【主張】

市議会をかえよう! 市民のために仕事をする議会に

市議会選挙が行われます。4月19日に告示され26日に投開票されます。「市民の会」は二人の候補を擁立し、当選をめざします。
前回の選挙で「会」推薦の手塚たかひろ議員を市議会に送りました。この4年間、ホットで詳細なたくさんの情報を得ることができました。「会」はその情報を市民の皆さんに発信してきました。そして行動を呼びかけてきました。市民とともに運動をすすめる議員が二人になれば、これまでの数倍の仕事をすることができます。


-市長の独善をチェックする議会に-
 

市議会の役割は、市長の仕事をチェックすることと、市民の意見を市政運営に活かすことです。現在の市議会はその仕事をしていません。その象徴は香里ケ丘中央公園に計画されている「美術館」問題です。この計画は市民に知らされず議論も経ないまま、市長と寄付者の二人だけで決められました。市議会はその「不正常」を追認しました。豊かな緑が失われ、毎年7千万円の支出が必要です。市長の独善をチェックできない市議会は、市政を監視する一番大切な仕事をしていません。
私たちはこれからも、市民の運動を着実に積み重ね、議会での活発な論戦と結んで、市民自治がいきづく町-枚方をめざします。

-議員報酬半減・政務活動費ゼロ-

議員報酬は年間1084万円、請求すれば月7万円の政務活動費が支給されます。高額な報酬の上に「お手盛り」の政務活動費が上乗せされています。「会」と手塚議員は「報酬半減・政活費ゼロ」を主張し実行してきました。選挙時に「身を切る改革」などの文言を並べても、実行しなければ市民を裏切ることです。「半減・ゼロ」を実現すれば年間2億円の財源ができます。このお金を子育てや介護に悩む市民のために使いましょう。

-命と健康を守る市政に-
 

市民の命と健康を何より大切にする町にします。国や府の指示待ちでは市民の命は守れません。戦争ができる国NO・原発再稼働NOを訴え続けます。そして全国の運動とスクラムを組みます。


【インタビュー記事】


枚方市議会議員選挙が迫っている。介護保険が、介護報酬の切り下げなど、この4月から大きく変えられる。いまこそ、福祉・介護の現場で33年働いてきた松田久子さんの出番だ。


Q. 枚方市住んで30年余りですが、枚方をどのような町だと思いますか?

仕事を続けながら、安心して子育てができた町でした。保育所の存在、とりわけ朝・夕の時間外保育や、病児保育はとても助かりました。小学校に上がっても、留守家庭児童会がすべての小学校にあり、安心して子どもを預けられる保育所や留守家庭児童会があることは、何よりもありがたいことです。しかし、不安定な雇用が増える中、保育料が高くて働けないという若いお母さんの声を聞きます。市民の声を謙虚に受け付け一時保育や病児保育、留守家庭児童会の利用しやすい料金設定など、きめ細かな施策が必要です。

Q.枚方をどのような町にしていきたいですか?

「赤ちゃんからお年寄りまで安心して暮らせる町」にしたいです。介護保険制度になり、介護の問題は、市がかかわるのではなく民間の事業所
に丸投げされてしまいました。行政だからこそできるネットワークを最大限、活用し支援を行うべきです。また、特養ホームの入所を待っている待機者1000名余りおられます。この解消が急がれます。
介護職場で働く職員の賃金は他の職種より10万円近く安いと言われています。介護が必要な方のサービスの向上には介護職員の待遇改善がかかせません。4月から介護報酬が引き下げられ、ますますサービスの低下や待遇の悪化が予想されます。このような国の動きには、枚方市として反対の声を上げて欲しいと思います。また枚方市として独自でできること、例えば、地域密着事業に位置付けられている小規模特養ホームの増設などは、大阪府に対して積極的に働きかけができると思います。もう一度、「福祉の町、枚方」をつくりたいです。


Q.特に強く訴えたいことは何ですか?

「デイサービスに行きたいが、利用料金が高くて行けない」「坂が多くて買い物や通院に苦労している。コミュニィティバスを走らせてほしい」などの声をよく聞きます。私は、無駄な出費をなくし、市民に必要なところ、生活に根ざしたところにお金を使う枚方市にしたいです。まず、市議会議員が自らの報酬、年1100万円を半分にすること。また昨年から問題になっている政務活動費は廃止し、それで節約した2億円を市民生活にまわす。それができる「市民感覚」をなくさない市議会に変えることが大切だと考えています。


【投稿記事】


  4年がすぎた福島から    見えなくされつつある放射能 でも伝えたい
                                                 宍戸恵美子(福島市)                

 私の住む杉妻(すぎのめ)地区の除染の住民説明会は昨年7月にあり、順にモニタリング・除染とすすんで、私の家にもあと1ケ月くらいでようやく順番がまわってくると思います。モニタリングの数値は0.4μ㏜/hくらいが多く、雨どいにあったドロは3.0μ㏜/hくらいありました。除染にともなってフレコンバッグにつまった土が庭に山積みになり、その脇を子供たちが学校に通うという異様な光景を見慣れてしまった私がいます。
 幸い私の子供たちに今のところ甲状腺には異常は見られず元気に忙しい毎日を過ごしています。小学生の次男とは折にふれ放射能がたまりやすい場所やとりこみやすい食べ物、実際に小学校から学童保育所までHSF(*)で放射線量を計測した話をしたりします。しかし長男に「友達と放射能の話をすることはあるの?」と聞いたところ「全く無い!」という返事。年頃の子供は親からこういう話を特に嫌がるようで、本人のこれからの為にも、広くは日本の為にも伝えていきたいと思っているのにとジレンマを感じます。
 学校の先生方とは、例えば運動会の時に外でご飯を食べるかどうかのアンケートや廃品回収などで時おり放射能の話題はでてきますが、こちらから話をしなければ先生からということはありません。次男の小学校は小人数で、私がPTAの本部役員をやっていることもあり、先生と顔を合わせることも多いのでざっくばらんに聞くこともあります。担任の先生は強風の時は外に出さない、校庭に腰を下ろさせないなどの注意や、授業中に放射能の豆知識などを話しているようです。副担任の先生は、自分の子供の高校の部活に「外でやらないで欲しい」と要望を伝えたら、その部だけしばらくお休みになり、子供が先輩から文句を言われ、そして息子から責められたとのこと。色々あってほんとに大変な立場だったと思います。長男の中学校に申入れしたときには、校長先生は「周りの学校の様子を見て外に出すかどうかを決めます」と言われました。とてもがっかりして、この人に言っても無駄だと思ってしまいました。学童の先生とも少し話をしましたが、「どこまでの数値がいいのでしょうね」と、考えてもしょうがない、考えてもよくわからない、どこで判断していいのか悩むような返答でした。おそらくみんな内に抱え込んでいるのだと思います。ここで生きていくのにマヒしている、マヒさせなければ生きていけないのです。
 3月14日、仙台での国連防災世界会議のパブリックフォーラムの一部に参加してきましたが、華々しすぎてあの時の大変さとギャップを感じて帰ってきました。あれから何も変わらず、ただ生きることに精一杯で、放射能とは一体何なのかもうわからなくなりつつあります。見えないだけに本当に難しい問題です。色々な情報をずい分取り入れた4年間。それはそれで疲れました。引き算をしたいと段々考えるようになりました。シンプルに軽やかに生きていきたい、何かにまどわされて生きていくのは、もうたくさんだと感じます。

(*)HSF-ホットスポットファインダー:GPS連動型の空間線量率自動記録システムで、放射線量が高いホットスポットを地図上で特定することができる