見れない状態でしたので、再々掲載します。私の釣りの出来事ですが、興味無い方はスルー願います。
ヒストリー1
「堤防通いと初40オーバー」
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「年無しとイナフネ爆釣」
97年6月に好調の錦の磯へ初挑戦。しかし大荒れで内磯の大石へ。がっくりだが夕方にジアイが来て、裏側で3連発バラシ。
ハリ外れ・ハリス切れ・最後は竿尻が折れた。船頭はアイゴだと言うが、当日アイゴは何匹も釣っており、それより3倍は重かった。涙が出そうになった。
ずっと使っていた竿は折れたし、もっと良い竿が欲しくなり「がま磯グレ競技SP」を購入。7月に相賀浦の磯へ。この日も大荒れだったが止ノ鼻ハナレで納竿間際に大型ヒット!。
これが初めてのチヌ50cmだった。これで分かった、錦のバラシ一発目はチヌだ。また、レバーブレーキにも慣れてきた。
10月、紀伊長島の大島で、60どころか70cmくらいのグレを見た。周りを40cm級グレ20匹くらいが囲んでいた。ウキをさけるように、ウキのそばには浮かなかった。サシエは喰わなかった・・・・。今なら喰わすことができるだろうか?よく思い出す。
12月、会社の先輩恒例の3泊4日釣り神津島遠征に連れてもらった。初めての離島で「本流よう釣らんやろ、マキエ全部よう使わんやろ」と言われつつも尾長48cm頭にクーラー満タン釣り、なんの間違いかメンバー7人で一番の釣果だった。その後隊長の?松田氏と数回奈屋浦などでサオを並べ、技術・考えを吸収。
年末年始、志摩町越賀の地磯へよく行った。合計すると32cmまでを20匹くらい釣った。Hくんは39cmもゲットした。
98年3月、公休が悪天候で4週潰れたが、好天日に好調の紀伊長島・イナフネへ。いきなり44cmのグレが釣れ、その後沖バエ向きで次々と追加し、11時撤収ながら尾長混じりで25~44cm18匹
横のH君は1匹、他の釣り客20人は丸ボー。船頭には覚えてもらい「プロ」と冷やかされるように。仕掛けは0号ウキのスルスル(後にゼロスルスルと呼ばれる釣り方)。3月に40up含め18匹は自己記録となった。
4月に石鏡でチヌ3枚。5月にはまたオジマの離れへ。ところが他にも希望者がおり、狭い磯へ3人で降りた。1人の方になじられた。その方と違う方向を釣り、チヌ43cm・イガミ40cmにグレ2匹(左下)。その方は多分ボーだと思う。もう一人の方はチヌを釣っていた。
少々ウデが上がろうが、やっぱり有名クラブに入ってないとダメなのだろうか?20代後半だと初心者扱い? 別にエラそうにしたいのではなく、船頭にも釣り人にも認められて良いポイントに入りたかった。それまで独学に近く、クラブにも未加入。記事は書き続けていたが「道勝」のペンネームだった。この一件でいろいろ思い考えることに。
その後もあちこち行き、レベルは上がったかな?と、またマルキュー地区予選に参加。申し込みのクラブ名は「志摩磯会」と書いた。
立神ハナレずらっと誰の竿も曲がらないなか、私だけサンノジに小マダイ2匹を釣った。一年前はどうしていいかわからなかったが、それと較べれば少しマシになった気が・・・
ヒストリー2
