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カウンセラー&コーチ(本物と偽物のちがい)

 

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カウンセラー&コーチ(本物と偽物の違い)

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(本物っぽい人たち、サイモンは一番左の人よー)

 

ここ数日、「本物のカウンセラーと偽物のカウンセラーの違い」を考えさせられることがあった。

きっかけは、あるグループにて、「ここにはニセモノのカウンセラーはいないでしょうね」という投稿があり、その方と少しやり取りをしてすれ違いを感じたのと、「彼女の言ってることは正しいが、ちゃんと言語化できていない」と思って、ニセモノのカウンセラーというのを言語化してみたいとおもったからだ。

カウンセラーの定義には本物もニセモノもなく、日本人は全て、「心理カウンセラー」という名前でプロとして仕事ができる環境にある。心理カウンセラーという名称使用には制限がない。

心理療法を手掛けるには、知識と技術と経験が変数となる方程式で導かれるのだが、私がカウンセラーを指導しようとしたきっかけにもなった、あまりにも「知らないがゆえに暴力的なカウンセラー」を業界で多くお見受けした。
繰り返すが、それが指導者を目指すきっかけになった。
 

その当時の私の印象は「ニセモノのカウンセラーが多い業界だな」というイメージを持っていた。

このカウンセラーもどきの人たちはどのように量産されてきたのかも長年の不思議ではあった。

そこで、この世のカウンセリングスクールや、指導内容を見ているうちに、アドラー流のカウンセラーが講座を開発し運営するスタイルが多く、そこで育った人たちがアドラー流のアプリケーションを身に着けただけで、アドラー風味のカウンセリングをしていることがわかった。

知識と技術と経験があるカウンセラーがアドラー流のアプリケーション(特定療法)を開発したり、伝授したりするのはOKなのだが、そこに生まれたのは、特定のアプリケーションを使うことがカウンセラーの業務と誤認した、アドラー風味のカウンセラーが多く発生している状態になった。

これは、授業料や指導料で生計や蓄財を目論むカウンセラーが、

fx(知識、技術、経験)の事は教えず、
 

fx(自分が開発したアドラー流アプリケーション)という広げ方をしたためである。
 

あくまでも、アマチュアとして指導するのならこれで構わないのだが、これをもって、「あなたもカウンセラー」としてしまったときに、生徒側のプロフェッショナルの領域のイメージの誤解と、自身の技術能力の過信を発生させることになった。そして、心理カウンセラーという名称使用の制限がない業界の中で、単独のアプリケーションの使用能力をもってプロとして開業するもしくは、そのアプリケーションを商品として指導するカウンセラーが増えてしまった。
 

そして、大量発生したアドラー風味のカウンセラーの方々は、誤解と過信の中で、どんどん心理的に危険なカウンセリングをして、クライアントを制圧した快感や、自分の技術を顧みることなしに、クライアントの性格や努力に責任を転嫁するカウンセラーに誤った成長を遂げることになった。
 

実は、アドラーという人は具体的なアプリケーションをあまり開発せず、広く解釈可能な概念的なイメージを説いていたため、アドラーの理論を学んだ人はアプリケーションは幅広く開発できるし、それをもって、「アドラー流」という、アドラーの名を使ったアドラー流の名称が多くの方に言えるようになった。それ自体はとてもいいことだと思う。

さらに、その自由度の高さのおかげで、それぞれがfx(知識、技術、経験)の中でアプリケーションを開発するまでは、まあまあいいことだと思う。
ただ、その技術を販売しやすい商品にしたいために、自分の名前や独自の名前を付けて、〇〇流や●●式というブランドを立て、そのもとにお弟子さんのヒエラルキー構造を作って、蓄財札束を目論んだ人も、うーん、ぎりぎりそこまではまだいい。
だって、彼ら自身はまだfx(知識、技術、経験)の中で切磋琢磨している。

 

問題なのは、その蓄財の都合により「敢えて弟子に説明をしなかった」fx(知識、技術、経験)を伝えなかった事である。生徒側に与えたプロフェッショナルの領域の誤解と、自身の技術能力の過信を与えて、その引き換えに販売しやすいアプリケーションを伝授し、受講料お札、会費お札、マニュアル販売お札等で蓄財札束したことになる。

fx(特定の開発されたアプリケーション)の世界でプロと名乗るカウンセラーが増えてしまったのである。あくまでもそのヒエラルキーで語られる、知識、技術、経験は、そのヒエラルキー構造の中だけで有効なものだけなので、実際には総合的なカウンセリング能力を持つ教祖様昇天や、外部で多重教育を受けたセラピスト以外は、ほとんどカウンセラーとして使い物にならないのは当然のこととなる。えーん
 

これは、私がコーチングを学んだNLPの業界でも同じことがおきていた。

NLPは、コーチングの要素技術を分解して、部品をまとめたレゴブロックの基本セットみたいなものである。

これもアドラー流と同じで、アプリケーション開発が容易なのを特徴とする。

本来なら、自然生命感覚を代表する無意識と脳内社会イメージを代表とする意識の折り合いを言語で仲介しながらレゴブロックのようにカスタマイズされたアプリケーションを開発するのがNLPの学びで、学びの過程で過去開発された有名なアプリケーションを習得(これをNLPだと誤解している人が多数いるが)、さらにクライアントに合わせてカスタマイズした心理療法を提供できるのがプロのNLPトレーナー、コーチとなる。筋肉
 

NLP技術というパーツをくみ上げて、アプリケーションを開発する想像力対応力がいいコーチの要素になるのだが、バンドラー派と呼ばれる開発者の一派は、設計図と組み立てに必要な部品をセットにした、〇〇セットという商品を販売し、これが成功哲学や、心理操作など、様々な「欲望」に直結した領域を指導し、NLPという技術を特定のアプリケーションそのものと誤認させ、NLPコーチングのイメージを特定アプリケーションに固定させることを行った
その方が講座を商品として販売しやすいし、生徒のヒエラルキー構造も階層的に作りやすいからになる。札束コインたち札束コインたち

それはそれでいいが、そのコーチは購入したNLPアプリケーションの単なる担い手であって、プロコーチではない。
これもNLP風味のコーチと言えると思う。チュー
 

なんとまあ、
 

アドラー流アプリケーション開発→ヒエラルキー→アドラー風味生徒量産
 

NLPアプリケーション開発→ヒエラルキー→NLP風味コーチ大量生産。(情報商材屋)
 

という、まったく同じ光景を目にすることになった。

NLPの場合、ジョン・グリンダーがその危険に気づき、NewCodeNLPという、柔軟性の高いアプリケーション開発手法の指南を行い、私を含め一部のコーチがジョン・グリンダーに師事を受け、無意識と意識社会の調和を目指すテクノロジーを磨いている。
 

さて、ここで我に返ると、アドラー流の流派でいくと、カール・ロジャーズを師とする「来談者中心療法」を日本でロジャーズ研究をしていたメンバーから指導を受け、

NLPはジョン・グリンダーに直接指導を受ける二つの幸運に恵まれた
 

そのため、アドラー流もNLPも、各アプリケーションの立ち位置を相対的にとらえながら、かろうじてfx(知識、技術、経験)の中でカウンセラー、コーチとして生活できた。

