「チャベス」 H・チャベス & A・ゲバラ著 伊高浩昭訳 (作品社)
日本語版への序
日出づる国の敬愛すべき読者の皆さんへ アレイダ・ゲバラ
本書の日本語版が刊行されると知って、私は大きな喜びにつつまれました。 異文化間で情報と知識を交換することが好きだからです。読者の皆さんに本書を通じて私達の生き方や感じ方をより良く知ってもらえるようになれば、私は満足です。特に、より良い世界の実現が可能なことを証明しようと試みているウーゴ・チャベス大統領のような人物の言葉を通じてであれば、なおさらです。
本書に対し皆さんが関心を抱いてくださったことに感謝します。 (中略)
2006年2月 ハバナにて
- ウーゴ チャベス, アレイダ ゲバラ, Hugo Ch´avez, Aleida Guevara, 伊高 浩昭
- チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!
失われた時を求めて マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社
第6巻より 第3篇「ゲルマントの方 Ⅱ」P410-1行目~412-1行目
・・・こうして話題はふたたび家系のことにもだっていったが、そのとき、とんまなトルコ大使夫人が私の耳許でささやいた、「あなたはゲルマント公爵にたいそう気に入られているようですね。ご用心あそばせ」そして私が説明を求めると、「それはですね、全部申さなくてもお分かりになりましょうけれど、あのかたは、娘なら安心して託せるけれど、息子は危ない、という男性なんですよ」ところが反対に、ただ熱烈に女性だけを愛する男がいたとすれば、それこそまさにゲルマント公爵だった。しかし大使夫人にとっては、素朴に信じこんだ真理に反する間違った事実こそ、生活空間のようなもので、それをはずれてしまうともう身動きがとれないのである。「あのひとの弟さんのメメは、まあ、別なわけもあって(彼は大使夫人に、挨拶もしないのであった)、わたしには本当に虫の好かないかたですけれど、公爵の行状を真剣に悲しんでいらっしゃいます。あのかたたちの叔母さまのヴィルパリジさんもそうですわ。ああ!なんて素敵なかたでしょう。あれこそ聖女です。文字通り、昔の貴婦人の典型そのものです。美徳の生まれかわりだというだけではありません。慎しみぶかいかたでもあるのです。あのかたは、毎日のようにお会いになるノルポワ大使にも、今もって《ムッシュー》とおっしゃるくらいです。ついでに申せば、そのノルポワ大使は、トルコでとてもよい評判を残されたかたですのよ。」
私は家系の話をききもらすまいとして、大使夫人には返事もしなかった。もっともその家系の話も、すべてが高い身分のものだったわけではない。話の中で、ゲルマント氏が教えてくれた思いがけない婚姻のひとつなどは、まったくの不釣合いな身分の結婚と言ってよいものですらあったが、それでも魅力に欠けてはいなかった。というのもそれは七月王政下に、ゲルマント公爵とフザンサック公爵を、さる有名な航海士の美しい二人の娘に結びつけたもので、こうして二人の公爵夫人に、異国ふうとも言うべきブルジョワ娘の優美さ、ルイ=フィリップ的なインドふうの優雅さという、思いがけない刺激的な魅力を与えたからだ。あるいはまたルイ十四世の時代に、ノルポワ家の一人がモルトマール公爵の娘と結婚しているということがあったが、この華々しい称号は、地味で新しい家系と思ったノルポワ家の名前を遠い時代のなかで鋳造し直して、そこに美しいメダルを深く刻印していた。もっとも、これらの場合に、結びつきによって恩恵を受けるのは無名の側だけではない。もう一方は、輝かしい名前であるために帰って平凡になっていたが、このように新たな目立たない姿を帯びることによって、いっそう印象的になるのだった。ちょうど、まばゆいばかりの色彩画家の描いた肖像画のなかで最も感動的なものは、ときによると、黒だけで描いた作品であるように。