戦闘特攻機、母
母の戦闘能力、これは間違いなく、Lv100の化け物だろう。
父は難病のALS、息子が脳動静脈奇形...
ひっくりかえってしまいそうだ。
亭主関白という言葉がそのまま当てはまってしまう父。
その亭主関白さ加減に突き合わされて最後まで父を家で見ることになったのだ。
今でも書籍が残っている。
バリアフリーの住宅を載せた本だ。
家の玄関や風呂などを載っている。
間違いなく、うちの字家庭はバリアフリーの原点を作ってしまい、在宅介護の基礎をつくってしまったのだ。
ただ、母はすごかった。
こんな中でも大きかった父を風呂に入れ、トイレに連れていき、メシを食わせて、田んぼ仕事をし、牛の世話をする。
田んぼ仕事をして、7時から8時です。それまでにも何枚ものシャツを着替え、汗いっぱいになっての仕事です。
そうして、牛小屋の掃除をし、わらなどを敷き詰め、牛が小屋に返ってきたときにはそのまま、エサが食べられるようにしてからの牛を戻し、ひと段落というものでした。
これに関しては、私も手伝ったいましたが、田植えと重なるときなどは、午後9時、10時までかかる仕事でした。
親牛もいれば子牛もいる。目を合わすとかわいらしい顔をした牛のことを考えると手も抜けず毎日キレイにしたものでした。
もちろん牛がいると、旅行などもできません。
これは、生き物を買うものの責任でもあり、絶対に譲れないところでもありましたが、何度も奇跡的な出産などにも遭遇でき喜んでいます。
田んぼ仕事と言っても大きなトラクターにノーブラで乗り、汗が染みたシャツは絞れるほどであった。
当然、そんな大きな機械に乗ったりしていると、ALSの父を抱えたわが母にはろくな言葉は浴びせられなかった。
ALSで難病指定をもらえれば、世間知らずの大人たちは「ええなぁ、難病指定をもらえば機械も何もかも大きいのを買えて!」そんな言葉でした。
誰もブラジャーも買えないことなどには気が付かなかったのです。
そんなこともあったせいか、母は特攻機でした。
誰かが何かを言っている。
法律がどうのこうの、道徳性、地域性、そして何よりも悪口かどうか?を先見し特攻機のように真上から爆弾を背負ってズドン!
一部の人たちからは人気者です。
そして、80前にした母は前にもましてその性格は拍車がかかっています。
長生きをしてほしいです。