もし、私がそれ以外でアドラー流のアプリケーションの信者になり、そしてNLPもNewCodeの門を叩いてなかったら、私自身も、アドラー風味の無邪気に心理的な暴力を振るうカウンセリングや、「こうするだけで成功する」みたいな固定したコンテンツを販売する業者のようなコーチになっていたかもしれない。

私がこのことを語るのは、それぞれの師匠に幸運に運ばれた運命でもあるのかなあと。
 

話がそれすぎた。
 

アドラー流とアドラー風味(本物と偽物)の違いをこのように定義してみた。

以下の重要性がまずは理解でき、そしてそれを意識してカウンセリングしている人がアドラー流であり、できてない方はアドラー風味(彼女がいうニセモノカウンセラー)として定義されるかと思う。

そして、本当にプロとしてカウンセラーを育成したいと思う指導者は、自身が以下の内容を習得しているのはもちろんのこと、生徒さんにも習得の必要性を説いているはずである。でなければ、ヒエラルキー的な蓄財優先のため、敢えて意図的に、自分が開発したもしくは習得したアプリケーションの使い方のみしか教えなかったということにもつながる。
 

(考えらえる習得知識要素)

医療領域不可侵

直面化非強制非促進

社会参加の意味の時代変化の把握

個人脳内社会と所属社会とのバランス、及び時代変化の把握

利用するアプリケーション適用の領域認識

他心理療法とのマッピングの把握

(プロならわかるけど、
 ひどいアマチュアは
 何を意味しているかも
 わからん人もいると思う。(こっそり教えますよ))

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カウンセラー、コーチの方、もしくは目指される方、
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第二部 呼んでますよロジャーズさん(迷えるカウンセラーの救いの書)

 

    

 

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東京は四ツ谷駅のそばにて日本傾聴連合会の
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一期は私が講師を務めます。
体験はどなた様も全て無料です。

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1月24日(土)(無料招待)
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第一部では、フロイド~~アドラーの間(第一区間)の主に医師による指導を受けた心理療法家の迷いを救う話をした。

 第一区間  第二区間
<フロイド~(第一区間)~アドラー~(第二区間)~カール・ロジャーズ>
 

今回は、アドラー~~ロジャーズに至るまで、主に教育学、心理学から派生した、医療ではない心理療法の第二区間のカウンセラーの迷いを救うことにする。
 

心理療法が花開き、ビジネスとして、特に欧米の資本主義の中で、愛着問題、生き方、心の迷い、自尊心の構築、課題の解決など、幅広い人の心の迷いを「ビジネス」に取り込んできた。
多くの有名な心理療法家が、技術(アプリケーション)を開発し、〇〇療法などといいながら、
お弟子さんを増やし、スクールを開いてきた。
喫煙、飲酒、頭髪、勃起障害などの、人体に影響あるものは、治療薬の開発とともに、医療業界の一部に取り込まれつつあるが、まだ、人間の不幸と幸せ、納得のいく生き方の領域は医療領域ではない。この領域を医業から分離、発展させてくれたのは、何を隠そうアドラーの大きな功績であるといえる。私が蓄財できたのも、アドラーのおかげである。(といいながら深く学んだのつい最近だったりする)
 

来談者中心療法、近代催眠療法、ゲシュタルト療法など、クライアントとセラピストの関係性によって成立するセラピー、別の言い方をすると、そこに「医師と病気」が存在しないセラピーにおいて、多くのその時に生きている人の「生きている充実感」を向上させることに貢献してきた。

 

医業が診断と治療によって成立しているのに比較して、
医業外のカウンセリングは、見立てとマイルドな心理療法(直面化促進技術)で行われ、どうしても、医業に比べて焦点がぼやけて、スペクトラム概念が多くて、目の前のクライアント一人一人にプロセス(臨機応変)に対応することが求められる。
この、複雑性とカスタマイズが第二区間のカウンセラーの持ち味となるが、そのテクノロジー自体がぼやけており、優秀な技術の担い手が少ないのも特徴となる。

その、優秀な人しかできない、伝統芸能のような心理療法を、習得可能な技術として展開することに大きく貢献したのが、カール・ロジャーズである。

他の技術に比べて「傾聴」がちゃんと知識をしって、技術を練習すれば習得できるというのは、受容・共感・自己一致のテクニックをしっかりと定義したことにより実現した。
ロジャーズさまさまである。

ただ、不一致と自己概念の論理展開は、ロジャーズに怒られるかもしれないが、フロイドがといた防衛機制と抑圧心理の焼き直しである。(というか、人の心の機能は心理療法家によって変わるものではなく、ただ違う名前でそれぞれの先生が定義しただけにすぎない)

しかも、フロイドの方がクラシックなのだが定義がしっかりしている。
ロジャーズの不一致理論はモダンであるが、第二区間独特のあいまいさがのこる表現となっていて理解が定着しておらず、宗教チックな展開になる。
このあいまいな分野は、ゲシュタルトに始まり、フォーカシングやトランスパーソナルと、宗教との境目があいまいになるジャンルに発展していった。
これでは、技術としてまとめることが難しくなる。
信じる人が救われるというのは、心理療法家がどんどん、宗教家になっていく過程になる。残念ながら、ロジャーズに学んだ人、そしてロジャーズ本人も晩年は宗教チックな理論展開になっていった。これはね、老いて消えていく人間の最後のあがきともいえるのでしょうがないの。

まだ、我々はできることがある。

アドラーショック以降に学んだ、非医業のセラピストは、第一区間のセラピストに比べ、治療暴力の覚悟と、直面化に対する定義があいまいなため、アドラー風味のカウンセラーで指摘したように、「無邪気に暴力的なカウンセラー」になる危険があった。

アドラーが「気にしなくていい」といった理由は、フロイドの神経症の病理で説明される通り、「抑圧」は病気になるくらい頑固で、セラピストがちょっとつついたぐらいで表に出ないことをしっていたし、基本的に医者であった初期のアドラーのお弟子さんは「治療痕と副作用」に関しては学んでいるのが「当然」と思っていた。
だが、第二区間のカウンセラー、ロジャーズの代々のお弟子さん、そして現代の通信販売に代表されるカジュアルなカウンセラー養成スクールにいたるまで、「心理知識のないカジュアルなカウンセラー」が、技術だけ模倣して人の心をえぐり「直面化」を手柄のように行ったり、その強制直面化の現場をドラマチックに表現して、「これぞ!カウンセリング」という現場を見て、さらに誤解するセラピストが増えることなど、アドラーは想定していなかったであろう。
もっと長生きしてたらブレーキもかけれただろうに。

こういう直面化に対する危険を回避する姿勢は、不一致理論より、防衛機制理論の方がわかりやすく、知識と具体的な指針として体系化しやすい。
定義があいまいな、不一致理論より、定義が安定している防衛機制による心の安定を学ぶことが、第二区間のカウンセラーの救いとなる。

「直面化」により失う損失に対する手当をしらないカウンセラーになり、ロジャーズのお弟子さんにありがちな、「自己一致」を宗教のようにあがめるカウンセラーになると、失敗の道をたどる。

まあね、人生はあらゆる不一致にまみれており、
ロジャーズが定義する完全に機能する人類は、世の中に存在しない。
(これはあたりまえのこと)

