今年も気ままに読んで、書いて、細々と続けていきたいと思っています。
おそらくですが、アメブロを初めて20年目に入る気がします。18年目でした![]()
時が経つのは早い。。。
始めた頃のブログを読むと、恥ずかしくて消そうかなと思うほどです。
以下、父の死の話になります。
実は、更新しなかった間のことですが、
父が12/30日に亡くなりました。
間質性肺炎と診断されて5年近くもったと思います。以前記事にも書いて私もショックを受けた、父の弟が11月に同じ病気で亡くなった件から、
みるみる弱っていったようです。
父が受けたショックは相当なものだったと思います。
認知機能も落ち、トイレまで歩く筋肉もなくなり、食欲も息苦しくて食べられず。
寝ても覚めても息苦しくうなされていました。
最期は病院に入院してから4日目の早朝に息を引き取りました。
2日前から何度か危篤になっては持ち直す状態で、かけつけた時に、沢山話しかけて手を握って感謝を述べておけたのは自分としては良かったです。
お父さんやっと苦しまずに済むね、と家族皆で思っています。
年末年始で火葬場も休みだった&混んでおり、1/10日にやっと葬儀を終える事が出来ました。
・・・
父は、とにかく真面目で、タバコもお酒もギャンブルもせず。ピュアでお茶目なところがある人でした。
戦後直後の田舎で産まれ、下宿して国立大に進み、東京で就職し、同郷の母とお見合い結婚しました。
それからは育児は専業主婦の母に任せ、100%仕事人間でした。おかげで、私と弟2人は大学卒業まで自らが選択した道を進む事ができました。
亡くなる数ヶ月前まで語学や歴史など前向きに勉強していた父。
定年後に資格もいくつか取得していました。
定年したら、誰かの役に立てることを肌で感じられる事をしてみたい、と、JAICA(シニア海外協力隊)に志願し、東南アジアに2年派遣され、それから現地の沢山の人達との交流がずっと続いていました。オンラインで日本語を教えてあげたり、去年だいぶ苦しくなってからも現地を訪れていました。
父のスマホからFacebookで亡くなった旨を報告させていただき、お悔やみの言葉と共に、現地で過ごしていた頃の写真を添付してくださり、涙が止まりませんでした。
私は、高校生〜短大生の頃、遊んで帰宅が遅い事が続き、父と大喧嘩したり、揉み合いになったと時期もあり、社会人になるまでは誰よりも心配をかけていたと思います。
私が社会人になって、ようやく対等に話せるようになってきたかな。
孫にも優しくお茶目なおじいちゃんでした。
葬儀は家族葬にしました。父が自分の為にお金を沢山使う事を好まない人だったからです。
庭のお花を見るのが生きる希望だった父に、沢山のお花でお見送りする事が出来ました。
頼りないと思っていた弟2人が、しっかりと母を支え、母の代わりに色んな決め事や手続きを行ってくれていて、他所へ嫁いだ身としても安心しました。
【父の1番の供養は、残された私たちが精一杯毎日を生きる事】と喪主をつとめた弟が最後にまとめてくれて、その通りだと思いました。
端的にまとめたかったのに、長くなってしまいごめんなさい。
自分とその人生と、周りの人たちを大事に生きていきたいです。