今朝も勝手にワーシップタイムをお送りしますね。
今朝は7時からの早朝礼拝に出席。
運動会の影響で朝集まった人はやはりいつもより多いね。。
今日は
こんなバイブルにある問いかけを考えようなんて事から。
それは、
「わたしに何をしてほしいのか。」
さあ、どんな内容なんだろう?
今日の箇所はここから。
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mar10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
mar10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。
mar10:48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
mar10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
mar10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
mar10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「*先生。目が見えるようになることです。」(*欄外註 原語「ラボニ《直訳「私の先生」
mar10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
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盲人のこじきをしてたバルテマイさんが周囲の人にたしなめられながらも、病人を癒してすごい噂になっていたジーザスに会いたくて大声で叫び続けた。
ど~しても、バルテマイさんは会いたかった。
この時代、盲目の人は仕事もできず、こじきになるしかなかった。
このバルテマイさんはジーザスに会う事でしか希望を見出せなかったのだろう。この機会を逃せば失望しかなかったに違いない。
ホンマに必死やった。
声が届くまで叫び続けた。
振り向いてくれるまで叫び続けた。
例え、誰が自分をそれを止めようとも
叫び続けることをやめなかった。
ジーザスに声は届いていた
もしかして
激しく叫び続けるのを待っていたのかもしれない。
ジーザスは弟子たちに命じた。
「彼を呼べ」
待っていたのかもしれない。
ジーザスは。
僕らもそんな叫びを待ってるのかも。なんて事も思えるよね。
誰もが出来ない事でも、ジーザスの権威によれば全ての事が出来る。って事を。
そんな事を叫んでも答えてくれる方だと信頼する事のできる心を。
「わたしに何をしてほしいのか。」
バルテマイさんが
そんな心の状態だと知ったからこそ
ジーザスは呼ばれたのかもしれない。
僕らの周りには、代替え品の中に埋もれて生きている。本当に必要なのは、本当に欲しいものは何なのか?それがハッキリとしていたからこそ、こんな答えをキッパリ言えたのかも。
「*先生。目が見えるようになることです。」
僕らは
バルテマイさんに学ぶ点があるかもしれない。
そこには、盲人である事、そしてこじきである事が大きく関わってるとも思える。
それは、まず
弱い部分、必要な部分を知り、代替えでは満たせないとハッキリ認識してる事。
そして、
自分の力も、周りの力もそれを解決出来ない事を悟ってる事。
そして、
何より1番大切なのは
求める事のできる希望をもって信頼出来る人を知る事だ。
バルテマイさんは
ホンマは失望していただろう。
ジーザスに出会うまでは。
バルテマイさんは
誰からも相手にされず、いつの時も遠慮しながら日々を過ごし、失望の中で死ぬまでこじきで居るしかないと思っていただろう。
でも、
なにかが変わった。
暗い心に小さな小さな光が灯った。
ジーザスを知った時から。
ジーザスに出会った時
普通の世界では、あっては不利になるモノが、180度かんぜんに変わってしまう。
欠点や弱さ
そして、不利になるモノや貧しさ
それは
完全に変わっちゃう。
求める事が多くあり、求めてそして満たす方が信頼出来ると信じる事ができた時。
僕らは誰よりも豊かになる。
ジーザスって不思議だよね。
ジーザスは
どこに居るんだろう?
インマヌエル。
ジーザスが生まれる前の預言の言葉。
Wikipediaでは
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インマヌエル(ヘブライ語: עִמָּנוּאֵל、Immanuel、Emmanuel、Imanu'el)は、旧約聖書に登場する人物。『イザヤ書』7章14節、同8章8節にその誕生が預言される。キリスト教の新約聖書の『マタイによる福音書』1章23節にも登場する。インマヌエルは二つの言葉、インマヌ(עמנו 、Immanu、われらとともにいる)とエル(אל 、El、神)を組み合わせた名前で、「神はわれらとともに」の意味である。
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われらと共に
である。
われらとは?
それはジーザスを信じたクリスチャンって事に限定される言葉ではない。当然今現在信じてない人たちも含め全ての人という事が出来る。
心の中でも叫ぶ事が出来る。
それが大きな声じゃなくても
弱々しい声であっても
僕らの声は絶対に虚しく消えて行く事はないから。
どんなに貧しかろうが
それが自分のせいだと思っていようが
ジーザスの前では何の問題もない。
大丈夫。
あなたが声をあげる前から
あなたの声を待ってるだろうから。
大丈夫。
誰よりも全てをホンモノで満たしたいのは
あなたじゃない。
誰よりもあなたが輝いていつも満ち足りて生きる事をねがってるのは
ジーザス!!
そんなジーザスを
少しづつ知っていけたらイイですね。
そりゃ
始めは信頼なんて出来ない。
でも、少しづつ知って行けば、僕らは本当にこの人は信頼できる人だとわかってくるはずやから。
弱さ貧さは
僕らを豊かにするキーワード。
神様が用意してくれてるモノで全てを満たす事ができたら素敵ですね。
では。
今週は弱さ貧さを期待と喜びに変えて過ごす事ができますよ~に!!
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