人間は、「不一致上等」な人生を「適応」しながら生きている。
何を直面化して何を「自己受容」、「自己一致」するかは、クライアントの人生の重要な生き方の構え方の課題であり、それはカウンセラーが押し付けたり、指導するものではない。
クライアントがうっすらと意識した、「もう直面化してもいいかな」ということをカウンセラーは背中を支えるサポートする役割となる。主な仕事はクライアントの直面化のしんどさに付き合う事(カウンセラーもしんどいよ)と、逃げてもよしとすること(逃げるための現実的な課題解決のためにコーチング技術が存在する。間違っても強制直面化させるためにコーチング技術は用いない。)。

直面化と演出された自己一致を目指し、洗脳したがるカウンセラーが多いのも第二区間のカウンセラーの特徴となる。

ロジャーズもこういっている「治そうとするな解ろうとせよ」

この言葉で私は二つの事を学んだ。

1つは、「患者」は医者に任せなさい。だから治そうとする相手は、医者と一緒に取り組め。
これがわからず、治療行為があたかも可能なように勘違いするカウンセラーも出てくる。ロジャーズ先生も間接的に、医業は医者に任せろといってる。

もう一つは、非介入技法である来談者中心療法からスタートして、介入度が弱く、「本人がその気になれば直面化を自身で行う」、副作用が少ないカウンセリング技術を採用せよといっている。

言い換えると、クライアント本人の人生にカウンセラーの人生の影響を与えるな、本人の自己実現のサポート(裏方)に徹しろということになる。

某有名タレントに被害にあった方が受けた、暴露療法など、トラウマ行為を追体験するカウンセリング技術は結構最後の手段に近い。
しかも彼女は医療行為を受けていた「患者」である。

ね。もうわかったでしょ。

医療行為の延長でないカウンセリングに対し、カジュアルなカウンサラーが暴露、暴露、はい暴露みたいなことをやることがどれだけ危険なことか。

医者の衣装着て、街中でメスを振り回して、「あははははは」と言っているイメージが浮かんで来たら、多少はまともなカウンセラーの道が開けていると思う。


このカウンセリングという行為は、なかなか治療行為と違い、心理触媒みたいな役割で、〇〇先生は何もしてくれなかったけど、そこにいてくれたから、自分で気づくことができたくらいの感謝感覚がゴールになり、本当は技術を使ってその環境づくりをしている。
直接手を下したり、「あなたは〇〇なんですよ」などと教えたりしない、見立ての内容は心に秘めておく仕事となる。これはねぇ、やってみると結構しんどいよ。
 

私がいつも言っている、「感謝されないことが最大の業績」、「なぜか幸せになっている裏方」こういう感覚でかつ、しっかりとカウンセリング技術を提供しているからこそ実現できている世界を作るのがプロななのよ!
しかしながら、多くのスクール教師やカウンセラーが前述しているように、洗脳行為に近い暴力を振るうことがプロだと勘違いする。
そして、その勘違いしている人数の方が圧倒的多い!

すこしだけ弁護をすると、第二区間があいまいで目的がクライアント次第でカスタマイズしながらやっていく注文建築の大工さんみたいな存在であるはずなのに、未熟な間は頼る形がないと不安になり、形(コンテンツ)を求めてしまい、その迷いをビジネスにして「カウンセラー養成」という情報商材を売りつけるだけの業者や、目立つカリスマカウンセラーの講座に入信してしまうという現実にある。
ビジネスを信じて開業したカジュアルなカウンセラーも被害者と言えば被害者でもある。

カウンセラーが悪いのではなく、カウンセラーを取り巻く状況と教育環境が悪い。なので、セラピーへの構えと、「何を仕事としているのか」という感覚が育たないまま、カウンセリングをビジネスにして躍起にクライアントを探すことになる。

カウンセラー教育業界も同じこと、学びの本質と、第二区間のカウンセリングの商売の本質に向き合わず、教育商材売りたさにコンテンツを売ろうとすると、どうしてもね、モデルハウスの建売販売になる。直面化のリスクと防衛機制のメリットを学び、臨機応変に構えるカウンセラーなど出てくるわけがなくなる。

この壁を越えていない方、こっちに来ましょう。
学べばいいんです、姿勢を変えればいいんです。

私が出会った第二区間の危機を乗り越えたカウンセラーは、常にクライアントが一人増えるたびに、壮大な謎解きのドラマと、新しい人の幸せの形がクライアントによって教えられる実感を語っている。
そのくらいの仕事感覚が第二区間のカウンセラーにはちょうどいい。

第一区間の先生方の理論をきっちり学び、そして、いかに裏方に徹しながらそれでいて、ビジネスとして成立させるか、これが第二区間のカウンセラーの道である。

直面化を自分のペースで行うクライアントを相手にして

初めて「呼んでますよロジャーズさん」となる。

そんなことを、日本傾聴連合会で教えている。

(第一区間のカウンセラーは第一部を読んでね)



ガーちゃんだよチョキ

ガ)ねぇねぇ、サイモンせんせい。
  サイモンさんがいつも口説いている南先生のブログ更新されたよー。

サ)お、どれどれ、いいこと書いてあるじゃないか。ルンルン
  エゴスキュー体操ってなんだろうなールンルン
  みなみせんせいがはだかになってー、そしてー、そしてールンルン

ガ)(えーいつもの妄想はじまった)、では、みなみせんせいのブログどうぞ!
  学びのステップの話がでていますよー。

サ)エヘヘヘヘーニヒヒ
 

 

 

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第一部 呼んでますよフロイドさん(迷えるカウンセラー救いの書)

 

    

 

    

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先日、アドラー風味のカウンセラーの勘違いと弊害のポイントを書いた


アドラー風味のカウンセラーが嫌われる理由」の反響が大きい。

実はアドラーは、医者でありながら、社会参加や劣等感、課題をテーマとして
心理療法を展開した、すなわち「病人」でない人の悩みと生きづらさをセラピーの対象とした。
それまでは、医師が「病人」を対象として、その医師の心理療法をサポートする心理療法専門家が「治療と心のリハビリ」に従事していた。
アドラーは医師ではあるが、アドラーの展開するセラピーの対象者は患者でもなく、
やっていることは医療行為ではない。
その後のロジャーズに至っては、非介入技法という、その場にセラピストが「傾聴スタイル」を展開するだけの奥義も生まれるに至る。

  ~第一区間~   ~第二区間~ 
<フロイド~(第一区間)~アドラー~(第二区間)~カール・ロジャーズ>
アドラー流が真ん中のカウンセラーとすると、カウンセラーにはフロイドに近い「医療現場」から派生したカウンセリングと(第一区間)と、愛着障害をはじめとする、人間関係がうまくいかない癖のある生き方で生きづらさを主体とするカウンセリング(第二区間)の特徴を捉え、
それぞれのカウンセラーのエラーを2部構成で説明する。

