わざわざ心の吹き出しをアウトプットしなくても、それなりに満たされた安定感ある毎日を相変わらず過ごしております。
感謝です。
今朝、起き抜けに携帯電話をみたら、1:10の真夜中に、沖縄に住んでいる妹から、母と私宛のグループLINEが届いていました。
お父さんが亡くなって10年?
8月11日 午前1時10分
亡くなった時のことを、Facebookが私に思い出させてくれました。
とのこと。
私はその頃、完全に夢の中でしたが、死目にあった妹にとっては素通りできない時刻だったようです。
何度も何度も起き上がろうとする父を、
誰かに連れて行かれまいと、
意識を失うまいと、
畜生といいながら起き上がろうとする父を、
彼女は何の手立てなく見守ることしかできなかったと、話してくれました。
時々、彼女の時間がそこで止まってることに気づかされます。
話は変わって、
私は終戦記念日に生まれました。
正直、この時期に各放送局で取り上げられる戦争企画には辟易しています。
とても虚しい気持ちにはなるからです。
今日、たまたまつけていた番組で特攻隊に赴く息子の姿を見送る父親の背中の写真と、それにまつわる家族のアナザーストーリーが取り上げられていました。
どうか、うちの息子が敵の弾に当たることなく、ちゃんと敵の艦隊にぶつかりますようにと。
切に願った父親の心情を、現代の我々が察するには、あまりに想像を絶していて、急にこわくなりました。
父が死んで、妹の時間がとまって、その数日後に私が生まれた日がやってきて、同じ日に父のお葬式があって、父は煙になった。
そんなちっぽけな当たり前の命のプロセスが段階をふむことなく、この数日間には幾千と重なるように一瞬で失われたのかと思うと、果てしない喪失感を覚えるのです。
命の重さは違うのだと。