質を垂れ流してしまったのだ。つまり実害レベルさえ補足出来ていない状態で、「風評被害」という言葉を使った責任は大きい。冷静な判断とは無批判に東北のものを食するにあらずなのだ。「風評」って「根も葉もない噂」て事だからね。間違えてはいけない。
ただ当然だけど生産者に対する生活の保障は手厚くしてしかるべきなのだ。生活は保護するので、安全が確認出来るまでは生産しないで下さい、くらいは国や自治体で出来たのではないだろうか。
そんで何でもそうだけど、直ぐに国のせい、トップのせい、政治家のせい、と言って自分たちの社会を引き受けようとしないうちは、いつまで経っても二流国だ。もっと「社会をつくり動かしているのは私たち自身である」という意識や、そうなる為の教育が必要。それを国に働きかけるのではなく、出来るところから自分たちでやろうぜ。
あ、以上ですが、私の中の情報だけで組まれた文章ですので、間違っている点はあると思いますので、そこは正してもらいたいです。だけど、国が云々というのを止めて「社会を引き受ける」という方向性は間違っていないと思っています。
当然、国の中途半端な情報でかく乱された節はあるにはあるだろう。しかし、情報と言うのは自分で取りに行って、公の情報と自分の得た情報を精査しなければ正しい判断は出来ない。生産農家はそれを怠った。
日本はいつしか「末端の私たちは頑張っている」「それなのに国のトップは駄目なやつら」というプロパガンダにすっかり洗脳されてしまっているようだ。でも考えてみれば湯は下から火を燃やさないと沸かないわけで、末端の生活者たる私たちがぬるい火を当てているから国の中枢もぬるま湯なんだ、という認識に立ち返る必要がある。菅は駄目だ、民主が駄目だ、っていくらぼやいていたって世の中は絶対に良くならない。そしてそんな状態で国のトップを挿げ替えたとて、また同じ事を繰り返すのは目に見えている。
何故、生産農家に厳しい意見を言うかというと、先日福島の若い農業家たちのグループの取り組みを見たからだ。彼らは自らガイガーカウンターを持って土の放射線を測定し、その結果何センチか掘った所の放射線量はほぼゼロである事を突き止めた。そして彼らは土の上部をこそげ取って一箇所にまとめ、作付けをした。放射線を感知した土は花壇にし、放射性物質を取り除くと言われる菜種やヒマワリを植えた。そして出来た作物は自ら研究機関に送り、細かい検査を全てやった上で市場に出しているのだ。
彼らは「震災・原発事故後の世界」に生きている事を引き受けた上で生きているのだ。そこに私は感動した。
そのような取り組みを知っているからこそ、今回の汚染牛の流通には自治体や国以上に生産者に怒りを感じたのだ。だってこういう事をしてしまうと、せっかく安全を担保しようと頑張ってきた人達にも影響が出てしまうでしょ。生産者としてそこは誇りを持って欲しいところ。そして自ら率先して検査をし、駄目なものは駄目でしっかり処理する。あとはそういう仲間を募って、その保障に関する訴訟や政治的な動きなどすればよかった。いくらでも出来たはずなのだ。
あとマスメディア。「風評被害」という言葉を安易に使いすぎた。その結果「私たちは風評には騙されない!」と日本中が意気込んだ。でも放射能問題はこれからしっかりとした調査をしてからでないと、本当に「風評」かどうかなんて分からない。福島第一原発は明らかに爆発し、炉心溶融を起こし、空気にも海にも放射性物質を垂れ流してしまったのだ。つまり実害レベルさえ補足出来ていない状態で、「風評被害」という言葉を使った責任は大きい。冷静な判断とは無批判に東北のものを食するにあらずなのだ。「風評」って「根も葉もない噂」て事だからね。間違えてはいけない。
ただ当然だけど生産者に対する生活の保障は手厚くしてしかるべきなのだ。生活は保護するので、安全が確認出来るまでは生産しないで下さい、くらいは国や自治体で出来たのではないだろうか。
そんで何でもそうだけど、直ぐに国のせい、トップのせい、政治家のせい、と言って自分たちの社会を引き受けようとしないうちは、いつまで経っても二流国だ。もっと「社会をつくり動かしているのは私たち自身である」という意識や、そうなる為の教育が必要。それを国に働きかけるのではなく、出来るところから自分たちでやろうぜ。
あ、以上ですが、私の中の情報だけで組まれた文章ですので、間違っている点はあると思いますので、そこは正してもらいたいです。だけど、国が云々というのを止めて「社会を引き受ける」という方向性は間違っていないと思っています。
7月16日(土)竹宮30年セットリスト
7月16日(土)20:00~
出演:Dan&Kumi 竹宮30年
セットリスト
①★トレイン 作詞・作曲 竹田克也
②★ふたり 作詞・作曲 竹田克也
③Dreamer (Tom Jobin)
④Over the rainbow
⑤オ・シャンゼリゼ(Ver.Takemiya30)
⑥★雨待ち 作詞・作曲 竹田克也
⑦★ポケット 作詞・作曲 竹田克也
⑧見上げてごらん夜の星を
⑨★流域 作詞・作曲 竹田克也
★印はオリジナル曲
出演:Dan&Kumi 竹宮30年
セットリスト
①★トレイン 作詞・作曲 竹田克也
②★ふたり 作詞・作曲 竹田克也
③Dreamer (Tom Jobin)
④Over the rainbow
⑤オ・シャンゼリゼ(Ver.Takemiya30)
⑥★雨待ち 作詞・作曲 竹田克也