第一区間のカウンセラーは基本的に、患者の治療を前提とするカウンセリングを提供している。

よって、医師の指示のもと、精神分析(強制直面化を前提とする手法)や、認知行動療法(相手の思考の癖に直接手当をする手法)など、患者側に精神的な負担を伴う療法を行う。
主に、神経症という心理疾患を前提として、フロイドの心理学理論と心理療法は発展していきました。
医療行為というものが、手術や投薬など、病気や器質性障害の軽減のために、プロとして治療を行う。心理療法専門家も同じく、医師の指示を受け、クライアントを別の意味で「傷つけたり、負担をかけながら」治療を行っていく。こういう行為を医療介入といいます。

医療介入は、施術や投薬により患者側の負担や副作用を発生することを承知し、なるべくマイナス面を最小限にし、治療によるQOLの改善のメリットが上回ることを目指して行われます。

この医療現場を前提とするカウンセラーは、心理療法による傷付きは手術の傷と同じく、「仕方ないもの」としてとらえています。

さて、アドラーや医師以外の心理療法家は、「病気ではない心の問題」、「社会と心の関係」、「愛着と心の課題」など、心をテーマに病気以外の領域を発展させてきました。

第一区間のカウンセラーが迷う大きなポイントとなるのは、人の心のシステムは、病人でもそうでない人も人類共通であるという事で、フロイドの治療対象の神経症を発症しなくても、防衛機制や無意識の抑圧や、愛着問題(これは、フロイドの娘アンナの同僚のエリク・H・エリクソンによりかなり訂正されている)は、人類皆同じなので、治療、診断を元にしないカウンセリング、すなわち心理療法家が医師免許をとらないで対応できる範囲が生まれたことになる。

治療(患者と医師)を前提としないカウンセリングにおいては、三つの事が大きく異なる。

1.カウンセリング行為の副作用はクライアントの覚悟できていないことであり、
カウンセリング行為による傷付や直面化はできる限り発生しない努力が求められる。

2.クライアントの現在の不都合の状態は過去の経験の結果としてできており、

変化するかしないかはクライアントの自由である。


3.病理の診断を前提としないため、類型論になじまず、特性による見立てを行い、
見立ての内容に関わらず、本人の状態は常に変化する。

フロイド~~アドラーまでの第一区間のカウンセラーにとって、大きな衝撃は
 「何もしない方がよいことがある」ということ。

医療関係者は「手の施しようがなく、緩和ケアにゆだねる」という意味にとらえがちだが、そうではない。人は病気に至らなくても悩んだり、社会参加できなかったり、他人とうまくやっていけなかったり、偏った考えをもったり、行動の癖や、なりたい自分になれなかったりする。これは全て病気のジャンルではない。

もともと病気でない人の人生の「何が幸せ」かは、カウンセラーが決めることではない。いいかえると、病気→治癒もしくは、病気→寛解を目指すのが当たり前の心理療法家にとって、理想の未来像が設定されていないことが、まずは戸惑い迷う理由となる。

診断と、インフォームドコンセントによる治療方針を確定する医業に対して、とてもアプローチが根本的に異なるのが心理カウンセリングの世界となる。

次に、基本的に認知行動療法や精神分析法など、ある程度「本人に直面させることを強いる」心にメスを入れることを「治療の為に必要な傷」と考えている心理療法家が、来談者中心療法のような、非介入のマイルドな効くか効かないかわからないようなインチキ漢方薬のような心理療法は認めたくない。
パニックになるセラピストは、治療行為以外においても、この強い介入技法しか勝たんという話を展開しがちになる。
さらには、第二区間のカウンセラーを下にみたりする。
(医療と民間セラピーが仲がわるかったのはこういう第一区間の先生方のヒエラルキー姿勢によるところも大きい)

医療行為の正統性は、「患者と医者」の関係性が成立する領域で限定される話である。

人間の社会活動の一部なんですよ、医業は重要だけどね。一部なの。

ある消費者金融のCMで「そこに『愛』はあるんか?」と同じで、「そこに『病気と医療』はあるんか?」という事をまず判断し、医療介入でない場合は、比較的非介入に近い療法を選択することが大切。セラピーでクライアントをわざと傷つけるには相当な理由がカウンセラー側に必要となるため、医療のやり方をそのまま病気ではないクライアントに使ってはセラピーに暴力性が出てしまう結果となる。

さらに、見立てを診断と誤認して、類型に当てはめて、状態をスペクトラムにとらえられず、クライアントの状態を断定的にとらえ、強い心理療法を展開しようとする癖がでてくる。このことも第一区間のセラピストの特徴となる。
診断は断定的にすることが目的、見立ては状態を感じ取ることが目的、言葉は似ているが、行為は全く違う。「そこに『病気と医療』がない」クライアントには、(※)診断ではなく見立てを前提とする行為になる。
 

※日本では診断行為は医業であるため、医師免許のない心理専門家はそもそも診断はできない

 

アドラーショックにより、第一区間のカウンセラーは、自身の心理療法のバックグランドのフロイドやエリク・H・エリクソンやボウルビーの理論を「治療のための心理療法」として使ってきたことを、「患者以外の人類」に適用範囲を広げた.

第一区間の業界で活躍したカウンセラーは、このアドラーショックの拡張に関し、心理療法技術と見立てに関して、医業とは別の価値観をセットアップする必要があると理解できれば、迷いから救われることになる。

これを乗り越えたカウンセラーが、患者だけではなく、クライアントを対象としたカウンセラーとして、医師との協業から離れて活躍していける。

あなたのカウンセリングが、断定的、暴力的になっている場合、フロイド先生が相手にしている人の外側の仕事をしている自覚が必要かもしれないよ。

だって、フロイドは医者。あなたは心理療法家。

医者とセットになってやれていることと、医業を離れてやることは、構え方と習得する知識と技術のセットが異なってくる。
防衛機制や、抑圧など、が患者以外の人類の普通のお悩みに展開することは、フロイドにとってどうでもいいことだったのです。

フロイドはこういうだろう、「だって、俺、医者だもの。」

 

病気があり、患者がいて、初めて、「呼んでますよフロイドさん」になる。

そんなことを、日本傾聴連合会で教えている。

(第二区間のセラピストは第二部を読んでね)

 

 

 

    

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 心がポンコツな人が得する人生があるのよ泣き笑い

 

不登校や社会不適応の皆さん、よろこんでください。

私もそのうちの一人です。
定時に出社するのがしんどい、時間がきめられた会議に出ることはできない、会社が決めた仕事内容は全くやらない、とにかく働かない。

あのひろゆきさんだって、遅刻する人。

いろんな心や行動のポンコツな人がいます、あなたもそうだったりしてね。
考えや意見がまとめられなかったり、反対意見を言う人を消そうとしたり、すぐに行動できなかったり、頼られると逃げちゃったり。

こういうのを総じて、社会不適応、学生だったら不登校などという「あんたはポンコツ人間」と称した名前がつけられるんだけど。
失敗を繰り返すとどんどん落ち込んじゃってね、周りから突然切れられたり、「わがまま」、「ルールが守れない」、「使えない」、「バカ」、「アホ」、「消えろ」とか言われたりする。
まあまあ、社会不適応なのは脳の状態の話なので、「反省」や「お詫び」をしても繰り返されるのは当然、こうしてポンコツ人間の人生は進んでいく。

 

「仲間」、「友達」、「家族」、「社会」、「会社」と自分自身

 