互いに遠くはなれていると思ったこれらの名前が、肩を並べて寄り添うのを見ると、そういうものがみな新しい流動性を身につけたように思われたが、それはこれまでの私の無知のせいだけではなかった。私の心のなかで行われているそうした名前の交錯運動は、称号が常に土地に結びついていた時代にも自由自在に実施されていたのであり、そのような時代には称号が土地に従って一つの家族から別の家族へと移行したから、たとえばヌムール公爵とかシュヴルーズ公爵といった称号――この封建時代の美しい建造物――のなかに、まるで貝の住居に迎えられるヤドカリのように、ギーズ家の人や、サヴォア大公や、オルレアン家、リュィーヌ家などのひとが、つぎつぎと身をひそめているのを私は発見できたのである。
- マルセル プルースト, Marcel Proust, 鈴木 道彦
- 失われた時を求めて〈3〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈1〉
「恋愛芸術家」 岡本敏子(構成・小泉すみれ) マガジンハウス
・・・ 必要とされているほうに 気持ちは流れていく ・・・ より (103ページ ・ 8行目)
これは男女逆の話になっちゃうけどね、太郎さんのお母さんの岡本かの子さんという人
は、夫の一平さんや男の人たちからほんとうに一生懸命支えられてたのね。
強烈に支えを必要とする人だったらしいのよ。
太郎さんが子どもの頃の岡本家はほんとうにすごい状態だったみたいね。
なんでも、お台所のざるの中にお金が入れてあって、そこから御用聞きが勝手にもってい
くとか。
岡本かの子さんはとっても目が悪くて、ざるからお金が落ちても気づかないから、子ど
もの頃の太郎さんは買い食いをするお金には困らなかったっていうエピソードがあるくらい、
すごいおうちだったのよ。
でもね、家事にうといかの子さんのことを、夫の一平さんも、まわりの男性もみんなが支
えてて、それでその一家は成り立っていたの。
まわりがやらざるをえないのよ。
みんな、かの子さんに、生き甲斐をもって尽くしていた。
世間では、破廉恥だとか、乱脈だとかって見ていたらしいけど、太郎さんに言わせると、
とても清らかだったし、純粋だった、って。
瀬戸内寂聴さんがかの子さんの伝記を書くときに、当時彼女のまわりにいた男性に取材に
行かれたんですけどね、みなさん「そりゃあもう、あの頃は生き甲斐がありました」って、
言ってらしたそうよ。「たいへんだったけど、あの時代は生きてるっていう実感がありまし
た」たって。
その方たちは、外では大学教授とかお医者様とか、ちゃんとした肩書きを持ってお仕事し
ていらっしゃったんだけど、岡本家ではエプロンしてお風呂炊いたりしてたんですよ。
~ 中略 ~
かの子さんは常識的に見ればどうしようもないお母さんで、太郎さんへの教育もなってな
かったらしいんだけど、親子を超えた人間対人間のぶつかり方のはげしさといったらね、そ
れはもう、真剣で強烈なものだった。
太郎さんもそのはげしさを受け継いだんでしょね。
すごい一家ですよ、岡本家は。
- 岡本 敏子, 小泉 すみれ
- 恋愛芸術家
詩集「なんでもない風」垣内磯子詩 早川純子絵(トムズボックス)より
二階の窓の
とてもお屋根に近いところ
レースカーテンのかげに
あたしはちいさな巣をつくります
そこなら
お日さまと黄色いすみれに
こんちわ言えるから
パンの匂いがして
南東の風が
薄っぺらなうずをまいて
通りすぎて行くのです
あたしの巣は変てこだって
すずめが怒ってのぞきます
でも ここで
あたしは何だか
かげろうみたいな気分になって
レモンパイをかかえたまんま
たそがれまでうづくまっているのです
――春の卵をあたためながら
「直感で生きる」森 眞由美著 (PHP研究所)
「自然の法則」に適うより宇宙と調和した生き方をしようと「決心」し、ストレートな「行動」を積み重ねていく
と、それこそ自然にだんだん宇宙の働き方や自分との関係への理解が深まってきますし、見えるものも見
