「かくれ平家落人伝説」四国徳島編・・・12
今まで源平屋島の合戦で紹介しました那須与一、扇の的・義経弓流し
跡はこの相引川(前方が海)の右側でしたが今回は左側、屋島の裾野
にある史跡を紹介いたします。
途中に安徳天皇社・佐藤継信の墓の庵治石の標識がありますので見の
がさないようにしてください。
実はここらへん、相引川河口あたりも下関、壇ノ浦の戦いと同じく壇ノ浦
といいます。壇ノ浦を調べると、台形とか祭りごとを行う平らな地形を言う
ようです。多分源平屋島壇ノ浦の合戦では下関と間違えやすいので屋島
の合戦になったと推測できます。
屋島の壇ノ浦を一望できる丘に立ちますとその地形がよくわかります。
手前写真を撮ったところが屋島の裾野で静かで穏やかな農業中心と
住宅街が広がる地域で昔、平家と源氏が争った合戦の場所とは今は
面影がありません。
この後ろのあたりが・・・
屋島の裾野にある安徳天皇社
8歳の安徳天皇に関してはいろいろな説がありますが一番通説と
なっているのが、下関の壇ノ浦の戦いで祖母平時子に抱かれ三種
の神器と共に入水されたとの説が有力視されています。
安徳天皇は父・高倉天皇 母・平清盛の娘、平徳子の子供で祖母
は深田恭子演じる平時子です。
娘を天皇家に嫁がせることで天皇家と密接な関係をつくりあげて
いった平清盛の野望がよくわかります。
屋島の戦いで祖母・時子に抱かれ入水したとの説もあり私も子供の
ころの作文ではそう書いた覚えがあります。
もう一つの説は平国盛(平教盛の子供で,教盛は清盛と異母兄弟に
当たります。教盛を演じるのは鈴の助という役者です。)が屋島の
合戦の後、かずら橋で有名な秘境祖谷に一緒に逃れたとの説もあり
安徳天皇の墓もありまた高知にもあるとのことで諸説いろいろが現状
です。しかし8歳で時代に翻弄された気の毒な天皇です。
天皇社には最近では皇太子様が参拝されたと記念碑がありました
逸話の一つに
下関の壇ノ浦の話ですが、当時地元の漁師は壇ノ浦で釣りをする時
正座をして釣りをするとのこと。何故・・・安徳天皇が海底に眠って
いるからとの理由で・・・