「仲間」、「友達」、「家族」、「社会」、「会社」って、全て人類の脳内イメージでもつ「幻想」なんだ。

その「幻想」に意味をもち、こうしなきゃいけないというルールをもち、その幻想の中ですったもんだするという人間はとても変な生き物なんだよ。

ポンコツではない、いわゆる「普通」の人は、この幻想イメージの中で安全であるし、相手からも好かれて、所属した社会イメージから離れられなくなる。
だって、相手が離してくれないからね、いろんな人に「そこにいて」と言われる。

いいよなあ。って思ってた頃もありました。
今はちょっと違うんだ。

カウンセラー、コーチをやっててよくわかったことがある。
脳内イメージの「社会」の中に生きることに躍起になって、自分が動物であることを忘れてどんどん幻想社会の真中(すなわち重要人物)として担ぎあげられて、幻想の中から出てこれなくなっていく。
脳内イメージの「社会」と「自分」の距離がわからなくなってしまうんだ。

我々ポンコツ人間は、ポンコツ機能のおかげで「仲間」、「友達」、「家族」、「社会」、「会社」の相手の幻想から距離をおいておかれる。
「不登校」だったり、「解雇」だったり、「喧嘩別れ」だったりね。

さみしいねぇ、つらいねぇ。

そうかい?

くだらない脳内幻想から解放されて、動物として「自分の人生を自分の力で生きる」実感が取り戻せるというか、生命らしく生きていけるんじゃないのかなあ。

脳内イメージからくる人間関係の悩みは、その関係性に縛られるから「悩む」のであって、その関係性から解放されると悩む必要がなくなる。

所詮、脳内イメージにしか存在しない情報だから。
さみしくて、つらいけどね。

不適応で、うつ症状になったら、止まって考えよう。
おそらく、無意識から「くだらない人間関係の中に生きるくらいだったら、もっと自分自身を生きてみろよ」と言ってるはず。

無意識が、「やっと気づきよったよ、俺の脳内社会が偉そうにしやがって」と言ってるかもよ。

 

日本傾聴連合会メンバーはポンコツだらけ

 

私自身が、仕事をすることを「不適応」とする、働くことに意味を感じない、怠惰症候群のポンコツで、スケジュールを3つ以上抑えられると「働くのいやだー」とうつ状態になるくらいの社会不適応。
(それでもカウンセラー、コーチや講師という仕事を長くやれてこれたのよえー

そんな怠惰でポンコツな私が運営している日本傾聴連合会は、ポンコツ人間の博物館みたいになってる。(ポンコツ人間が好きだからねぇ私)


カウンセリング事業の代表も、スクール事業の代表も、そしてスタッフも全員何らかの「ポンコツ人間」で運営している。
確かに、そのポンコツの現象によって、お互いに不平不満もあれば、迷惑もかかることもあるし、会社はずーーと赤字続きなのだけど、なんとかやっていけている。(そこがすごいでしょ筋肉

ポンコツ人間はねぇ、実は人生得したりしてるのよ。
脳内イメージの人間関係と自分自身の動物としての生き様との再調整を経験したことが一番の強みなの。
不登校なんて経験したときには、小学生や中学生の頃から「自分の生き方」に向き合う経験をしている、大変お得な人生なのよ。

ひろゆきさんも、ホリエモンもそうでしょう?

普通の人は、人生のかなりの後半に行くまで「社会」の幻想の中から出てこれない人も多い。サラリーマン・ウーマンは再雇用の年齢を迎えるころに「自分の人生なにがしたいのかなあ」という問いをしたり、主婦や主夫は子供が成長して手が離れたときに、「自分の人生ってなんだろう」とやっと自分に向き合ってきたりする。
人生の残りの時間短くなり、会社や社会や家族から距離をおかれるとき、はじめて「脳内社会イメージの幻想」に気付く人が多いんだよね。

そして、「もっと早く気づけばよかったなー」って思うわけ。

だったら、今そうしようよお祝い

普通の人も、ポンコツの人も日本傾聴連合会へ寄っといで!おいで

普通の人も、今からポンコツ人間にしてあ・げ・るてへぺろ
(自身と脳内社会幻想の距離感を再定義するお手伝いするという意味)

程よい人間関係の距離感、模索していきましょう。
自分らしくいきて、脳内社会幻想といい距離感を模索する。

それが最高よ、私もあなたも限りある命だからうさぎのぬいぐるみ飛び出すハート


サイモンへのメッセージ、ご感想、頂けるとうれしいです。
(返信すぐにできないけどごめんね)

アメブロメールか
simon@japlis.jp
までね。

 

(こんな人生にしましょう)

おいで(5のつく日は、重要でよく読まれているブログの再掲日)チョキ
 

先日、アドラー心理学の講習会にでた。

 

私自身は、アドラーの次の世代に世に出てきたカール・ロジャーズのお弟子さんに学び、来談者中心療法の担い手であるが、

世の中で、大量(量と表現している辺り、私の嫌悪感がでている)にいらっしゃる、アドラー風味のカウンセラーが、大きなお世話で他人の人生に切り込み、傷をえぐるようなカウンセリングをして、キャッキャとはしゃいで喜んでいるのが大嫌い(あ、いっちゃった)ので、アドラーとは距離をおいていたのだが、今回まともなちゃんとしたアドラー流のカウンセラーの話を聴くことができたので、かなり学びになった。

 

その現場でも
「アドラーの言葉を間違えてとらえてました」と仰られている方もいて、アドラーの話の誤解するポイントがあるなあと思った。

実際、アドラーの提唱するカウンセリングスタイルは、ロジャーズの来談者中心療法と似通っており、アドラーの推奨するままやるのなら、話し手の傷をえぐることには絶対にならない。

 

アドラー流とアドラー風味は全く違う

 

アドラー流とアドラー風味は全く違う

ただ、「劣等感」と「課題」という言葉をアドラーが定義した内容は独特の意味を持つため、アドラー心理学を正しく学んだ経験がない方、ほとんどの方が思う「劣等感」と「課題」と勘違いしてアドラー風味のカウンセラーとなってしまう。おそらく英語表現ではしっくりとくるいい方なんだろうけど、日本語では、「劣等感」と「課題」はアドラーが定義する以前に既に意味が決まっているので、そこをちゃんと使い分けができないと、アドラーの担い手はかなり乱暴なカウンセラーになる可能性が高くなる。

 

劣等感 と 劣等感(あーちゃん)の違い

アドラーを「あーちゃん」という名前で呼ばせてもらって、アドラー独特の定義を
 用語(あーちゃん)として表す。

「劣等感(あーちゃん)」とは、自身が目標としている姿と現在の状態の差分の事を意識することを「劣等感(あーちゃん)」という。本人が差分を意識し取り組むことが前提となっている。(あえてわかってて取り組まないことも含む)

ただし、私が優秀なカウンセラーを見て「悔しいなあ、なんであの人みたいなカウンセリングが私にはできないんだろう」なあんて、ただ言っているのは、「劣等感(あーちゃん)」には入らない。それはただの「劣等感」である。

さっきの言葉を「劣等感(あーちゃん)」にするためには、私は今「あの人」を目標として、「きっとあの人のレベルのカウンセラーになる!」と意識して、「もうすこし愛着障害の学びを深めなければいけないな」など努力している状態があれば、私の課題は「劣等感(あーちゃん)」となる。