⑦★ポケット 作詞・作曲 竹田克也
⑧見上げてごらん夜の星を
⑨★流域 作詞・作曲 竹田克也
★印はオリジナル曲
快適に暑い夏
「暑いですね」が挨拶のこの時期。あらがえばあらがう程に汗は噴出してくるものである。
話は変わるが、私は小学生の時風使いだった。私が手をかざせば風が吹き始めるという特殊能力を有していた事は、先日ラジオへの投稿でカミングアウトをしたので、知っている人もいると思う。あれから20年。すっかり忘れていたが、私は今一度「風」を使う能力を磨くべく研究を始めた。
焼鳥屋の仕事場というのは灼熱の世界だ。火を使う、故にエアコン効かない(というか効いているかわからない)、湿気あるから汗は蒸発しない、毎年この繰り返しが当たり前のようになっていた為、ほとんど諦めムードでこの時期を迎える。この時期を堪え忍ぶこと、それが焼鳥屋苦難の第一項に記される事なんだね。
お店の前の商店街メインストリートに目を向けると、非常に良い風が吹いている事に気づく。風の通り道になっているようだ。自然の風というのは人工の風とは明らかに違う。その風で何とか店内を快適にさせることはできないものか。
そういう発想を後押ししてくれたのがNHK「あさイチ」で特集された夏を涼しく過ごす方法だ。その中で自然の風を家の中に通すことで快適な生活を送っている大学教授がいた。その方法は単純で、風の入り口と出口を作り、それを扇風機などで補助するというもの。入れた風を「捨てる」事が大事である、という言葉は目から鱗であった。きっとこの感覚こそ鍵であると直感で思った訳で。
つまりお店のフロントは風が抜ける通りがあるから、その風は入るのでそれが抜ける道をつくってあげる。それをサポートするために扇風機は排気口へ向けて「中間換気扇」として置く。風というのは即ち空気の動きだから、火をつかう環境で汚れた空気を廃棄し、新しい空気を入れるという事が大切のようだ。
で実際やってみたところ、一見体感として風が当たるとか冷えるという事は無いが、空気が常に入れ替わるから不快感が緩和されている、と思う。この仮説の数字的根拠を示せていないので、ほかの人に理解を得てはいないが、要は夏なんだから暑くて当然。ならば「快適に暑く過ごす」という思考の転換が必要なのだと思う。空気は淀めば酸素が薄くなり、イライラの原因になる。暑くても不快感がなければいいのだから、空気がとどまらず流れる環境を作れば良いのだ。
今後も様々な実験をしながら、結果をここで報告していきたいと思う。電気は余っているらしいから使ってもいいのだが、使わないで快適に過ごせるならそれに越した事はない。その知恵を共有していくことも、今後のエネルギー政策の大事な要素になるだろう。
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sent from W-ZERO3
話は変わるが、私は小学生の時風使いだった。私が手をかざせば風が吹き始めるという特殊能力を有していた事は、先日ラジオへの投稿でカミングアウトをしたので、知っている人もいると思う。あれから20年。すっかり忘れていたが、私は今一度「風」を使う能力を磨くべく研究を始めた。
焼鳥屋の仕事場というのは灼熱の世界だ。火を使う、故にエアコン効かない(というか効いているかわからない)、湿気あるから汗は蒸発しない、毎年この繰り返しが当たり前のようになっていた為、ほとんど諦めムードでこの時期を迎える。この時期を堪え忍ぶこと、それが焼鳥屋苦難の第一項に記される事なんだね。
お店の前の商店街メインストリートに目を向けると、非常に良い風が吹いている事に気づく。風の通り道になっているようだ。自然の風というのは人工の風とは明らかに違う。その風で何とか店内を快適にさせることはできないものか。
そういう発想を後押ししてくれたのがNHK「あさイチ」で特集された夏を涼しく過ごす方法だ。その中で自然の風を家の中に通すことで快適な生活を送っている大学教授がいた。その方法は単純で、風の入り口と出口を作り、それを扇風機などで補助するというもの。入れた風を「捨てる」事が大事である、という言葉は目から鱗であった。きっとこの感覚こそ鍵であると直感で思った訳で。
つまりお店のフロントは風が抜ける通りがあるから、その風は入るのでそれが抜ける道をつくってあげる。それをサポートするために扇風機は排気口へ向けて「中間換気扇」として置く。風というのは即ち空気の動きだから、火をつかう環境で汚れた空気を廃棄し、新しい空気を入れるという事が大切のようだ。
で実際やってみたところ、一見体感として風が当たるとか冷えるという事は無いが、空気が常に入れ替わるから不快感が緩和されている、と思う。この仮説の数字的根拠を示せていないので、ほかの人に理解を得てはいないが、要は夏なんだから暑くて当然。ならば「快適に暑く過ごす」という思考の転換が必要なのだと思う。空気は淀めば酸素が薄くなり、イライラの原因になる。暑くても不快感がなければいいのだから、空気がとどまらず流れる環境を作れば良いのだ。
今後も様々な実験をしながら、結果をここで報告していきたいと思う。電気は余っているらしいから使ってもいいのだが、使わないで快適に過ごせるならそれに越した事はない。その知恵を共有していくことも、今後のエネルギー政策の大事な要素になるだろう。
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