返すと言う事
ボク達人間は不安を抱えて生きています。
自信満々に生きているように見える人でさえ、定期的に人間ドックに通っていたり、某有名占い師のしもべだったりします。
それは何故でしょうか?
ボク達は「与えられる」環境からスタートしているからです。
つまり、おぎゃ~と生を受け、親から愛情を与えられ、国から義務教育と言う基礎知識を与えられ、自分で選んだはずの会社でさえ、その環境はあなた以外の人が作ったものだったりします。
したがって、受取ることに抵抗が無い心理状態が、脈々と作られて来ているのです。
しかし、あなたに愛情を注いだ親も、国の義務教育も、会社も、与えてくれるものは「生きて行くベース(基礎)」でしかありません。
その愛なり環境なりから、本来の意味を汲取り、活かして行くあなたがいなければなりません。
つまり、受取るだけで、応用して返して行けなければ、あなたに進歩は無いのです。
例えば、親からスプーンで食べさせてもらって(覚えるまで教えてもらえる)、今度は自分で持って食べる事を薦められます。
そして、箸で食べる段階に進み、食事を与えられさえすれば、生きて行ける状態になります。
この親子と言う関係は無償の愛です。
見返りは求められませんね。
しかし、国の義務教育になると少し変わって来ます。
教師自体は、あなたの親と近い感覚で勉強を教えます(そう信じたい!)。
しかし、背景にある「国」を考えると、きちんとした見返りと言うか、思惑が存在します。
つまり、義務教育が終る15才から、国と言う環境を維持・発展させて行く責任を負わされています(人によっては22を過ぎても・・・・)。
自覚するとしないに関わらず、若い労働力は国益予備軍ではあると言う事だとわたしは思います。
さらに、企業(会社)へ身を置いた場合、生きて行くための収入を与えてくれる代わりに、会社への「貢献」と言う責任を明確に負わされることになります。
ここで気付かないといけないことは、親子関係の場合は、愛と言う「与えられる一方」だったものが、次第に、与えられたら、返して行くと言う、「責任」が発生して来ていると言う事。
そして、その責任の果し方によって、人生の全てが変わって来ると言う事です。
ここに、気付かないでダラダラと人生を送っている人は、必ずと言っていいほど、人生が上手く行っていません。
【 教 訓 】
人生は極論すると、自分の身を置く環境への責任を自覚し、応用力を発揮して自ら与える人は成功し、応用力の少ない返す事も少ない人は、不平不満の中に自ら身を置き、成功とは程遠い状態で終ると言う事です。
責任を果すためには向学心を持って、経験値を上げるために学ぶ環境に身を置き、さらに、学んだ事を活かし、ありったけの力で社会に貢献し、経験の全てを後進へ伝える。
つまり、今、環境があなたに与えてくれている以上に、自分の力で与えること(返す)をして行かないといけないのです。
もしそれが出来ていたら、あなたの周りには多くの人が居て、あなたは幸せを感じている事でしょう。
あなたは「返す事・与える事」をしていますか?
自信満々に生きているように見える人でさえ、定期的に人間ドックに通っていたり、某有名占い師のしもべだったりします。
それは何故でしょうか?
ボク達は「与えられる」環境からスタートしているからです。
つまり、おぎゃ~と生を受け、親から愛情を与えられ、国から義務教育と言う基礎知識を与えられ、自分で選んだはずの会社でさえ、その環境はあなた以外の人が作ったものだったりします。
したがって、受取ることに抵抗が無い心理状態が、脈々と作られて来ているのです。
しかし、あなたに愛情を注いだ親も、国の義務教育も、会社も、与えてくれるものは「生きて行くベース(基礎)」でしかありません。
その愛なり環境なりから、本来の意味を汲取り、活かして行くあなたがいなければなりません。
つまり、受取るだけで、応用して返して行けなければ、あなたに進歩は無いのです。
例えば、親からスプーンで食べさせてもらって(覚えるまで教えてもらえる)、今度は自分で持って食べる事を薦められます。
そして、箸で食べる段階に進み、食事を与えられさえすれば、生きて行ける状態になります。
この親子と言う関係は無償の愛です。
見返りは求められませんね。
しかし、国の義務教育になると少し変わって来ます。
教師自体は、あなたの親と近い感覚で勉強を教えます(そう信じたい!)。
しかし、背景にある「国」を考えると、きちんとした見返りと言うか、思惑が存在します。
つまり、義務教育が終る15才から、国と言う環境を維持・発展させて行く責任を負わされています(人によっては22を過ぎても・・・・)。
自覚するとしないに関わらず、若い労働力は国益予備軍ではあると言う事だとわたしは思います。
さらに、企業(会社)へ身を置いた場合、生きて行くための収入を与えてくれる代わりに、会社への「貢献」と言う責任を明確に負わされることになります。
ここで気付かないといけないことは、親子関係の場合は、愛と言う「与えられる一方」だったものが、次第に、与えられたら、返して行くと言う、「責任」が発生して来ていると言う事。
そして、その責任の果し方によって、人生の全てが変わって来ると言う事です。
ここに、気付かないでダラダラと人生を送っている人は、必ずと言っていいほど、人生が上手く行っていません。
【 教 訓 】
人生は極論すると、自分の身を置く環境への責任を自覚し、応用力を発揮して自ら与える人は成功し、応用力の少ない返す事も少ない人は、不平不満の中に自ら身を置き、成功とは程遠い状態で終ると言う事です。
責任を果すためには向学心を持って、経験値を上げるために学ぶ環境に身を置き、さらに、学んだ事を活かし、ありったけの力で社会に貢献し、経験の全てを後進へ伝える。
つまり、今、環境があなたに与えてくれている以上に、自分の力で与えること(返す)をして行かないといけないのです。
もしそれが出来ていたら、あなたの周りには多くの人が居て、あなたは幸せを感じている事でしょう。
あなたは「返す事・与える事」をしていますか?