「クラブ入会と大会挑戦」 98年。自分のグレ釣り・・・ずっと独学に近く、確証は無かった。やはりクラブに入る必要性を感じていた。 そこで大きなクラブに入りメーカーの大会にも多く参加してみることに。投稿記事も本名にした。 がまかつのサオが良かったし、三重県で全国的に有名な三原憲作名人の釣りが見たかった。職場の松田さんの誘いもあり、そのクラブに入った。松田さんはこの時クラブの2年連続チャンピオンと知りビックリ。「お前ならええとこ行くぞ。ま、分からんけどな、笑」と言ってくれた。 10月、初めての月例会は錦。黒崎東で横には三原憲作名人。私がキープサイズを6匹、名人は後からサオ出し、他の人の指導をしつつ5匹。これで参加40名中で初出場・初優勝を飾ることに。 同月グレマスターズ地区予選。投石で皆ボーズ状態の中、26cmと35cm(尾長)2匹で200名中20位入賞。11月がまかつG杯地区予選、70名中10位(横井さんが連続優勝した)。月例会は梶賀、40名中7位で、一緒に上がった木村さんと仲良くなる。
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「クラブチャンプとG杯グレ全国大会」
同10月、グレマスターズ地区予選再挑戦。160人中なんと3位で予選通過!、ブロック大会は出雲崎。京都の平和さんと対戦。前半3-0でリードするも船頭から波危険だから東向きへとのことで、私は彼のいた釣り座、平和さんは水道へ。しかしそこが本命、良型2匹釣られ、4-2だがグラム差で負けた。 彼が釣れなかった前半に4枚釣り、さらに後半は彼がボーズだった釣り座で1匹掛けたので負けた気はしてないが・・・勝負は負け。
11月、G杯地区予選120人中13位で通過。串本での決定戦はどうにか2勝1分けで5位、30歳、ついに全国大会出場へ!
2000年、紀東爆釣。1月いよいよ沖磯での取材、阿曽浦志戸・西先端、つりニュースカメラマンの前で44cm頭14匹釣り大成功(前日下見で38cm頭23匹右下)。
2月島勝でクラブ例会、潮吹きで30後半2匹、54人中優勝。赤石一番でグレ39~46cm4枚。
3月阿曽浦ボーグイでグレ50.5cm(拓寸51.5cm)。初のゴーマルオーバー
4月年間チャンピオン戦優勝(左下)。1999年度チャンピオンとなり、ネーム入りがま磯レイダム1号をいただいた。AQAウキさんよりテスターのお誘いを受ける。
5月、引本オザキでチヌ52cm。6月、奈屋浦黒島で尾長43cm頭11匹、片田漁港でチヌ52cm、
9月にマダカ53cm。10月越賀磯でチヌ50cm、錦でカツオ12匹・ハマチ3匹・マダイ2匹。
11月、G杯地区予選101人中23位で通過(決定戦は敗退)
12月、ついに来た!G杯グレ全国大会。横井さんと大道寺さん清水さんと共に五島列島へ。
一日目の予選リーグ、一回戦テスターの方に3-1で勝利。2回戦コッパからキーパー1匹引き出し勝利。3回戦、ホームは五島の方だが深ダナ狙いで6匹-2匹で勝利。4回戦は何も釣れず引き分け。これで決勝リーグ進出!。
二日目の決勝リーグ、いきなり池永祐二さんと対戦。まだ暗い前半いきなりバラシ、後半払い出しへのマキエでウスバが沖に散り、だんだんグレが際に見え、繊細に食わして何と勝ってしまった。選手を迎えに来た渡船で三原さんが「お、お前勝ったんか!?ようやった!ようやった!」と迎えてくれた。
次の松田稔さんとの対戦ではウスバハギの経験差を見せ付けられ0負け。
最後は近重さん、前半なぜか潮下で反応無く、やっとヒットさせたらマダイで根気も体力も切れ、後半潮下でグレが湧き、爆釣されてしまった。
しかもマキエの分量を間違えていて、松田さん近重さんとはオキアミ1枚ずつで試合していた。松田さんに0負けした時点で緊張と集中力が切れていた。結果は7位。正にうれしいような悔しいようなで、下見含めて3日間戦ったネーム入りレイダムを見て涙がジワリ・・・・「優勝した池永さんに唯一の黒星をつけたのは勲章だよ」と役員の方に言われたが・・・。
31歳、G杯決勝リーグで松田稔名人、池永祐二名人と対戦する強烈な経験・・・
一つ言い訳させてもらえば・・・ ウスバハギは初めてだった。