「残暑」なんて言葉が似つかわしくないまでに、気を失いそうになるくらいの暑さが続く毎日。
一方では命の灯火が失われ、一方ではリンゴが甘くなり。。
地球の天候は刻々と変わっていることに気づかされます。
当時の気温のことは定かではありませんが、今より少し暑さの手加減されていたであろう31年前の8月15日の午後に私は産声をあげたのでした。
両親の結婚はその凡そ一年前なので、父が生きていて母と離婚していなければ今年で結婚32年。
今でも結婚記念日である7月26日を指折り数える母を見ていると、私がここにこうしている。ということが少しばかり不思議になります。
先日、懐かしい友人から久しぶりにメールが届き、ご両親が離婚し今は○○という姓を名乗ってるとの近況報告が。
「いろいろあったんだね。でも、お互いいい歳だし、いろいろないとおかしいね。」
と返信メールを結びました。
本当に。
いろいろなくっちゃおかしいくらいの時間は過ごしているはず。
それでも毎日は学びや気づきをもたらし、時に頭をもたげるくらいの難題を課したり、鈍痛をも与える。
悲劇のヒロインに浸るか、ぐるぐると纏わりつく日常から学びや気づきを見出すかは、物語の主人公である自分次第なのだなぁと。
たまたま放送していた「ワイドショー」の一企画で、寝たきりのお母様を一人で支える娘さんのドキュメンタリーを見て最近改めて考えさせられました。
大手証券会社でばりばりのキャリアウーマンだったその方は、ご自身のお母様が重度の認知症を患ったために華々しいキャリアを捨て、本気で介護に向き合うことを決めたそうです。
気丈な彼女の口からは「ずっと女手で育ててくれたお母さんがこうなったのは、私に最後まで様々なことを学ばせてくれるために違いない」との言葉。
その感性こそ、きっとお母様の教育の集大成なのでしょうね。
生まれる、育つ、そして育つという感覚を育てるということ。
教育とはそのような距離感であるべきと私も思います。
31回目の8月15日。
そう遠くない未来を投影しているかのようなテレビの企画で思わず母の偉大さに気づかされたのでした。