国吉康雄展に行ってきました。
非常に心揺さぶられる展覧会でした。
岡山で生まれ、日露戦争の時分に高校を退学し単身で横浜からアメリカへ旅立ち、そこで学ぶべきものに出会い、画家としてアメリカで生きることを選び、アメリカから愛され、そして憎まれ、日本に誤解された画家。
あまりに彼についての情報が皆無だったので、小説を夜更けに貪るみたいにして、説明パネルと作品を追いかけてしまいました。
時代の荒波にもまれながら、隣り合う彼を愛する人々の助けを受けながら。
彼はアメリカで生き抜き、そして亡くなりました。
展覧会では、死ぬまで傍らに携帯していたという夏目漱石の「草枕」のこんな一節が引用され、国吉康雄という人間をより印象深く感じました。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、
安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。
時代とは、政治とは、社会とは、一体何なのでしょう。
私には実態のない漠然と大きな畝りのようなものに思えます。
その波に身を任せてしまえば、のうのうと今日という一日を通り過ぎることができるのですが。
私がここに生まれて生かされて、今日を生きるために必要なものは、紛れもなく今隣り合う一人間なのだなと。
連日、沖縄で起こった元米軍関係者による日本人女性殺害事件をきっかけに激化する、米軍基地の抗議運動の様子が報道されていますが、たまたまFacebookで日本のマスメディアが報道していないある視点を見つけました。
それは沖縄に滞在するアメリカ人が炎天下の中、「沖縄のためにお祈りしています」と掲げて一日中頭を下げている様子でした。
メディアの情報がコントロールされたものである事を考えさせられるとともに、その一方でSNSのどんな人でも言葉を持てる脅威が私達の日常には佇んでいます。
今日、我々には時代の先人達が紆余曲折を経て勝ち取ってきた様々な自由があり、そしてそれがために手放しているものも等しくあるのでしょう。
気づかぬふりして日々を生きる私に、とても強い意志を以ってして、何か語りかけてくる。
けれど決して押し付けがましくはなくて。
明日、いえ今からの生き方について、姿勢を改めさせられる有意義な展覧会でした。