アドラーは、常に取り組むべき課題に向き合っているか向き合っていないかがテーマとなるので、妬みとか、僻みなど、からくる他人と比較しての劣等感覚は、取り扱わない。ここがとても大切なポイント、風味カウンセラーはそこをネチネチ攻めてくる。アドラーの学びではただの「劣等感」の状態は、課題がちゃんと分離していない問題の一つとしてとらえられる。

アドラーのカウンセラーが人の悩みに対してドライな感覚をうけるのは、課題という名のもとに、「劣等感(あーちゃん)」が限定されているからである。

課題に向き合わない、目標をあきらめたり、なかなか取り組めない状態を「劣等感コンプレックス(あーちゃん)」という。

課題という前提が、一般的な劣等感の定義を狭めている形になる。

じゃあ、アドラー自身はそんなにドライだったの?というと、今度は「課題」という言葉に「課題(あーちゃん)」があって、その定義がまた独特。そしてそれがアドラー風味カウンセラーの誤解の元になっている。

アドラーがいう「課題(あーちゃん)」というのは、心理的問題のテーマもワールドに含んだ内容になっています。

例えば)好きな人のスカートをめくってしまうのはなんでだろう?
例えば)飲まないと誓ったのにお酒を飲むのはなんでだろう?

というテーマであっても、「理由を知る」という課題が本人に設定されれば、アドラー「課題(あーちゃん)」として成立するため、先ほどの、妬み、僻みも本人の解決すべきテーマとしてとらえられたら「課題(あーちゃん)」となる。

 

 

敢えてトラウマを否定してしまったために
アドラー自身が嵌った罠

 

アドラーの理論に穴があるのは、人の心理は「無意識的に記録」されていても、「意識としては違うイメージで言葉を作る」ことが人間の悩みを作る根源のシステムであるので、アドラーの世界観では、「課題化」できない悩みの原因が多くあるという矛盾がある。

PTSDやトラウマや防衛機制や不一致などを抱えている人は、原因となるテーマを「課題化」することができない状況にある。


ただし、カウンセラーはそこに「課題」があることを見抜くことができる。
しかし、アドラーはその必要はないと説いた。

 

ここに、「アドラー流」と、「アドラー風味」を決定づけるセラピーの安全のトリックがある。


「強制直面化」の危険を回避しセラピーの安全を担保するために現在の「課題」を解決したら、古傷が癒えるように自動的に癒えるであろうというのがアドラーの治療姿勢。
これは、これでロジャーズの来談者中心療法と同じ

正しいアドラー流のカウンセラーは、その見抜いた課題は、まだクライアントが取り扱う事の出来ない課題として、本人が課題化されるまで触らないので、強制直面化は避けられる。
直面化は本人の自然の心理状態に任せることになる、来談者中心療法と同じ。

アドラーは、その先の学び手がカジュアルに心理を学ぶことができるようになり、PTSDや不一致、防衛機制など、心の安全システムを学ばない人が、アドラーの理論から派生した手順だけ追って、「カウンセラーが勝手に抑圧心理を露呈することによる安全の崩壊」、すなわち強制直面化を招くようになることを想定できなかった。
何故なら、心理学というのは基礎にその心の防衛機能が入っており、まさか、そこまでの知識のないアマチュアがアドラーが開発した道具を振り回して使うことは想定していなかったのであろう。

 


アドラー風味のカウンセラーは、心理の二重構造や「抑圧」の価値を理解できないために、精神分析のカウンセラーよりも乱暴な形で暴力的に直面化を行い、PTSDの効果面を台無しにする、マインドクラッシャーになってしまう。

これは、「課題」の取り扱い方は自由にしていいのだけど、あくまでも現時点で本人が認知している「課題」であることが技術的に理解できない。
さらに、勇気づけや本人に価値観の気付きを与える(リフレーム)は大変オッケーであるが、それを「直面化促進」とはき違えた理解をもつことになった。
あくまでも、アドラー風味のカウンセラーの話ではあるが。

 

アドラーが独自の言葉の定義のワールドをつくり、そのことにより自動的に守られている、「心理学の基本事項」を敢えて説明を加えなかったがために、「カウンセラーが勝手に課題化」するという私が嫌いなアドラー風味のカウンセラーが大量に発生してしまうことにつながってしまう。

「課題」を拡大解釈して、フロイトのいう「防衛機制による不合理な行動」、ロジャーズがいう「不一致による心の不安定状態」をその中に含めて、そのうえで「本人が抑圧してしまっていることは触るな(これが安全弁)」とセラピーの手法としては完成したものの、クライアントにとって「直面化」をカジュアルに強制する、アドラーのメッセージを誤解するセラピストが増えた。

アドラーはあくまでも本人の具体的な内容、意識化されている内容を「課題(あーちゃん)」と言っている。ここがとても大切だ。

カウンセラーが見抜いた課題ではない。

ただねぇ、この「カウンセラーが見抜いた課題」が直面化を伴うものなのかどうかは、やはり、心理の二重構造を理解して、相手の言葉や態度を脳外科手術のように扱う丁寧さとデリケートさが必要となる。

 

 

真理1
防衛機制による不合理な行動への手当ては、直面化を必ずしも必要としない
不一致による心の不安定状態は、一致することだけが解決の方法とは限らない。

真理2
防衛機制も不一致も「課題(あーちゃん)」を解決する一つの心の安全装置である。

この真理は、アドラー、、そしてカール・ロジャーズも指導の中にいれていない。
お二人からいわせると、
「そんな当たり前のことなんでいまさら説明を、え、あんた知らんの?うそー!」
というだろう。

でもね、この大量のアドラー風味のカウンセラーどうすんのよ。
 

 

(まとめ)

「劣等感(あーちゃん)」、「劣等感コンプレックス(あーちゃん)」、「課題(あーちゃん」のセットと定義を正しく理解でき、かつPTSDや抑圧を含む心理の安全システムを理解し、「触れてはいけないもの」として心理業の基礎を学んでいると、ちゃんとアドラー流のカウンセラーとなり、自然な直面化をクライアントに促すことができる。

皮肉にもアドラー流を正しく深く理解するにはPTSDや抑圧を含む心理の安全システムを理解し、「気楽に触れてはいけないもの」として心理業の基礎を学ぶことがとても大切になる。

「それ」を知らない人に「それ」に構うなっていっても、心理学の基礎を知らないカウンセラーがそんなカウンセリングすることはできないんだよ、アドラーさーん。
 

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東京にて対面スクールが再開します。
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1月24日(土)、1月25日(日)は
両日ともスケジュールをあけといてね。
 

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いやー、学びの多い一日でしたなあ



先日、ジャーナリストで国民投票活動家の今井一(いまいはじめ)さんの公演を、まさしく今再稼働しようとしている新潟に聞きに行った。

新潟原発の再稼働の是非を、電気を使っている東京の皆さんにも問いかけようではありませんか?

と言っている。

 

サイモンの心(ほうほう、ん???)

みんなもそう思うでしょ。私もそう思った。なんで東京?

