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KMTN@HARA

日々徒然をピグ撮影記録やイラストなどと共に。

ユッピーさん、コメントありがとうございます^^*

無事ですのでこちらでも記事を更新しますね、遅くなってしまってすみません汗







皆さんもご存知の通り、3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生しました。


幸い私は母と2人、アパートに居たので何とか無事でした。


雑誌を見ながら、今日は君に届けのDVDが届いたらすぐに見ようね、なんて他愛もない話をしながらゆっくりと過ごしていた時です。その時、いつも通りただの地震が来たのかと思いました

でも建物内では身に危険を感じる大きさになってきたため玄関を出て階段を降りようとしたとき、強い揺れが

体を襲いました。階段が見たこともないほど揺れ、手すりに掴まって立つのがやっと。その時に母が強く私の腕を握っていたのか、指の形の痣がくっきりつきました。多分1人でいたら揺れる階段降りようとして怪我してたかもしれない。あんなに長い間の大きな揺れは生きている心地がしませんでした。

治まってはまたくる余震に、中々部屋に戻れませんでした。


停電・断水。情報は携帯からしか得られません。

何が起こったのか実際に見ようと母とアパートの周辺を少し回ってきました。

信号機は消えているし、道路は波打っているし、本当にここは日本なの?と思うくらいでした。


暗くなってから知った沿岸各地の大津波。その壮絶な映像に言葉が出ませんでした。

普段、仙台と言っても海には程遠い地域に住んでいるので、これが仙台で起きていることなの?と目を疑いました。


これが身近に起こった出来事なのか。

仙台からも時間を追うごとに増える亡くなった方の数。

いつも通りの日常が一瞬にして消え去ってしまった。

大勢の人を奪った地震・津波が憎い。


私が生まれた釜石。何度も遊びに行ったここも津波にのまれてしまいました。

母の兄家族が住んでいる宮古も津波にのまれました。

でも親戚は皆無事でした。

本当に奇跡だと思いました。

幼少から高校まで住んでいた遠野も地震による被害が大きかったそうです。

今は陸前高田・釜石・大船渡などの沿岸地域に住んでいた方々の避難場所や遺体安置の為の場所を提供していると聞きました。


10日以上たったわけですが、未だに余震には心臓がバクバクして変な汗をかいてしまいます。

1週間くらいは体の震えなのか地震の揺れなのか分からない位でした。

今は余震がない時は落ち着いています。


毎日辛い映像が流れる。本当に胸が苦しくなります。

気丈に振る舞う画面の向こうの人を見ると、涙が出そうになります。


壊れた街を見て、何を思うのか。


復興も大事ですが今は自分の体を大事にしてもらいたい。

泣きたかったら沢山泣いて欲しい、吐き出してほしい。弱音を吐いたっていいんです。笑いたいときに、大きく口をあけて笑って欲しい。

今は無理かもしれないけど、いつか皆で、「ほら、私達(僕たち)頑張ったよね」って言える日が来ると良い。



・・・すみません、何度文章にしようとしてもあの時の体験、今の気持ちを書くとなると中々うまく文章にまとめられませんでした。


腹と申します。

腹、シモツキハラ(音楽)、KUMAGAI MAYA(音楽) などで活動中です。

お絵描き・音楽・物作りが大好きです。

気まぐれ更新になると思いますがよろしくお願いします^^