吉岡弥生先生が建てた5階建ての女子医専のレンガ造りのもの。


永いこと解体反対とされて保存されながら使っていた。


最上階にはビップの入院の部屋がある。


祖母と私は五つのときに入った。


私は祖母のお供、


特別の許可だった。


祖母は癌であったが一回の手術で治った。


それ以来つい最近まで通っていた病棟である。


いよいよ立て直しが決まり、


中のものを引っ越ししている。


吉岡弥生先生の記念館と講堂ができ、


噴水の向こうには大学の独立した教室群が聳える。










噴水では鯉ヘルペスにならずに生き残った鯉が泳いでいる。


女子医大の子供たちが遊んでいる。


いつか両親のあとを継ぐのだろう。


それをじっと見る弥生先生、


女子医大は回廊でみんなつながっている。


道路の上を通すために、理事は区議になった。


みんな一丸で命を守るために戦う。




最初の卒業者イネの銅像が噴水の地下にある。


イネの周りは、みなさんの憩いの場。


お昼寝なのである。


今日はうっかり起こしてしまう。


今難しい手術が終わったという。


お詫びして帰る道につく。











しばらく来ない間にビルが建ち看板が変わった。


こちらは看護寮と思っていたら、新しい看板である。


最先端医学はスピードを上げて進んでいる。


そうでないと間に合わないという。


ベテランお医者や看護師、介護士がたりない。


母の往診も介護の人を頼むのもそれは苦労した。


だが介護をそばで見ていて助かった。


母はお手本を私に残して亡くなったのだと思う。


最後の最後も息子の将来を思う親であった。


母の時代は女性の医者がなくてはならなかった。


明治、大正の時代はなおさらだった。


関東大震災。


第二次大戦と傾きかけた病院を国をあげて再建した。


敷地は大きなお寺の敷地だった。


今でもあるお寺である。


都会の真ん中とは思えない。


参道の両側にお茶の木がある。


臨済宗では昔からである。






キリシタン灯篭の向こうには大晦日、父と聞いた梵鐘がある。


薬王寺町というのはお寺がたくさんあり、庶民の病を治したそうだ。






6年間通ったバス停のそばの観音様がまだあった。


向かいには高層マンションが聳えていた。









やっと父の家に着いた。


心配だった紅葉が大きく枝を伸ばし葉を茂らせている。


幹は半分でも再生した。


これで父の家もまだまだ壊されない。


これが父の生きた大黒柱なのである。


どんなコンクリートの家より、生きた大地に立つほうが良い。








ドクダミというが薬草である。


家の日陰に自然に、祖母も父も抗がん剤の副作用を弱めるのに、


これを茶にして作り飲んでいた。


大地の恵みという。