文章は、また今井さんの公演に戻ってくるが、
その間に私の頭をグルグル巡った、「自尊心」に関する話を挟む。


長くなるけど、最後まで読んでね、皆さんにも大切な話だろうから。

私は心理業界にて多くの方の自尊心の回復やトラウマや傷つき体験などから歪んできた、自己の歪んだ認知と社会とうまく関われない人に取り組んで、その人らしく生きることを援助し、今までの精神疲労と屈折を慰労してきた。


人は脳の特徴や、育った環境により独特な「自分自身の在り方」を作り、社会や所属する集団や家族と関わりながら生きていく。その過程で、自尊心をはく奪されている事例を多く扱ってきた。(虐待、パワハラ、いじめだけでなく、人間関係のトラブルに至るまで)。

自尊心や自己決定権を放棄することは、他人の人生の中に自分を生きることを意味する。相手の人生に隷属することで生きる選択となる。それが親であったり、会社だったり、国家だったり。
 

漠然と悩んでいる人はよくいうよね、

「自分は何者であるのか」、「なんのために生きているのか」
それは全て、自尊心の課題の延長上である。
その前に失った自尊心を回復するところから始めないといけない。

今井一さんの公演を聴きながら、(あーこんな形で、自尊心をうっすらとはく奪されていくことがあるのか)と気づかされたことがあったので、記しておく。

考えてみて欲しい。
これは作り話なのだが、自尊心が棄損されているヒントとして考えて欲しい。
(大阪府に住んでいる方は、大阪府を北海道と読み替えてみてください)
大阪府のゴミが万博会場に捨て場を使ってしまって、今後処理できない問題があったとしましょう。

ヘドロ、生ごみ、廃材、たこ焼きの爪楊枝など、捨てるところがなくなってしまった。(作り話よ)
そこで、自分が住んでいる市町村に空間を作り、大阪府のゴミを運び込むことが検討されたとする。当然だが、そこには反対運動がおきるし、反対すると思う。
このとき、大阪府の住民は背に腹はかえられないので、候補となった市町村に頼み込むことになる、「ごめんね、おねがいだからそこに捨てさせて!」。それこそ吉本興業の芸人さんが「吉本〇〇劇場」として、新喜劇やるようになったりするかも。
そして、確定したなら、日頃感謝をしながら、交流したり、贈り物(この場合は予算の付け替え)などをして、「〇〇市の皆様の良心で我々は支えられています」と思うようになる。


お互いに自己決定をして、お互いを尊重しながら存在した状態で生きていることになる。これはいいよね。グッド!

 

でもね、原子力発電においては、関西電力や東京電力すなわち、都会で使用する電気を使う発電所が、何故かその地域外に存在している。(これは現実の話だ)
 

小泉元総理のものまねで「原子力は安全だった。万が一ということは起きないはずだった。それでいてなんで東京湾に作らないかというと、万が一を考えたから」

というお笑いがあるように、
現実に地方の海岸線沿いに原子力発電所がつくられている。


関西電力圏内の電気を使っている皆さん、東京電力圏内の電気を使っている皆さん、広く言えば、原子力発電所の建設予定地の近くでないのに、そこで作った電気を使っているみなさん(これでほぼ全国民が当てはまる)、

 

大震災のその後に発電所を再稼働するときに、

「またいつか地震が起こるので、電気の値段下げなくていいので、原子力発電はなしのままで」
「その地域の人に犠牲になってもらうかもしれんが、やっぱりちょっとでも電気代下げてもらいたいから原子力再稼働して」
と、自ら判断したであろうか?グー
 

問われてもいないし、する機会もなかったはずです。びっくり

利用者の我々には何もお伺いなしに、電力会社と一部の現地の利害関係者や利権にあやかる役人の方々が、現地で反対活動している人を封じ込めながら、古くからの水戸黄門の世界、えちご屋(←屋号差別になってかわいそうだけど)と悪代官の利権と癒着の世界がはびこる世界がイッヒッヒと展開している。グラサン

金仕掛けエロ仕掛け、組長仕掛け(任侠の意味ではなく、地方自治体のリーダーの意味)、利用者の意見は一切きかない。ニヒヒ
 

「電気代(ちょっとだけ)安くなるのだから、あんたら何も考えなくていいでしょ」
「何も考えなくても、いいようにしておくから、みないようにしてください」
という言葉があればまだしも、それさえもなく黙って私たちは、

知らず知らずに他の犠牲の上で、「はい、ちょっと電気代さがったよ、ねー、いい子だねえ、君たちはなーにも考えなくてよかったねー」と、自尊心と自己決定権をうっすらと削り取られている。えー

 

まるで過保護の親が、勝手に子供の人生を設計操作しているように。

そんなことはないと言っている方、

先日の福島原発事故の経営者責任の判決みたとき、

自分たちの反省はなしに憤ってたりしてませんか?

「あんだけ利権をむさぼっておいて、なんで自分の金は一円もださないのだ!」ってね。


どの口がいうー!(半沢直樹調)だよね。
 

本来なら、「電力会社の経営者もそうだけど、ずっと福島の電気使っていた我々も何かしないとなあ」と思うのだけど、そうじゃないでしょ。
勝手にきまったことに責任とれと言われても知らんがなというのが多くの人の本音じゃないかしらね。
私が原子力発電所作るのきめたわけじゃないし。ってね。花


さんざん福島の電気でパチンコしたり、電気つけて残業したり、大画面でエロ動画再生して(自主規制)、、してたのにである。真顔

 

自尊心と自己決定権には、

「自分で選択できる生き方を増やせる」、「今生きている自分を実感できる」
というメリットもあるが、チョキ
「不都合に対して責任を感じて対応する」、「現象を受け入れて自己責任を認める」
というデメリットもある。グー
 

自分らしく生きるという事は、メリットとデメリットを受け入れて、
人生を「自分の生きていきたいように生きていく」ことができる。
私たち心理業界も人が幸せになれるようにこの生き方を推奨している。メラメラ

自尊心を失う一時的にぬるま湯の中に生きていられて楽なのだけども、

そのうち、他人や社会や国家にいいように、

 

  財産も肉体も精神も思考も命も吸い取られ、

 

ひどい場合は、気が付けば、銃剣とヘルメットをもって戦争の前線で敵の弾除けに立たされている状態まで起きうることになる。(今は想像つかないと思うけど)叫び

このような、利権構造の裏側には、
間接的に利権受益者に対して家畜化しようとする圧力が働く。

自尊心や自己決定権をうっすらとかすめとられていて、

「あなたはなーにも考えなくていいのだよー、

 そのうち国家の駒として大切に使わせてもらうよ」と。
うっすらと、他人の人生や社会や国家に取り込まれていきながら、
家畜化されていっている。ブーブーよ、ほんとに。豚

 

ここまで読んでもらってありがとう、
やっとこさ最初の今井一(いまいはじめ)さんに戻ります。おいで

電力を消費する側の一人一人の自尊心を守るため、
原子力発電の再稼働に関して、消費者が意見を投じることは大切なのだ。
たとえ、結果が「再稼働してください」という結論であっても、
それが電力使用者の総意であることが大切。拍手

地方の原発再稼働問題は、すなわち、
都会の大勢の人間の家畜化問題でもあったのです。

ブーブー(他人のせい)というようになる前に、自尊心を回復しましょう。拍手

 

