学校を立てる
難民のために
井戸を
という夢を掲げる人たちは
1度もアフリカに来て
リアルを見たことがない場合がほとんどだ。
そういう面もあるけれど
そうじゃない面もたくさんある。
はじめから「恵まれない」
という偏った思い込みをもって
その色メガネでしか物事をみない。
恵まれないブランディング。
そのメディア洗脳をうけたままで
可哀想な人たちを救う!
と大志をかかげているけれど
幸せに暮らしている人に対して
あなたは可哀想です。
あなたの暮らしは劣悪です。
あなたは幸せじゃない。
そう決めつけて
そのように扱われる事。
なんか変じゃない?!
今はそれがすっかり馴染んでしまったけど
はじめはそうじゃなかったと思う。
いきなり家に外国人が訪ねてきて
あなたの子どもたちは
可哀想だ。恵まれない。
と外野に言われたら
あなたはどう感じるだろう?
先進国の描く押し付けた
恵まれた世界
よりも
もっと豊かで
私達が失ってしまったものが
まだまだ残っているのに。
豊かな森を切り開いて
学校を建てることが
正義だと疑わない
人たちが多いけど
学校を建てて机に座り
将来使うか分からない方程式を
覚えるよりも
森で遊ぶことは、
たくさんの事を教えてくれる。
樹齢何千年もの
立派なバオバブの木を
切り倒し
小さな運動場のついた
学校を建てることに
いったいどれくらいの価値が
あるのだろう?
幸せの在り方だと信じて疑わない
暮らしをしている先進国の
私たちのほうが幸せだというのは
いったいどうやって
測ったのだろう??
道行く人たちの目は
都会に住む日本人よりも
森が豊かなタンザニアの村人の方が
生きていて、輝いている。