朝、学校に向かう

子どもたちの様子を

見たことがありますか?


私は2学期になってから

朝一番で学校に届ける用があって

帰りの道すがら、何度か登校中の彼らを

見かける機会があったんですが


夏休みが明けたばかりの頃は

眠そうな顔をした子が

ほとんどでした。

校門に立っていた先生に

「みんな、眠そうですね」と、

声を掛けると、まだ2週目ですからね。

と、先生も苦笑い。


それはそうかもしれない。


でもなんか、笑顔で迎える先生や

見守って声を掛けている

お母さん達との差が

気になってしまいました。


途中で毎日、会議室に来てくれている

彼を見かけました。

他の子ども達と同様、彼の

足取りはゆっくりと

視線は俯き加減で

昼間の彼とはまるで雰囲気が

違っていました。


どうしよう、声を掛けてもいいのか

見なかったことにした方がいいのか


そういえば学校で今月の目標は

「あいさつをしよう」って言ってたな。

まぁ無理矢理なんですけど

あとは大人の気合いと図太さで

すぐ横を通り過ぎるときに

「おはよう!」と声を掛けたんです。


案の定、いきなり声を掛けられた彼は

びっくりしたように顔をあげ

あ、といった感じの反応でした。


あーどっちが正解だったんだろう。

これが、大人と子どもの違いという

ものなんだろうか。


担任の先生から聞いた

彼の、あいさつに纏わる話が

思い出されました。


終業式のその日、クラスで

アリーナに一番乗りをしようと

みんなで張り切っていました。

頑張ったおかげで、目標どおり

最初にアリーナに着くことができました。


整列して待っていると

他のクラスの子達が入ってきました。

すると、彼はひとりで

「おはようございます」と挨拶した。

他の子も、それに続いて何人か

声を出し始めた。


先生は誇らしかったそうです。

式から帰ってきた教室で

彼の名前を挙げて、偉かった、と。

みんなも2学期、3学期

同じようにできるかな。

と、話したんだそうです。


その話を聞いて、前回書いた

根拠のひとつになるんですが、

ひとりを名指しで褒める、と決断した

先生のこと、その時の状況を想像して

変な違和感を感じたのを覚えています。


そんな空気の中で

彼は生きてる、というのは

大袈裟ですが

大変なんじゃないか、と

実のところ

もし、それが躾というもの

正しさというものの価値観が

取り払われたならば

彼という人物はどう

顕れてくるんだろう。


でもまぁ、現実的な話では

ありません。

彼はもちろん、子どもたちも

それぞれのいろいろな人の思いの中で

成長していっているんです。


私もすることをしているんです。

みんなベストを尽くしているのだから。


私も息子のことがなかったら

こんな風に登校する子ども達を

見ることがなかっただろうし

物事の真実は一つではない、

私たちは自由でいいんです。


ただ、子ども達をみて思うのは

決して焦って結果を求めては

いけないということ。

それぞれの課題を見極め、

環境を整えながら

丁寧にプロセスを味あわせてあげること

それが子どもに関わる大人の私たちが

掲げる指針のひとつなのではないかと

思います。


今日も、お付き合いくださり

ありがとうございます。


いい一日を。