平尾原経塚出土品及び供養塔
近所で前から文化財っぽいので気になっていたところがあります。
ちょっと時間があったので、寄ってみました。
横にある案内を読むと
「平尾原経塚出土品及び供養塔」と書いてあります。
これを読んでもよく分からなかったので、あまりいい印象のない
稲城市のホームページを見てみたら、説明がありました。
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平尾原経塚は、江戸時代に全国六十余州の霊場[れいじょう]
を回って、写経[しゃきょう]を納めた記念に造られた
経典供養[きょうてんくよう]の塚です。
塚の上に建っていた経典供養塔によって、江戸時代中期の
宝永5年(1708)に造立されたことがわかりました。
経塚自体は末法思想[まっぽうしそう]の影響で
平安時代の頃から貴族たちの間で造られるようになりますが、
全国の霊場を回って写経を納める六十六部回国[かいこく]経塚は
16世紀に盛んとなり、江戸時代まで引き続いて行われました。
平尾原経塚はこのような経塚の流れの末期に属するものです。
市内には経典供養塔が25基ありますが、このうち13基が六十六部回国経塚で、
平尾原経塚はこの中でも最も古く、石塔の形も良く整っています。
教育委員会の石造物調査によって、市内最古の経典供養塔であることが判明し、
石碑に刻まれた「数殊一切施主等不残記之入壱安置石仏下」の銘文を根拠にして
昭和51年に経塚の発掘調査が行われました。
塚自体の大きさは約6mX4.5mの楕円形で、約70cmの高さをもち、
塚の頂部から約20cm南に下がった所に経典供養塔が建てられていました。
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なるほど。
とりあえずもう少しメジャーな文化財を観たくなりました。
(私が勉強不足なだけですな・・・・・・・)
サプライズ度:★☆☆☆☆


