もう23年も生きてしまったので、大人になってしまったことは仕方のないことだとは分かっているけども。

幾つになっても、金の話はするのも聞くのも苦手です。
金の絡んだ話を聞くと、みんな卑しく見えてしまうし、自分もこんな顔して話してるのかと思うと、すごく嫌だ。

最近、家族でもお金の絡んだ話題になることが多くてすごく嫌だ。
家族はとても好きだけど、お金のことで少し言い争いになるのを聞いてると、見たくなかったなぁと思ってしまいます。

大人になれば、生きていくために金がどれだけ重要なのかが身に染みてわかるから、仕方のないことかもしれないけど。

嫌なものは嫌です。

自分もこの先、知らず知らずにどんどんこんな風になっていくのかもしれないと思うと、凹む。


やっと見つけた楽しみも、潰されそうだし、昨日まで楽しかったことがもう悩みでしかないし。

あたしは、この先自由に恋愛することもできなくて、あんまり向いてない仕事して、好きなのかそうでもないのかはっきりわからないような人と、運がよければ結婚して、運がよければ子供もできて、あとは一生その旦那さんと子供のために仕事して、やりたいことも我慢して我慢して生きていかなきゃいけないのかもしれない。

そんなことないかもしれないけど、そうなる可能性は低くもない気がする。
少なくとも、今はそんなことばっかり考えてしまって凹む。

経済力さえあれば幸せなんだと言い聞かせてはいるけれども、ほんとにそうだろうかと反発する自分を押さえ付けられるのも、もう限界に近いです。

色々余計なことを思いすぎて、幸せとか不幸せとかもうよくわからないです。

残りの人生、適当にやりすごしてしまえたらいいのに。
ふと思ったんだけど、


『独りよがり』

という日本語は、何かものすごくエロいイメージがあるんですが。
あたしだけですか?

何だかすごく淫靡なニオイがします。
妄想癖の悲しい性です。
仕事帰りにジムに行った。

最近はほぼ毎日仕事帰りに寄ってから帰っている。
まだ恐ろしくて一人で車に乗れないため、母と二人で毎日通っている。

ただ、仕事帰りの17時半~18時というかなり微妙な時間にジムに着いてしまうため、スタジオレッスンはろくなものがない。
ヨガとかボクシングとかやりたいのに、エアロビクスとフラダンスばかりでがっかりする。
フラダンスには少し興味があるので、今度勇気を出して挑戦してみようかとも思っている。

そんなわけで、私と母はランニングマシンでひたすら走るしかなかった。
とにかく事務作業では消費しきれない余剰カロリーを少しでも多く消費しようとひたすら走り続けるのだ。
それを続けて約二ヶ月目。
最近私は1時間ほどかけて10キロ走れるようになった。
高校のころは1キロすらまともに走れなかったことを思うと、これは奇跡に近いことだ。
17歳のころよりも、23歳の今の方が明らかに体力がある。
昔の私はどんだけのもんだったんだろうかと思う。

母はというと、私が通いだす前からジムには来ていたらしく、もう10キロは割と当たり前に走れるようだ。もう50歳目前とは思えないほどの強靭な体力には、我が母ながらあっぱれだ。
娘の私よりだいぶ速い速度で、スガシカオを聴きながら走っている。
本当にすごい。

昨日も今日も10キロ走り、すっきりした気分で更衣室に戻って靴下を脱ぐと、左足の薬指の爪に小さい血豆ができていた。
同じ足の親指も、ほんのりピンク色に変色してズキズキ痛んだ。
どうも左足に体重がかかるらしい。
これは陸上選手がよく言う、故障のうちに入るのかなあと思った。

隣で着替えていた母の足をふいに見ると、左足が死んでいた。
もう『死んでいる』というべき状態であった。
中指を除いた全ての指が、何だかいけない色に変色し、親指の爪は若干割れていた。
もう血豆ですらない。
わけのわからない状態になっている。

ああこれが本気の故障かぁ、と思った。
血豆はまだ序の口なのだ。
母の尋常じゃない走りっぷりの陰には、やはり尋常じゃない故障があった。
名誉の負傷だ。
そう名付けてみれば、気持ち悪い色に変色した爪も、何だか神々しく見えてくる。

母は、これから頑張って走り込み、一年後に行われる元旦マラソンに出たいそうだ。
あの足でまだ走るつもりなのだ。
どれだけ走りたいんだ。
少し恐ろしい。

右足だけは無事であってくれることを切に願います。