▼「子犬のワルツ」
書いたけど
ネットには出してない物が結構ある
それは
それぞれの理由によるものだから
いつか出すかも知れないし
永遠に出さないかも知れない
それどころか
書いてない物
書けない物が結構ある
それも
それぞれの理由があるから
いつか書くかも知れないし
永遠に書かないかも知れない
思えば僕は
君とは関係のない場所で
自分の尻尾を追って
くるくるくるくる回ってる
犬のようだった
止まりたかったけど
止まろうと何度も思ったけど
止まれなかった
止まり方すら
わからなくなっていた
六年前の十月、
ある作品を書いた時
僕はもうこの先
書かなくなるかも知れない
と感じた
三十年以上続けた作業を
しなくなるかも知れない、
と
それ以降
書きかけの物を推敲した時に
大幅に改稿した物は
その日付になっているけれど
新しいものは
本当に
なにひとつ
書いていない
この六月、
「こうして能面化」を書くまでは
思えば
それも君が書かせた物だった
君への思いが
冗談じゃすまなくなっていく過程で
僕は書き続けなければ
身が持たなくなって行った
けれど
「真剣に、僕は死ぬまで、使わないのだと、信じていた」
と言う作品を書いてから
僕は
書けなくなった
書いてから数日後に
迷いながら
一度 ネットにあげたけれど
一時間も経たずに
消した
これは
出してしまったら
取り返しがつかない
吐いた唾は飲み込めないように
一生
後悔するかも知れない
迷いが払拭できず
出せないでいた
他にも出してない物は
いくらもあるのだから
構わない
と思っていたのに
書けなくなった
小学生の頃
ショパンのOp.64の2が弾きたくて
ただ、それだけの理由で
ピアノを始めた
七年間続けていた書道をやめても
弾きたかった
Op.64の2があるなら
当然Op.64の1がある
別に通過しなくてもいいけれど
知名度の高い曲だから
多分 誰でも通過する
「子犬のワルツ」だ
僕の講師は通過する事を望んだ
通過しなければ
Op.64の2へ進めなかった
自分の尻尾を追いかけて
くるくる回る子犬を見て
ショパンは曲を書いたけど
今の僕は
自分の尻尾を追う事すらできず
止まっている
書かないでいる事で
僕の思考は
ますます混乱を極めている
「子犬のワルツ」を通過しなければ
先に進めなかったように
「真剣に、僕は死ぬまで、使わないのだと、信じていた」を
出して
今の自分を認めなければ
僕は
先に進めないのだろう
六年も
書かなかった時期があったのだから
構わないじゃないか
と言う問題ではない
あの時
書かなくなったのは
絶望的な
虚無からだった
この六月
書いてしまったのは
切迫した
必要性からだった
そして
今も僕は
切迫している
切迫し続けている
「真剣に、僕は死ぬまで、使わないのだと、信じていた」を
出すのを
こんなにも恐れている理由は
自分でも
よく分かる
六月前、
一旦 鉛筆を置いたあの作品が
「一回休み」
だったとしたら
これは
僕の人生の
「上がり」
になるのではないかという恐怖だ
けれど
子犬は
回るのをやめても
君を見る目を
背けられない
書いたけど
ネットには出してない物が結構ある
それ等とは
違う次元で
僕はその作品を
出さなくてはならなくなっている
たとえ
一生 後悔する事になろうとも
そこで
僕自身が
「上がり」になってしまおうとも
馬鹿犬は
馬鹿犬らしく
もう一度
自分の尻尾を追って
回りはじめる その為にも
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