わが故郷 その3
世界遺産の登録を目指して活動している我が故郷歴史的な教会群の陰で実はとても凄惨な過去を持つ島でもある!牢屋の窄明治初期当時の国の一方的な方針でキリスト教弾圧が行われたそれはもうとても筆舌に尽くしがたいほどの凄惨を極めたやり方だったようだ!下記は文献の一部を引用したもので事実がそのまま書かれていて かなり悲惨な内容なので気を付けて下さい久賀島・牢屋の窄の殉教 久賀島の迫害(牢屋の窄殉教地…五島崩れの発端の地) 1868年(明治元年)11月12日,23人のキリシタンが捕らえ られ,福江の城下の牢に入れられ拷問にかけられる。 その後,全島のキリシタン老若男女,幼児まで,200人近 い信者が捕らえられ,前の23人と共に松ケ原の牢に閉じ込 められ,呵責,算木責,火責,晒し責,押から責,氷責,水責, 竹責,十手責などといった方法で拷問にかけられた。 特に厳しい拷問を受けたのは,30歳の豊蔵と35歳の惣五 郎だった。豊蔵は呵責,算木責,晒し責,押から責,竹責,十 手責と6種類の拷問にかけられる。(惣五郎については別 記) 牢の広さは桁行3間,梁間2間の6坪(たたみ12枚)のバ ラック,中央を厚い板で仕切り,男牢と女牢に分け,ぴった りと戸を閉めきった言語に絶する狭いものであった。たた み一枚の広さに何と15人の者を入れていたことになる。多 くは人の体にせり上げられて足は地につかず,さらに身動 きすらできない状態であった。 食べ物も小さなさっま芋を朝に一切れ,晩に一切れ支給 するのみで,子供を抱えた母親はそれすら自分の口に入ら ず飢えを叫ぶ子供の手に奪われる。そのような状況の中, 老人,子供は飢えと寒さの為次から次と倒れた。 最初に死んだのは79歳のパウロ助市だった。その死骸は すぐ葬ることも許されず,5昼夜も牢内に棄て置かれ,大 勢に押し潰され殆ど平たくなってしまった。 牢内にはトイレもなく,その不潔さとにおいは例えよう もないほどひどいものだった。やがて蛆虫が湧き,土間全 体に広がり着物を伝って這い上がり,噛まれた者も少なく はなかった。特に13歳のドミニカたせは蛆に下腹を噛み破 られ死亡した。 牢内に囚われること8ケ月,一般信者はすぐ解放された が,指導的立場の信者が解放されたのは,それから2年余 後だった。その間牢内で死亡した者39人,出牢後死亡した 者4人を数えた。当時は自分が幼かった事もありその歴史の重大さをよく認識していなかったが大人になって初めて歴史の重大さを知った!こういう事は後世に語り継がなければいけない事だろうと思うまた将来、世界遺産に登録されればもっと世界の人たちに周知される事だろう是非実現してほしいものだ