徳島は那賀川源流近くには平家落人集落が800年余って今も
集落として集団生活をされています。そしてその集落はあまり
しられていないので今回「かくれ平家落人伝説」として紹介させ
ていただきます。
「かくれ平家落人伝説」になぜ興味をもったかと申しますと私は
京都生まれで小さい頃祖母に連れられよく行っていたお寺を昨年
祖母の墓参りの帰り五条坂の陶器市と赤い赤いお寺、地獄絵図
強烈な線香のにおいの記憶を元に探し、見つかりました。
そのお寺は六波羅密寺・真言宗空也が天暦5年(951年)開基の
お寺で、この地区は昔、六波羅と言って平氏一族が居を構えて
開かれた土地でありました。
そして奥に目をやると・・・
なんとなんと「平清盛」の墓がひつそりとありました。そしてこの地が
平家一族の一大パノラマ御殿であったことが伺えます。
子供の頃京都から海を渡り父方の出身地徳島南部の町に
移転してきました。
実はそこから車で5~10分程度行ったところが徳島小松島市の義経
が平家を追って上陸した場所でした。義経は兵を立て直し香川県
屋島に向かいました。
徳島小松島市旗山にある義経騎馬像です。
屋島の合戦(寿永4年 1185年)に敗れた平国盛一行は阿讃山脈を
越え徳島吉野川をさかのぼり・・・
かずら橋で有名な秘境祖谷へと百騎余りでのがれ平家落人となって
いきます。
平国盛の末裔とされる二十二代目阿佐家住宅、それから800年余り
今現代も普通に日常生活を営み、二十三代目も控えています。
ここまでは皆様も祖谷の平家落人伝説としてよくご存知と思います。
実は祖谷から別れた一団が・・・
奥祖谷から霊峰剣山を越え反対側の徳島は那賀川の源流近く那賀町
にのがれた一団があることが判りました。
徳島は山深い那賀町、蝉谷集落、平家落人集落として800年余り今も
生活されています。
同じく岩倉落人集落の全景写真です。
約3カ月かけ上記を取材してみました、そして徳島・秘境祖谷平家落人
伝説が表ならこちらの徳島は那賀川源流近くの那賀町の平家落人
を「かくれ平家落人伝説」と命名して週に1回程度の割で物語として
投稿していく予定です。
地図、写真はその上の
ハンドマークをクリックすると拡大できます。