家畜化されちゃうと、このように「お前が悪い」という他責感情の連鎖を生んで、パロディやコントのような現実に、人の命をなんだと思ってるんだ!という現実が平気でおきます。

 

今の、マスコミや世論、他責感情が多いのはとてもきになります。
 

自尊心、自己決定権、人生で大切な生きる糧ですカラオケ

私は、皆さんの自尊心を取り戻すことを応援するし、そういう仕事をしています。バイバイ


国民運動は、自尊心の回復運動カラオケ

今にしがみついて自分らしい人生を生きていきましょう。拍手

 

 

P.S.
余談ですが、今、ウクライナの支援金がゼレンスキー幹部のわいろに回されていて、支援国や国民がシラケてしまっているというニュースが入りました。
既に一部は国外逃亡しているようですが、焦って終戦にしようとする理由が「実はわいろがバレたからねぇ」じゃ、なんなのそれ。まあ、戦争状態になったのも、風前の灯のゼレンスキー政権が、「戦争すれば政権が延命できるなあ、ブッシュからいいこときいた、ロシアにお尻ペンペンしよう、そうすると相手から殴ってくるから」だけの話だっただけど。終戦はさすがにね、そういうことで終わっていいの?って感じ。どんな形でも戦争が終わることは大変喜ばしいことなんだけど。

今井一さんと。。

サイモンだよー、みんな久しぶり笑い泣き

ガーちゃんもいるよー。チョキ

マラソンの準備とその後のいろいろで投稿がかなりあいて、(言い訳)

久々なので、またみんなに「幸せ」に近づけるための学びを
しましょうね。
 

 行動できない人の本質はこれだ!電球

 

とある近郊市街の駅裏の路地のスナック「あさこ」にて。

あさこママ)

  サイモンさん、サイモンさん、もう飲みすぎよ。
  ふらふらで、それ以上飲んだら身体に悪いわよ。そろそろ帰ったら。

サイモン)

  うぃ~ママ、もっちょっとだけ、ね、いてもいいでしょ。
  もう一杯だけ、それ飲んだら帰るから。。

あさこママ)
  もうー、本当にこれ飲んだらかえるのよ。

(寸劇終わり)

こんな話の後にね、ちゃんと帰れる人と、帰れない人がいる。
この違いを説明する前に少し講座っぽいことを言うね。

人は「今ここ」にしか生きていないので、
全ての行動は「今」やってるか、やらなかったかだけの繰り返しなの。

ある有名な塾の先生が言ってましたね。
「いつやるの、今でしょ」 というか、今しかできないんだよね全人類。
 
私の元カノもこういってました。
「いつやるの、ひまでしょ。」

あんまり、決断を必要としない行動もあって、
たとえば、考え事しながら家に帰る道を歩いていたり、
朝起きたら歯磨きしたりとか、
これは習慣化した行動として、
ほとんど無意識に任せておけば勝手にやってしまうこともあります。

だから、今行動しているとしたら

1、「今」行動することを決意した行動
2、習慣化されている行動(無意識に任せられる行動)
 

どちらかで行動しているんだ。

そして、さらにさらに、人類は動物です。

動物は刺激によって反応した行動をとります。
さらにもう一つ、刺激に反応して行動を起こしていることもある。

今ボールをあなたに「ほれ!」爆弾(それ、ボールちゃう!)って
渡すとつい手が出たり、よけたりするでしょ。

こういう「刺激」によって「反射」をする。

 

この「刺激」と「反射」の関係を作ればあらゆる行動ができるようになるよね。
人は脳内イメージを駆使して人為的にこの「刺激」と「行動」の関係を
バーチャルに作ることができる。

バーチャルな「刺激」と「反射」を人工的に作る。

それが、さっきの「この一杯を飲んだら帰るから」という話。

このバーチャルな刺激を「トリガー」というんだ。
日本語でトリガーは引鉄(ひきがね)という意味。
鉄砲の指をかけて、引っ張ると発砲するよね。
だから、トリガーってよく、スポーツやコーチングでは使われる言葉。

「トリガー」と「行動」の関係性を前もって作っておいて、
それが来た時を「今」として行動する決断をする。

「あ、グラスあいちゃった、ママまたくるねー」と帰ることが
出来れば、そのトリガーは上手につくったことになる。

一方、グラス飲んだ後、またうだうだしている場合、
過去に設定したトリガーは機能しなかったことになる。
 

トリガーを作るのが下手なのか?

みんなもわかるとおもうけど、この人の場合、
言い訳のためにトリガーを宣言しただけだよね。

このフェイクのトリガーを作る人は行動化が苦手だと思うでしょ。

違うんだなあー
まだまだ、奥深くて、
本当に言い訳の為にフェイクのトリガーを作る人は、
実はこの人も行動力がある人

なのです。

行動力がうまく機能しない人は、
本気でトリガーを作ろうとしたのだけど、行動化に至らない事。
本気でトリガーをつくるけど、フェイクになってしまう。
これが、「なかなか行動できない人」の原因の本質。
この本気のトリガーを作るのがへたくそな人は、
本人が望んでも行動ができなくなるし、
そんな自分がどんどん頼りなくなるので、
自信と自尊心がなくなるわけです。

それぞれ行動化の上手な順位をつけると。

1位:本気のトリガーを作るのが上手な人
2位:本気のトリガーとフェイク(偽)トリガーを作り分けられる人
3位:トリガーを作るのが下手な人(練習すればOK)
最下位:本気のトリガーのつもりがフェイクに変わってしまう人

こんな感じになる。

コーチングでは主に3位の人の改善をワークや学習で行います。
そして、最下位の方は実は本人にも気が付いていない、

「無意識から発動される緊急トリガー」が仕込まれている方もいます。
(これに該当するかた結構多い)

たとえば、必ず仕事が期日までに完成できなかったりする人のトリガーは

「もう今からやっても間に合わなくなりましたえーん」と感じたときに感じる
悔しい気持ちや、悲しい気持ちがトリガーに実はなっていたりする。

ギャンブルルーレットを繰り返す人は、「このお金は使っちゃいけないお金コインたち

という罪悪感を感じて「私はなんて価値のない人間なんだショボーン」と思うことが

トリガーになっていたりする。

それは、昔別の事柄で、感じた事が心の重要なトリガーとして
組み込まれて、行動化するときに、わざわざその「緊急トリガー」を
通らないと行動できなくなってしまう。

そうすると、さっきの例の人では
行動したければ、「遅れることが明確になる感覚えーんが条件」になる人だったり、
行動したければ、「ギャンブルの罪悪感ショボーンが条件」になる人もいる。

トリガー作るのが下手なのは未経験の可能性もあるけど、
このように過去のトリガーの作り方の学習がいびつだった理由もある。

これは、コーチングを使ったりカウンセリングを使ったり、
セラピストの技術が試される事案になる
(具体的なセラピーの内容はプロ向けの説明になるので省略するけど)

行動することや行動する内容に悩む方は、
自分が作っている「トリガー」に注目してみてください。
<セルフチェック>
1,フェイクのトリガーと本物のトリガーを作り分けられているか
2,トリガーと行動の関係が説明できない行動を繰り返していないか
3,機能不全のトリガーを作りがちになっていないか

チェックしてみてねぇ。
もっと、あなたはトリガー名人になれるはず!