目に見えているものすべてが真実ではない。
それはとても当たり前のようでいて、わざわざ言葉にする機会もなくて。
なんとなーくで毎日を送れてしまうわけで。
先日、少し刺激を受けたことがありました。
現在、臨月で里帰りしている短大時代の友人の話。
いつも気丈な彼女が、その朗らかな性格故に当たり前のように存在していましたが、勿論彼女にだって悩みがあったり。何かを選び、何かを捨てているのですよね。
赤ちゃんのために編んだニット帽やよだれかけの写真がSNSにアップされるたびに私は目を細め、彼女の結婚生活は順風満帆なのだと思っていました。
しかし先日、彼女が口を開いたときに、妊娠発覚よりも前から、義理のご両親とうまくいかなくなってしまったことを知りました。
ご両家を巻き込んでちょっとトラブルになったこと。
彼女の実母様もつい感情的になり、旦那様に問いただしたときのこと。
旦那様が言ったそうです。
「おふくろにはおやじがいます。
あのふたりは仲がいいです。
Iさん(友人)には自分しかいません。
自分もIさん以外生涯の伴侶はいません。
たとえ親であっても自分はそこからIさんを守る気でいます 。
それでもやはり自分にゆだねてもらうのは心配ですか?」
彼女の実母様はこの言葉になにひとつ言い返せる言葉が浮かばなかったそうです。
というより、むしろこれで義両親ともうまくいってたら 娘の人生うまくいきすぎだと感じたと。
安心してといったら100%本音ではないけど荒波もあろう大海に船を2隻戻どし見守っていこうと思ったと。
― おふくろにはおやじがいます ―
さらに、その時彼女はこう感じたそうなのです。
まだ見ぬおなかの息子がこんなこと言えるように自分は育てられるだろうか? と。
無事に出産を終え、家に戻ったとき、掛け間違えたボタンへの躊躇いと、深層的な息子を立派な人間に育てたことに対する尊敬の念と。
矛盾を抱えながら生きていかなくてはならないのだと。
私からみれば、素敵な連鎖です。
確かに掛け間違えたボタンかもしれない。
だけど、みんなが大切な人のことを思うからこその一段の愛しいズレ。
渦中の方からすると、冗談じゃないと御思いになるかもしれないけれど、
私が今まで漠然と思い描いていた結婚生活とはかなり異なった意味で、初めて結婚って、素敵だなぁと思いました。