色々話したいと思っているのに、話せない。
オンラインが苦手と思っていたけれど、
ただ単に心を開けないのだとわかった。
それは、PLAYDUCEをきっかけに、
箱の表面しか見ない私。
箱を開けて見ようともしない、
箱の中身を見る事が怖い私に気がついた。
こんなにも内側を出せない私だとは
思っていなかった。
全然自分の事をわかっていなかった。
今までもやれる!って思って
コミュニティに入ってきたけど、
ことごとく駄目だった。
人の中に入っていけない。
ものすごく人を警戒している。
無意識だった心の癖の様なもの、
自分のバリアーに気づいた。
勇気を出せなかった。
見せてたまるかという塊もある気がする。
小学4年生で北海道の札幌から東京の田舎に
転校してきた。
とても楽しかった北海道時代。平和だった。
そこから一転、引越しと共に
家族が不幸になっていった。
まず、住まいが最悪だった。
姉は当時のヤンキーと言われる人達といるようになり、もう1人の姉はひどいいじめに
合ってしまった。
私はみんなより小さかったし、いじめられていないし、特に不幸ではないという
思い込みでいたけど、家庭内がキツかった。
あの家庭の中にいたら無理もない。
父はいつも怒鳴り散らしているし、
かなり変わりものの父。
北海道で過ごした母方の祖父母と親戚たちと
父方の祖父母の親戚たちの違いがすごくて、
あんなに楽しみだったお正月は、
毎年気が重かった。
私が普通にこだわるのは、普通じゃなかったからだな。一時期、「普通はこう、普通は」
と口癖になっていた。父は異常。
異常な人の元育った私も異常と
自分にレッテルをはっていた。
私の内側の不満が外側に現象として
起きていた。敵を自ら作っていたと思う。
嫌って、嫌われて、そして嫌われない様に
振る舞うようになった。
そうしている内に自分を奥の奥深くに
しまい込んで、見張って、ジャッジして、
生きてきた。
友達とその頃の話になった時に、
高校生の時は駅で中学の同級生に会うのが嫌で
手で顔を隠していた事を思い出し、
自分で自分に衝撃を受けた。
そして、もしも娘がそうなってしまったら
何て悲しい事だろう。
「私生きにくかったよ」って涙目になって振り絞る様に言った自分にも驚いた。
辛かったよね。
だって私が私に味方していなかったから。
深く見ようとしない思考や色んな物の見方も
全部自分で身につけたものだった。
傷つけたくなかったし、傷つきたくなかった。
それでも、結局私は人が大好きで、
ずっと人と関わっている。
人が好きだけど嫌いって
本当私、そのままだ。
この頃の私をずっと見られなかった。
出来れば思い出したくなくて封印していた。
自己否定がなくなり、自分を好きになって、
コツコツやってきたなー。
30年も経った今、ようやく、
やっとあの頃の私を迎えに行ける私になれた。
前世セッションのテーマは言えないだった。
言えない
このキーワードが深くて、深くて。
これはまた別に書くけれど、
舞さんがあまりにも壮大で、
私の馬鹿で浅はかさが明るみになるのも
恥ずかしい。
でも、自分の人生を生きているという所は
一緒という言葉がありがたくて
もうそこだけを見て、恥ずかしさ全開で
いくしかない。
PLAYDUCE2回目まで、あと数時間後。