好きな相手にとことん好きになれる人なんて、この世で何人ぐらい

いるのだろう?

生まれ育った価値観を抱えながら、自分と同じもう1つの価値観を

抱えている人はたぶん少ないと思うのに人は、それでも同じ価値観を

持つ人を探している。

しかし、垢の他人からそれを見つけ出す事はある意味で宝くじの当選する確立に次ぐ

くらいの難しいことか、ほぼ稀有であり無いに等しいのかもしれない。

価値観の相違は、ある意味で自分自身の環境を変えたくないという意思の表れからくる

ものじゃないのだろうか。

相手の価値観を呑むのは、不安と思う人もいれば屈辱、違和感といったものだろう。

しかし、どんなに価値観の相違があってもリスペクトしている相手かそれ以外に

抜き出ているものがあれば価値観の相違の壁があっても乗り越えていける。

本題に入るが、一人の人に好きになるまたは好かれるのはその相手への敬愛を示す

必要がある。必要以上に明るい人や行動と言動がバラバラの人に対しては信用もできない。

本当にその人のためにどこまで自己犠牲になれるか

それぞれの気持ち次第だと思う。

相手が自己犠牲の精神で挑んで尽くしてそれを重いと受け取るのは、相手を見下す行為に

匹敵する感情で非人道でもある。貴重な時間と労力、体力も費やしてその一言で一気に

全ての感情や努力も水の泡となる。

恋愛は、そんなスムーズにいくもんじゃない。努力、忍耐、慈愛といったことが必要。

気軽の恋愛は、それは恋愛ではなくただの友達という関係を延長しただけ。

そういった人に恋愛が成就しても長く続かなければ、結婚しても短命で終わる。


しかし、あからさまに自己犠牲しても逆効果。

下心、邪の考えが露呈されている感じにもなるし、口にすれば恩着せがましくなる。

じゃあ、どうするか?

それは、地味にやる方が良いと思う。それは、日本人気質が故のこと。

さりげなく助成したり、困っていたら放置するのではなく真面目に考えて提案をしたり

相手との意見交換も必要。簡略するとどれだけ相手のことを親身に考えて行動を起こせる事ができるか。


また、スマートでという気持ちを物事をすると全てが中途半端に次第ににっちもさっちもいかなくなり、周りからの信用も失墜することになる。