え、表現できるものも表現できるようになってくるようです。すると宇宙の本質は本来とてもシンプルである
ことがどんどん実感できるようになります。生きることがただただ「感謝」であるという日々感動の毎日にな
ってきます。本当にありがたく、また嬉しいことです。
・・・・・・・・・・
「スティーブ・ジョブズの再臨」アラン・デウッチマン著 大谷和利訳 ・・・Ⅱ
・・・・・ 53ページ2行目 ・・・・・
ともかくスティーブの完全主義の度合いはすさまじかった。それでも、若いときには、それはまだ抑
えつけられ、内に秘めらていたと言える。 高校やカレッジ時代の友人は、スティーブのことを結構の
んきな人間として覚えていた。聡明だが、何かに向かって突き進むようなところは無かったのだ。とこ
ろが、21歳でアップル社を共同設立してパーソナルコンピューターの可能性を見据えたときに、彼は
新しい自分を発見して変身したのだった。自らの運命を感じて、使命感に突き動かされたからである。
その運命も、30歳にして初めて不確かなものとなった。スティーブは、さすらい人や宇宙飛行士や
庭師になるという考えをもてあそびながら、その一方で、自分の信奉者のことが気にかかっていた。
アップル社に留まった彼の忠実な部下たちは、不安でみじめな日々を送っている。彼が信じた人々も、
先に進むために散り散りになりかけていた。もし、彼らのことを何とかしたいのなら、今こそ行動に出る
べきだった。
出典:タイトルに記入 出版社は(朝日コミニケーションズ)
「スティーブ・ジョブズの再臨」アラン・デウッチマン著 大谷和利訳
・・・・・13ページ6行目 (序章)・・・・・
「そういえば、最後に一つ」と彼は無頓着に言った。過去2年半に及ぶ躊躇と優柔不断の末、スティーブはついにアップルコンピュータの正式なCEOの肩書きを受け入れることにしたのである。
数千の聴衆は立ち上がり、そのことを祝った。巨大なホールに、次から次へと拍手が反響する。
彼らはマントラのように名前を唱え続けた。
「スティーブ! スティーブ! スティーブ! スティーブ!」
ストイックにクールさを保とうとした彼もついにはプライドを捨てて半分笑みを浮かべ、自分が引き起こした手のつけられない騒ぎを恥ずかしそうに見つめている。
「サンキュー、サンキュー」と彼が言うと、たちまち不気味なほどの静けさが戻り、忠実なしもべたちはリーダーからの言葉を待った。
「君たちのおかげで、何だか不思議な気持ちになったよ」と彼は静かに言った。
「なぜって・・・」
感情がこみ上げた彼は、ここで一旦言葉を切って、落ち着きを取り戻さねばならなかった。
・・・
出典:タイトルに記入 出版社は(朝日コミニケーションズ)
- アラン デウッチマン, Alan Deutschman, 大谷 和利
- スティーブ・ジョブズの再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活
「銀杏散りやまず」 辻邦生著 新潮文庫
第六章 桃源の神の舞い ・・・174ページ」
山から流れてくる清水が岩のあいだできらきら光りながら、しぶきをあげていた。青々と
した羊歯(しだ)がその水しぶきを浴びて揺れていた。
「何日か早かったら神楽が見られたのにね」
私は妻に言った。
「でも、こうしてご先祖の記録を捜しにきただけでも、お父さまはきっとお喜びになってい
るわ」
「ああ、そうだね、桃の花畑を知ったのもお神楽見物のおかげだったからね」
私が辻守瓶の歌碑を見たのはその日の正午であった。もちろん辻保順医院を訪ねたのもそ
れがはじめてであった。 ・・・・・
「癒しとやすらぎのミニ・コース」
自分が経験したいものを、私たちに選ばせるために、時は存在している。
「私たちは、やすらぎを経験したいの? それとも、葛藤を経験したいの?」
各瞬間、私たちはどちらでもえらぶことができる。
出典:「癒しとやすらぎのミニ・コース」ジェラルド・G・ジャンボルスキー著 高見恭子訳 春秋社・46ページ