日本の古都奈良に続いて、謎に満ちた都市が、京都である。
この地は、794年平安京として、遷都された以後、多くの神社仏閣が建立されたが、その大半は、“怨霊封じ”の寺や、神社と言っても過言ではない。
その原因と言われているのが、桓武天皇の側近でもある、藤原種継が暗殺され、皇太子になるべきだった、早良親王が疑いを掛けられ、淡路島には配流される途中、餓死で死んでしまった。
後に無実と分かった。その後、天災が続き、そして桓武天皇の身内や側近が次々と病で死んでしまう。
そこで占い師に頼むと、「無実の罪で死んでいった早良親王の祟りだ」と言うことになり、早良親王を祟道天皇に祀り上げた。
しかしその後も災いは続き、それを封じるために、数多くの神社仏閣が建立されたというわけだ。怨霊封じは、神社仏閣だけではない。
全国的に知られている日本の三大祭りの一つと言われる「祇園祭」も、実は怨霊を封じる祭りなのです。
そしてまだある。
華の京都を貫くように、清流が優雅に流れる鴨川。
その川面では、今でもカップルが愛を囁く、京都の最大のデートスポットだ。
しかし平安時代は、いつも死体や糞が流れていたのだ。
その当時は、人が死んだら、埋葬や火葬の習慣がなく、庭や道路に埋めるか、鴨川に流していたのだ。
埋めた死体を、犬が掘り起こすなど、余りにも不衛生なので、政府は三大埋葬地を決めた。その一つが清水寺や円山公園エリアの「鳥の辺地区」であった。
京都最大の観光スポット「清水寺」。あの舞台作りの優雅な建築は、見る人を魅了してやまない。その舞台作りの上から人々は、死体を山に投げ捨てていたのである。
今でもその供養の為か、舞台作りの下には数多くの地蔵さんが祀られている。
その鳥の辺の入り口にあたるのが、あの世とこの世の境、と言われている「冥土の辻」。ここは、今でも残る京都最大のミステリースポットです。
次回は不思議な体験ができる、冥土の辻の、不思議数々を紹介します。
日本の古都奈良に続いて、謎に満ちた都市が、京都である。
この地は、794年平安京として、遷都された以後、多くの神社仏閣が建立されたが、その大半は、“怨霊封じ”の寺や、神社と言っても過言ではない。
その原因と言われているのが、桓武天皇の側近でもある、藤原種継が暗殺され、皇太子になるべきだった、早良親王が疑いを掛けられ、淡路島には配流される途中、餓死で死んでしまった。
後に無実と分かった。その後、天災が続き、そして桓武天皇の身内や側近が次々と病で死んでしまう。
そこで占い師に頼むと、「無実の罪で死んでいった早良親王の祟りだ」と言うことになり、早良親王を祟道天皇に祀り上げた。
しかしその後も災いは続き、それを封じるために、数多くの神社仏閣が建立されたというわけだ。怨霊封じは、神社仏閣だけではない。
全国的に知られている日本の三大祭りの一つと言われる「祇園祭」も、実は怨霊を封じる祭りなのです。
そしてまだある。
華の京都を貫くように、清流が優雅に流れる鴨川。
その川面では、今でもカップルが愛を囁く、京都の最大のデートスポットだ。
しかし平安時代は、いつも死体や糞が流れていたのだ。
その当時は、人が死んだら、埋葬や火葬の習慣がなく、庭や道路に埋めるか、鴨川に流していたのだ。
埋めた死体を、犬が掘り起こすなど、余りにも不衛生なので、政府は三大埋葬地を決めた。その一つが清水寺や円山公園エリアの「鳥の辺地区」であった。
京都最大の観光スポット「清水寺」。あの舞台作りの優雅な建築は、見る人を魅了してやまない。その舞台作りの上から人々は、死体を山に投げ捨てていたのである。
今でもその供養の為か、舞台作りの下には数多くの地蔵さんが祀られている。
その鳥の辺の入り口にあたるのが、あの世とこの世の境、と言われている「冥土の辻」。ここは、今でも残る京都最大のミステリースポットです。
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