開いて下さりありがとうございます
息子達が学校に行きにくくなり
もうすぐ2年が経過。
現在は、2人とも完全不登校です。
子どものこと、私の心の学びや気付き
日々のあれこれを綴っています。
こんにちは。
柑橘の季節ですね。
ゆず・カボス・はっさく・れもん…
この時期、お裾分けをあちこちからいただいて 嬉しいかぎり🙏✨
はっさくの、ちょい苦(にが)が美味しい~
さて
息子達の不登校をきっかけに
自分自身と向き合い始めた私ですが、
まずはじめに
「自分の感情がよくわからない」
に直面しました。
(だから、向き合うんですけどね。)
当初、カウンセリングで「どんな気持ち?どう感じる?」と聞かれ
「えーと、悲しい…デス。…これって合ってますか?」って真剣に自分の感情を人に質問するほどでした。
自分の感情に蓋をして生きてきたんだなと
ようやく気づくわけです。
人は生まれながらに、感情に「蓋」をしてるということはなく
人生のどこかのタイミングで
生きるため、生きやすくするために必要に応じて「蓋」をするようになるのですが、
「蓋」をしたまま、忘れていたとしても
気づかないふりして日々を過ごしていても
無意識下(潜在意識)にその感情は記憶され
勝手に消えることなく留まったままです。
そして、その感情は「ここにいるよ、気づいてよ」と言わんばかりに
目の前の不快な(と感じる)現実として、その存在を知らせ続けてくる…
そのように聞いたことないですか?
感情に「蓋」をしたままの記憶はないか…と自分を振り返る中で、浮かび上がってきた出来事がありました。
私が3歳の時、母方の祖母が亡くなりました。
車で2時間のことろに母の実家はあり、毎年お盆に会っていた祖母。
記憶は火葬場にいるところから。
祖母の棺の周りに、親族みんなが集まっていて
いとこのお姉さん達は泣きじゃくっている。
悲しみの空気に包まれて、私も今にも泣きそうで
目にたまった涙で、視界がぼやけていたのを覚えています。
母の足にしがみ付いていた私は
「おかあさんのお母さんのお葬式なんだから
おかあさんが一番悲しいよね?おかあさんも泣くよね?」
そう思い、母の顔を見上げました。
母は口をきゅっと一文字に結んでいて
泣いてはいなかった。
2人の姉たちも、泣いてなかった。
それをみて、私も
「泣いてはいけない」
そう思い、泣くのを必死でこらえました。
そんな一場面。
きっと、3歳の私は普段は何でもないことで泣いていたと思います。
でも、このときは
母以上に悲しんではいけないような気がして、
泣いたら姉に責められるような気がして、
母のやり方から学んで、
「泣かない」を選んだんだと思います。
記憶が曖昧なところもあるのに
体感はしっかりと残っていて
この時のことを思い出すと
胸から喉にかけて内側から強く圧迫されるような感覚とともに
「泣いてはいけない」「感情を出してはいけない」
という気持ちがこみあげてきました。
その体感は、当時3歳だった私が感じていたもの。
そして、消化しきれないままに私の中に押し込められてきた感情。
この場面を、
お風呂に漬かっているときや
車の中で一人の時に、思い出し
その度に「泣いていいんだよ」と声かけて
涙が出ればそのままに流し
幼児のようにしゃくりあげ
その体感に身をゆだねて
そのままのじぶんに寄り添うことを繰り返ししました。
あの時、本当は
泣きたいままに泣いてもよかった。
母もつられて泣いたかもしれない。
姉に、もしかしたら睨まれたかもしれない。
でも、何かが起きたとしてもたいしたことなかった。
泣きたいのなら泣いてよかった。
今では、そう思います。
泣きたい気持ちに蓋をすることなんてなかったんです。
その時の悲しみや苦しさにたくさん寄り添ったので
今では、その場面の自分をイメージすると、
幼いながらアレコレ考えて体に力を入れていた3歳の私が、少しだけ、ふにゃっと力をゆるめているような気がします。
当時の幼い私の力が抜けたぶん
今の私からも不要な力が抜けて、
「泣きたい時は泣いたらいい」
そう心から思えるようになりました。
「蓋」の下の押し込められた感情は、
年月が経っても風化することなく、そのまんま潜在意識の中に残っています。
読んでくださりありがとうございました😊