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この写真の女性自身が画家だと知ったとき、天はニ物を与えるとはまさにこのことかと思ったものだ。

こんな美貌の持ち主が描くのはどんな絵なのか、気になってしかたがなかった。



タマラ・ド・レンピッカ(1898~1980)は、ワルシャワの裕福な家庭に生まれ、ロシア革命~第二次世界大戦~アメリカ大恐慌と、時代の奔流に飲み込まれながらも、まだ女性の地位が確立されておらず女性が画家として存在するのも難しい風潮の中で、自己を貫く女性として女流画家を超えたアイコンであり続けた女性。

それでも、ちょっととんがったような前衛的画風の中には、古典画家の作品から学んだ技術が根付いているという。

基礎を学んだ上で自分の画風を確立させるということは、人として憧れる。

それは画家に限らず、すべての人間の生き方に言えること。

そんな見えない努力を当たり前のように積み上げたからこその、キャンバスからほとばしるような自信と存在感。



彼女は、若くして結婚し娘をもうけながら、生活のすれ違いで夫と離婚した後は、性別を越えた奔放な恋愛を繰り返す。

当時それは間違いなくセンセーショナルなことで、人気画家の生き方は、良くも悪くも注目の的だったに違いない。

左の作品は、モデルであり愛人でもあった女性、そして右の作品は、娘を描いたもの。

注文を受けて肖像画を描くことが多かったけれども、恐慌が押し寄せてからは収入源であった注文も途切れがちになり、画風はもとより生き方にさえ悩んだ彼女は重度の心の病にさいなまれるようになり、宗教画を手がける時期もあった。



型にはまらない生き方が生み出した、女性だからこそ見いだせる女性の魅力。

その、いわゆる“型”というものがなんたるかをわかったうえで、越える一線。

両性具有的なひとりの人間が、疾走するように強く、そして時には時代を反映するようにはかなく、キャンバスに自らを投影させる。

絵は、肖像画であれ静物画であれ、何を描いても画家の人生そのものが滲み出るものなのだろう。



今回の展覧会ではじめてレンピッカという画家を知ったけれども、今もなお色褪せずむしろモダンな輝きを放つその作品に、レンピッカというひとりの女性の生き方そのものが時代を越えたものだったことを、ひしひしと感じる。